友達との夕飯。

菊地食堂へようこそ 22.9,2020

友達が遊びにきてくれた。楽しくて、沢山笑った。上手に笑えるか不安だったけれど、笑うって結構簡単。

夫が毎晩遊び歩いて、夜中に泥酔し、帰宅したあの日々。コロナで自粛だった頃。朝方に鼻歌を歌って帰る日もあった。夕飯を約束していたのに、お酒を止めると約束していた人が、どうしてそんな事が出来るんだろう。ずっと病気だからって思ってた。可哀想な人なんだ。夫は心優しい人だから、騙すのも傷つけるのも理由があるはずなんだ。夫が殴りかかってきても思った。可哀想な人って。夫は苦しんでる。弱い自分から抜け出せなくて。

ずっともやもやしてた。夫は沢山の人に褒められる。関西人だからお喋りだし、甘え上手だから寂しい人は直ぐに夫を好きになる。お酒好きな人はお酒をご馳走し、お金が余ってる人はお金を夫に与えた。夜を徘徊する女は夫の隣で騒いだ。夫は魅力的な人なんだって。だけど、何だかしっくりこない。

ひとつ今でも心残りがある。夫が真面目に音楽と向き合ってる姿を見れなかった。夫はきっと音楽が好きな人。好きな人だったと思う。私の師匠は写真家だけど、音楽もやってる。夫は酔っ払うと、思い出したように師匠の事を愚痴る。「本気でやってねぇーくせに。俺と一緒にすんな。」師匠のバンドはSpangle call Lilli lineっていうバンド。街でラジオで、時々どこかで流れてる。夫の音楽は昔に貰ったCDか、ライブに行くしか聞けなかった。師匠は家でエレキを繋がないで、ひとりでかちゃかちゃやってるよ。ってよく言ってた。私が趣味でアコースティクギターを始めたって言うと、よく聞いてきた。「最近どんな感じ?」って。

何かで読んだ。
人の心が癒えるのは、いい物を見たり、聞いたり、読んだり、だから芸術は心の栄養となる。私は私が見たい物を探す為に写真を撮ってた。私が見たいものが見たい。もっともっと作品に潜っていきたい。そういう頃に夫に出会ったけど、今は違う。スーパーで材料を買ってきて、料理を作って、写真を撮る。写真を撮る時間は数秒。それを何百回、何千回と繰り返す。その行為に意味は無い。朝に起きて歯を磨く位に意味は無い。だけど、一枚の写真を見て、誰かがお腹を鳴らしてくれたり、誰かがいつかの食卓を思い出して甘い気持ちになったり、誰かが明日に希望を持ってくれたらいいって思う。面倒だからって、スーパーのお惣菜を買ってきてお皿に盛って撮ったりなんてしない。時々はいいかもしれないけど。そんなのつまらないもの。それに、撮って見せて褒めて貰う事が目的じゃない。そうやって仕事の写真も撮った。今の瞬間だけじゃない。ここに来るまでに歩いてきた、ここだ。意味の無い全てが一枚の写真となる。それが私の写真になる。ずっと夫の歌が好きになれなかった。人を叩いた手でギターを鳴らして、人を傷つける口から出る言葉、なんだかいつもちゃんと歌ってよって思った。最低な人間でもいい。あなたが最低なら最低な歌を歌えばいい。愛の歌が歌いたいなら愛をして、愛を歌って。

夫との距離が離れれば離れるほどに私は何かに気づいて行く。あの鼻歌の理由も。

夫は酒や家族から逃げたんじゃなくって好んで出て行く事を決めたんだ。女と毎晩のように遊んでたのもそう、現実から逃げるためじゃなくって、本当に楽しくて仕方なかったんだ。だって、鼻歌って気分のいい時に唄う歌でしょ。翌朝に謝ったりしないで。それはあなたの歌なのだから。

友達との夕飯。
ベジジャーマンポテト
砂肝のアジア風サラダ
ポキ
蛸のセビーチェ
麻婆豆腐
ご飯
ポキ
まぐろ
アボガド
レモン
玉ねぎ みじん切り
青唐辛子 みじん切り
青葱
ごま油
大蒜醤油