



6時過ぎに宿を出て、今日も港の喫茶店へ。辺りは未だ薄暗い。朝食を食べて、陽が上がった頃にシンジ君と二人で山頂にある展望台へと車で向かう、山道をすいすいと木漏れ日の中を走っていく。山若君は一人喫茶店に残って仕事。
私にはもう、何も無い。
彼との人生の為に妻として出来る事を思いっきりにやった。写真は好きな仕事だけど、がむしゃらに働き彼との未来の為に貯金をした。友達に会う時間だって月に数回程度で、とにかく毎日が家庭と仕事で終わった。あれだけ苦労して築いた全てが一瞬で壊れて、全く違う毎日が今ここにある。今、私は未だ彼の姓を纏い、ひとりぼっちの人生を歩き始めてる。
シンジ君は人に裏切られた苦しみを知ってる。10年も前の事なのに、彼の傷の深さが見える気がした。私は夫の酒乱が始まってから、下を向く事が増えた。前を向いて歩く事が出来ない時がある。目の中に入ってくる世界に後ろめたい気持ちになってしまう。
この世界に在るものが、美しいものばかりじゃ無い事を知りたくなかった。
雲のずっとずっと上にある展望台。光が全身に当たってとても眩しい。シンジ君が足元に広がる落ち葉を見ながら言った。「人が好きだから、出来るだけ答えたいんだよね。そうじゃない事だってあるんだけど、出来る事なら。」
シンジ君に出会えて、本当に良かった。私に起きた出来事は今でも整理出来ない。周りでこんな経験してる友達だって知り合いだっていない。変な例えだけど、不倫された方ががずっと良かった。ずっとずっといい。
私に明日があるのなら、シンジ君に出会えて良かった。苦しみを共感したいんじゃなくって、明るい場所にいるシンジ君に、苦しくても下を向いても、今も同じ自分で歩き続けてる事に、許された様な気持ちになる。
このまま、ずっと今見たいに明るい場所にいたい。