
「菊地さん、卒業しましょう!」
先生が笑顔で言った。今日は1ヶ月ぶりの心療内科。私の鬱は霧みたいに消えていった。理由はわからない。だけど、苦しめてたのは、私。私自身だ。
朝から晩まで、新しい家の事で忙しい。必要な物を買い揃えたり、取り付けたり、新しい生活に不安がるテコをなだめながら、家中を走り回るように忙しくしてるのは、止まったら不安になるから。夜が来るのが怖いけれど、それまで動き続けよう。
私は、彼が好きだった。離婚なんてしたくなかった。
好きだけど、別れを選んだのは自分の人生を生きる為。病気も酒も暴力も、モラルに反するような行動も全て、彼自身の問題だ。私が「そんな酷い事は止めて!」 とお願いするのは一回まで。それ以上は彼の人生をコントロールする事になる。「あなたの為を想ってやったのに。」一昨晩に電話で私への怒りを露わにする友人の言葉にようやく気づけた。私も沢山、彼にかけてきた言葉だから。友人には心から感謝してる。とても大切な人。だけど、その発言は違う。
生きるっていうのは、幸せになる為の行動だと思う。どんなに世界でそれが正しくても、心からその人を想ってたとしても、誰かの幸せを行っちゃいけない。それに、もし、苦しみや悲しみを見つけたら、それは誰かにぶつけるものじゃない。それは自分の物。瞼を上げて世界を見てるのは自分。それが愛だと言うなら尚更、世界を今日愛したいのは自分だから。あなたの為は私の為の話。彼女が夫の為に、私の為にと翻弄される姿はまるで過去の私そのものだって。あれが私だったのかって。
今、寂しいのも苦しいのも哀しいのも、彼を想っていたからだ。未だに涙が流れるのは、彼といい人生を送ってきたからだ。だけど、私達は別の人生を生きる必要があったんだと思う。愛なんて全てじゃない。それは時に黒っぽい欲望に見えた。