2月17日

Journal 17.2,2021

たまちゃんが作ってくれた鍋を食べてる途中だった。一瞬で全身が硬直した。心臓が今にも破れそう。夫と関わる全てから離れた筈なのにどうして。

夫の友人に会ったんだそう。私を心配してるだの、なんだのって。そのまま、夫についての話は続いていたけど後はあまり覚えて無い。とにかく器の中の何かを口に運んで、運んで、「その人は嫌いな人だから。」と伝えた。

その友人は暴力の事はずっと知ってた。だけど、それ以上は何も考えたくない。今までの人生で酷く傷つく事は沢山あっても、人を信じたく無いと思ったのは初めてだと思う。平穏な毎日が一瞬でまた真っ黒に襲われる。二度と関わりたくないし名前を出すだけで吐きそう。あの世界には二度と関わりたく無い。共依存の本をぽつりぽつりと読んでる。夫婦や親子関係における共依存は、日本の文化背景がある事。それは生きる為に必要だったから備わった感覚なんだと。

いつも夫の名前や、子供の話ばかりを続ける友人達の顔が数人思い浮かんだ。中には私に共依存を教えてくれた子もいる。母であり妻であるから耐える事が、家族の幸せになる。女性がそうしないと生きられない時代があって、そうゆう親を見て育った女の子達は自ら我慢とゆう選択を選ぶようになるのだそう。

「病気だから仕方ない。」「子供の為だから仕方ない。」「私は妻だから。」それが共依存の答え。その言葉の上澄みからは平和な音が聞こえる。父親に殴られて育った男の子は、暴力を権力として、自己表現の一つとして、親から学んだ生き方を自分もやる。弱者を殴る。女や子供を。

彼もそうだった。お酒が入った深夜、強そうな人には悪態でさえつかなかったけど、タクシーを乗ると直ぐに運転手に激憤した。家につくまで私は通りに光る街灯を見ながらじっと黙った。翌朝に話せば、空のごめんねだけ。いつも。

私は自分の世界を捨てたんだ。依存したくなかったから、捨てた。本を読んでわかった。それに共依存は生きる術だって事も。決して非難するような事じゃない。世界は、生のある全ての物は、明日を生きるために今がある。病気でもそうじゃなくても、それは問題じゃない。その人にとって生きやすい方を選んだって事。お酒を飲み続けて死んじゃったら、そう生きたかったから。可哀想なんじゃない。やめられないのも生きる為。そしてそれを支えるのが役目だと信じるのも生きる為。

よく誰かが、私は夫の世話を焼いてばかりいると言ったけど、本当はそうじゃない。私は、フェアになりたくて、自立して欲しくて、彼を放った。その度に彼は私に助けてとお願いしてきた。子供みたいに立ち上がる私の裾にしがみつく。何度も何度も、断った。誰も知らない事。どうして助けたの?と聞かれるけど、べったりと助けてきたわけじゃない。何百回と悩んで突き放した。

明日は朝が早いからと家路についたけど、帰り道は寒くて真っ暗だった。すごく厭な夜。お風呂に入って、髪を乾かしてる時に思い出す。「よーよは、幸せな家庭に育った人なのだから、幸せになって。」雑誌の編集長をやってる兄の親友、栗さんが言った言葉。うちの家族の事をよく知ってる。全てじゃないけど私が苦しんでた日々を知ってる。離婚する前はこの言葉に後ろめたさがあったけど、今は私に勇気をくれる。朝になったらきっとこの暗闇は明けるはず。