青菜と柚子胡椒の焼きそば

中華 09.3,2021

姉の鬱が酷い。
本人は気づいてない。自分はプチ鬱だと言ってたけど、完全に鬱状態だと思う。病院で鬱を診断されて、鬱の本を読んだり色々を知る事になって、鬱の人と接しても「鬱なんだ、可哀想だね。大変だね。」っていう風にはならなくなった。今まで持ってた印象とは全然変わった。寧ろ、身の回りに鬱症状だと思う人が沢山いる事に気づいた。だけど、私も含めてだけど鬱は風邪の様にいつしか自然に治る。人それぞれの症状だけど、定期的に鬱っぽくなる子を思い出してみると、例えるなら左利きみたいに、ただの身体の癖の様にも思う。それが何かの歪みで深い所まで行く事もきっとある。もしくは、私や姉の様に強烈なストレスが短期間でかかった時に起こる鬱。どちらにせよ、風邪と同じ。身体からのSOSみたいに、熱を出して身体を冷やそうとするみたいに、思考過ぎる身体を全力で止めてあげる。止まってしまうのは生きる為だと思う。毎日のその先、道端にそっと置いてあるみたいなのが鬱なんじゃないかな。誰でも人である限り、思考して感じる限りなる気がする。よく真面目で几帳面な人がなりやすいと言われる理由もわかる。思考する自分から寄り道出来ない人。回転をバラしてあげればきっと抜けられる。

だけど、姉はよく生きてると思う程に苦労をしてるし、頑張ったと思う。強いし、決して逃げたりしなかった。こんなに苦労しても腐らない人はまずいないと思う。ちっちゃいって言ったら失礼だけど、些細な悩みで腐ってる人なんて山ほどいるのに。だけど、別に人生、腐ったっていいとも思う。自由だから。選べるから。その代わり、私に愚痴らないでねって。愚痴は悪臭だから厭。いい香りのする人といたいから。

美味しい物を食べよう。美味しい物を食べてたら、美味しい香りがしてくる。育ちや教養、持ってる物が全てじゃない。だけど、自分を腐らせるような人は不味くなるに決まってる。

病気は恥ずかしい事では無いし、生きてるから病気になる。自然な事。それよりも、腐らない事の方がずっと大事に思うな。