
金曜日も中途半端なままに終えた。さっきまで頭がパンクしそうだったし、なんだかやるせなさで一杯だったけど、お風呂に入ってワインを飲んだらケロっとした。今日の失敗も新しい仕事の猛烈な量のニューな色々も、全部受け止めたという事で良しにしよう。足が地面に食い込むくらいに受け止めたと自負してる。だって、あれもこれも全部初めてだったじゃん。
朝に悲鳴をあげるようにパリのマユミちゃんに連絡。「チャミどうした?」「夜に話せる?」色々が落ち着いた頃、2杯目のワインと一緒にビデオ通話でお喋りした。パリはお昼。マユミちゃんはランチを食べてた。顔を見るのは1年ぶり。最後に会ったのは2年前。コロナが始まる頃にパリで。
2時間ちょっとダラダラとお喋りして、通話を切った。悲鳴の理由については半日も経ったから、もう私の中には殆ど残っていなかったし、ささっと聞いて貰った。話さなくても良かったかなと、人の悪口を言ってる様に聞こえて少しだけ後悔もした。先週の心理学の講座のホームプラクティスで、過去の苦い経験の程度を選んでトレーニングするものがある。「あまり苦しみの強いものは選ばないで下さい。もし大丈夫そうなら、もう少し苦しいものを選んで下さい。」日常に落ちてる様なライトな苦しみで試みる。「あ、全然何も感じない。」次にハードな苦しみと、苦しみの段階によって心の温度が変わるのを体感しながらトレーニングを行なっていく。
苦しみの大きさを測るうちに、苦しみにはサイズがある事がわかった。色や形、苦しみの種類で名前をつけたりして観察を進めていくと、苦しみが色々な箱に整理されていく。そうして、不必要な苦しみは捨てて、必要な分は取っておく。それは、これからもっと観察しなきゃいけないから、まだまだ苦しすぎて手放せないもの。
なんだかすごく面白いトレーニングだった。苦しみは面白く無いけど。