
昨日は完全に飲みすぎた。最悪な朝だ。2時間後には講義が始まる。空っぽの冷蔵庫から豆腐と乾いたネギを出し、乾燥ワカメを入れて味噌汁を作った。ご飯は冷凍をチン。オカズを作ってる時間も無いし、胃袋が求めてるオカズもわからない。梅干しにしよう。
とにかく身体がどんよりしたまま講義は進んでいく。変な緊張やワクワクが無いお陰でスローペースで淡々と講義に集中。今日はバッグドラフトについての話もあった。バッグドラフトについては本で読んだ事があったけど、やっぱり講義を受けて本当に良かったって実感。本で読むそれよりもずっとずっと鮮明に見えた。昨晩、「死にたい」を連呼してたのはやっぱりバッグドラフトだ。過去への依存じゃなくて、前進の合図だった。泣きながら帰宅した私はお風呂に入った後、そのまま夜更かし。珍しくネットでドラマを見だして、ケタケタと笑って寝た。元気を出さなきゃ!と思ってやったわけじゃなくって、自然な成り行きの行動だった。死にたい人がする行動じゃない。
バッグドラフトは、火災の現場で起きる爆発現象の事をメタファーとしてるそう。固く締まった扉をどうにかこうにか開けても、炎が立ち上がった部屋は、外から入った酸素の所為で爆発を起こす。世田谷線の車両の中で一気にドカンと溢れ出た私の爆発。その中には会いたいとか、話したいとか、そんな気持ちも含んでた。だけど、じゃあ会ってどうすんのさ。と冷静となった今、改めて聞きたい。
どんなに酷いストーリーだって、結末は待ってる。感想を述べてみるなら、爆発後は案外スッキリ。炎の中でじっとしてたんだろうね。熱かったろうよ。辛かったろうよ。苦しかったろうよ。私、お疲れ。酷い事をされたからって、ずっと泣いてても仕方がない。トラウマも仕方ないけど、トラウマしてても仕方ない。時々また起こったとしても、仕方ない。散々酷い現実も見ちゃったし、戻せないよ。諦めよう。
講義が終わって二日酔いの怠さにベッドでゴロゴロしてた時に電話が鳴った。動物病院からの着信。「先日の病理検査の結果ですが、腫瘍は癌でした。」テコのお尻にあった小さなイボは癌なんだそう。淡々と話をして、次の予約を入れて電話を切った。少しだけネットで調べた。段々と実感が湧いてくると、涙が溢れてきた。離婚で大変だった時、テコは食事を受け付けなくなったり、血便を出したり、ベッドから出てこない時期もあった。変わり果てた生活の中で私と一緒。ギリギリだったんだと思う。あの頃、姉と毎日電話して泣いていたから、今だにLINE電話の音が鳴ると不安がる。新しい家での生活が始まって、ストレスでまたおかしくなっちゃうんじゃないかって不安がいっぱいだったけれど一ヶ月もすると直ぐに家中を走り回るようになった。離婚してから心に決めた事がある。絶対にテコを不幸にしない。あんな酷い人生を送らせた事を心の底から後悔してるから。
泣くのをやめた。
私が泣くとテコは心配する。だからもう悲しまない。泣かない。今日の講義で面白い話があった。痛みは勝手に起きるもの、自然に湧いてきてしまうもの。だけど、苦しみは痛みに抵抗しなければ、そのうちに消滅する。痛いと必死に怖がって、必死に現実を抵抗するから、意識は痛いをしっかりとフォーカスオン。痛みの渦中へ、ドボン、さらに深くドボン、ドボンと鏡の鏡の鏡の中みたいに堕ちていく。
素晴らしい講義だなと思って目をキラキラさせて聞いていたと思う。よくよく考えてみたら、テコが死んだ未来からタイムスリップして今日に会いに来たのなら、怖くもないし、悲しくもない。寧ろ一緒にいれる今が最高に幸せってなる。だから、サヨナラする日が来るまでは、最高にハッピーな日だけでいいんじゃないか。私はテコが大好き。私達は一緒にいると最高に幸せな気分になる。それできっといい。だから、今日もたっぷりと愛情を注ぐ。そして癌はとっとと取ってポイだ。
何だか可笑しいくらいに、チャージされてきてる。苦しい過去もトラウマも正直面倒。これ以上、私の人生の邪魔をしないでくれと思う。私は今、テコのサポートしなきゃいけないのだから。