兄の焼いたパンと兄の漬けたチーズのオイル漬

パン 03.11,2021

誕生日の朝食は兄オンパレード。兄の焼いたパンに兄が漬けたチーズのオイル漬。LINEを開くと、兄と姉から誕生日のメッセージが入っていた。まず、恒例のほぼ日手帳の新調から始まる。新調とは言っても、新しい歳のやりたい事リスト100を思う存分に埋めるだけ。とりあえずそれで書初めを終えた様な気分。

とにかく朝から気持ちがいい。気持ちが良くて仕方がない。この1年を無事に乗り切った。39歳は悪夢で、40歳という年は大変ハードな歳だった。どうにか離婚を決意し、裁判はやらないと家族を説得し、走って離婚届を世田谷区役所へ出しに行き、家を引っ越し、新しい生活を始めた。心療内科は早々に卒業して、44kgまで落ちてしまった体重も太るプロテインと炭水化物で元に戻して、亀の一歩くらい小さな歩幅で普通の生活を始めて、新しい名前に変わりアイデンティティを一気に喪失して、新しい活動名の名刺を刷って、沢山の銀行とか保険とかあちこちに隠れてる見たく無い名字を見つけては変更する作業を死ぬほどやって、仕事も少しずつ始めて、完全に落ちた体力も毎日ちょっとずつちょっとずつのウォーキングで戻して、家具を揃えて、映像を勉強して、映像を撮って、新しい写真のプロジェクトを始めて、カウンセリングへ通って、心理学を学び始めて、梃子の癌の手術を無事終えて本日。数日前に聞こえなくなった片耳は早々に治った。過労とストレスで一時的なものだったみたいで、片耳の問題くらいで心は殆ど動揺しなかった。とにかく1年死なずにやりきった。それだけで、今日気持ちよく生きてるだけで何だか最高なんじゃ無いかって気がしてる。それに、梃子もお陰様で生きてる。

一年前の秋に沢山のお気に入りの指輪達を一つ残らず指からとった。いくつかは渋谷の質屋へ売った。大好きな指輪を死ぬまで付ける筈だったのに、理由はよくわからなかったけど、多分もう見ちゃいけないから、療養で殆ど仕事が出来なかった時期に少しでも生活の足しにしようと売った。私は指輪が好き。祖母や母の影響、姉の影響もある。二十歳を過ぎてから指輪をつけていない時なんてあっただろうか。両手じゃ足りないくらいに指輪をしてきた。一つ一つに思い出がある。それが指輪。何と無く買った指輪なんて無い。悪魔になった指輪達。だけど、指輪が好き。何だかすごく複雑な気持ちの一年を過ごした。

だから、今日、自分で自分に指輪を買う事にした。トラウマに邪魔されて、好きな指輪をつけられないなんて人生どうかしてるよ。おかしい。だから、新しい指輪を買おう。怖くても、もう怖く無いよきっと。だから、とびきりお気に入りの指輪を買えばいい。「これ、いくらですか?」NYでデザイナーをしてる日本人のジュエリー作家。日本じゃ殆ど置いてる所がないけど、たまたま渋谷のセレクトショップにあった。もうずっとずっと好きな作家。「4.8万ですね。」お姉さんがさらりと言った。完全に予算オーバー。「うーん。中々ですね。買います。」だって私、今日、生きてるから。買う。

指輪の箱を鞄にしまい気分良く歩いていると、前から編集の浅井さんが歩いてきた。お喋りに花が咲いて太陽が浅井さんの右顔から私の左顔を通りそのまま夕方へと去って行った。どれだけの時間お喋りしてたんだろう。むちゃくちゃ楽しかった。料理雑誌の副編集長を退職し、今はフリーランスとして活躍されてる。これからの話とか、自然由来の話とか、二人で道路をぴょんぴょん飛び跳ねてしまうくらい興奮した。浅井さんは本当に素敵な大人の女性。すごく憧れてる。「呼び止めちゃってゴメンね。」長話の後に浅井さんが言った。「いや、私、今日誕生日だから遊んでるんですよ。」「え?私も三日後誕生日だよ!おめでとうー!!」なんと私達は蠍座の女同士だった!という話でまた盛り上がって、一緒にいるなら魚座の男がいいよというアドバイスと、誕生日プレゼントにサーモンピンクの電動歯ブラシを頂き解散した。サーモンピンクは私の大好きな色。嬉しい。何だかこんなにハッピーな気分の誕生日っていつぶりだろう。覚えてないぶりに楽しい。帰りに梅ヶ丘のリカーランドなかますでビオのロゼと、美登利寿司で好物の本鮪の赤身と赤貝のお寿司を買って帰った。お風呂に浸かりながら母とお喋りして、夜は梃子とゆっくりと過ごす。幸せだな。ありがとう。私も梃子も、生きててくれてありがとう。