
今日は講義。今日の講義は少し長かった。色々な実践を終えた後に生徒が二人グループになりブレイクアウトセッション。今日の実践についての感想を伝え合い、話し合う。その後に皆んなの感想を聞いていく。確実にステップアップと共に学びを体現していく事を皆んなが楽しんでる。日々に躓くような事があったとしても、それもステップの一つとして捉えている人が目立った事も印象的だった。それに、「私はこういう考えを持っている人なんです。」と、自分のネガティブな問題を前提として話す人も増えた気がした。挨拶みたいに聞こえていいなって思う。言葉にどんな色を付けるのかは自分で選べるから。
今日は何となく私の問題についてサラッと話してみた。
「気持ち、少しわかります。丁度、昨年の今頃は私も堕ちちゃって、病院通いながらも自分を責め続けたり、もっと頑張れ、もっと出来ることがあるって自分に喝を入れたりしていました。」私が話すと相手の表情がさっと変化するのが分かった。ああ、もしかしたらこの方は堕ちた先の事を知ってるのかもしれないな。
数日前に似ている人を見かけて、気になって今は作家となった宮崎君の事をネットで調べた。宮崎君は酒飲みだと聞いていたけどある時に急にお酒を止めた。それからもうずっと会ってない。記事には、ただの酒飲みの話じゃなくて、もっともっと深い本当の理由について書いてあった。そこに、”自分は強い人間だと思ってたし、それで今まではやってきたのに、そういうんじゃなくて、堕ちていった。” みたいな事が書いてあって、ああ、あそこかって想像するとぞくぞくした。だけど、あの頃は宮崎君の360度どこにもそんな彼に私は気づけなかった。
夕方に周三君と電話をした。どうして話の流れがそっちに言っちゃったのか全くわからないけど、周三君が20代の時にお父さんが倒れ植物人間状態になってしまって、家族のために働いてとても苦労して、お母さんもお父さんの苦労が沢山あって、亡くなった今が第3の人生みたいに生き生きしているのだと話してくれた。私はパンを妹の私の為に焼いて送ってくれる兄ちゃんは、昔は不倫して大変な時があって、姉ちゃんと母が激憤したとか、私が夫と裁判だけはやりたくなくて、元夫の色々を許せない家族を説得したという話をした。「結構、引いちゃう話したよね。」って周三君が申し訳なさそうに言ってたけど、私の話は別として「とてもいい話だよ。」って何度も言った。
人は誰しも過去に苦しみを持っているけど、今がハッピーならそれが答え。そういう答えになる。声を揃えて、だよね、だよねって、相槌を打ちながら話した。
今日は何だか沢山の痛みのある話を聞いて、私も他人事みたいに私の話をした。