ピェンロー鍋

エスニック 10.11,2021

朝から雨。気持ちがいいな。ベッドに潜って出てこないテコと一緒に10時くらいまでダラダラと過ごした。外から雨の音が静かに聞こえる。いい朝。朝食にスープパスタを作って、起きてきたテコにも朝ご飯をあげた。

午前はメールとか企画の事を考えて、午後は映像の納品、そしてレタッチ作業の鬼となった。ライスプレスの成田さんから電話。何だかちょっと久しぶりだな。元気が無いって言ってたけど、元気そうな声を聞いて良かったとも思った。とはいえ、本人は大変な渦中。どうにか一日でも早く抜け出せますようにと小さく祈った。

あっという間に夜が来て、もう買い物へ行くのも面倒だし、冷蔵庫に残っていた白菜と鶏肉と椎茸で夕飯はピェンロー鍋にした。何だかんだともう10年以上この鍋の虜。12年前、この街に2年だけ住んでいた時に同棲していたBFが感動してた。「何だこの鍋!」って。丁度、20代の途中から後半にかけて、大連に住んでた友人と旅をしてから、中国の食事にハマり始めていた私は小麦料理とか、スパイスとか、ピェンローにもハマった。やっぱり自分にとっての食べ物との出会いは、流行りを纏った街のレストランじゃ無くて、フィールドワークが私の心を撃ち落とす。

マユミちゃんに教えて貰ったドラマの続きを見ながら、鍋を食べ、そのままベッドで見続けた。女優の黒木華さんがとにかく可愛い。可愛いシーンをキャプチャーショットした。派手なワンピースでデートに行く姿。鵠沼駅の商店街を歩く後ろ姿。嗚呼、可愛い。明日にでもプリントアウトしてトイレにでも貼っておこう。気づいたら22時50分。あ、もう寝る時間だ。フミエさんから仕事の事と、周三君から何だかもの凄く長いメールが入ってた。何だこれ。最後のメッセージに “これはLINEの使い方じゃ無いよね。”って書いてある。

うーん。今読むべきか否か。長文で折りたたまれたメッセージを開いた。読めども読めども続く続く文章。ちょっとした本を手に取ってしまったみたい。お母さんの事を書いたとても素敵な文章だった。一昨日に色々話してたからなのかな。3、4年前に書かれたものだったけれど、今も同じ気持ちのままでこの文章が彼の場所にあるのだとしたら、周三君という一人の人間の事がより一層に好きだなと思った。彼が見てきた光景や苦労を少しだけ感じられるような気がした。

それに、私も日記を書いてるから少し親近感が湧いた。日記を書き始めたのは結婚してからで、全く文章とは縁の無い人生の中で、絵や写真を見て何十年も本を読解してきてしまったツケは確実に私の乏しい文章力へと繋がった。初めの頃の “すごい” の多用は半端無かったと思う。日々の食べ物の記録として書き始めた日記だったけれど、今は周三君と同じできっと未来の為に書いてる。苦しかった時期はもう2度とこんな気持ちにならない為に書いているとも思ったけれど、人間はどんどん忘れる生き物だし、どんどん過去を書き換えてしまうから、いつかの不甲斐ない自分の事や、大切な誰かの事を、その時の今をただ持って置きたいと思う。精神科医の名越先生がラジオで面白い事を言ってた。「人間の世界はSFですよ。」思い込みが大半っていう意味なのだけど、聞いたときは、最高な表現だなって感心した。

どんな過去があっても、どんな酷い事に出会っても、受け止め方は色々。忘れたっていいし、バイバイしたっていいし、しっかり手放さずに懐に隠してたって、堂々と自分の一部の様に見える所に被ったって、旗にして掲げてもいい。何でもいい。人生ってきっと何でもいい。だけど、どうせなら楽しいのがいい。だから、ストーリーは面白くて深みがあった方が私は美味しく感じるから、忘れない為に日記を書いてるのかもしれない。

それで、周三君はどういうつもりで世に公開していない素敵な日記のような文章を私に送りつけて来たんだろう。本当の意味は彼しか知らない。わざわざ聞くのも野暮ったいし、私は一人勝手にその理由を想像しよう。だって世の中SFだし。