
東京に帰ってから、また片耳が聞こえなくなった。だけど、周ちゃんが家に来てから、今朝も、耳からはいつもと同じ音が聞こえてる。そして、不思議なもので、一緒にいたいという気持ちは、いつしか離れたくないに変わってきている。
午前はデスクワークをして、午後に一本撮影があった。帰りの電車で編集の子から、彼氏がモラハラかもしれないんですって話を聞いた。モラハラ。私も、法的に言えばモラハラだった。妻の務めは、女の努めは、私に一択の人生を強いた。「俺はどっちでもいいから、離婚するかどうか好きにして。」久しぶりに帰宅した元夫からの言葉。そして、私達の最後。
「黙って。俺の好きにさせて。」どんなに酷い事があっても、彼の欲望は絶対的となり、それがミュージシャンとしての生き方として彼は肯定されてた。友人やファンが待ってるのだから、とにかく黙って。よく理由がわからなかったけど、私はただ家で帰りを待って、食事を作っていただけなのに、虐げられて行った。「言い返せないんです。」編集の子の言葉が全身を駆け巡る。わかる。正確に言うなら、言い返せさせてくれないんだよね。どんなに訴えても、そんな現実が間違ってる事がわかっていても、私の声は世界から当たり前の様に掻き消されていった。そして、それが愛だと愛だと愛だと、毎日の様に全身に纏わりついてきたら、いつしかそれが愛になってしまう。たった二人の出来事が私達の世界を作っていく。なぜだか、どうしてだか全然わからないのだけど、心に鋭利なものを当たり前の様に刺し続けられてるのに、自分が悪者になってる。そうして、言えなくなってゆく。全てが必然だった。
周ちゃんと食べる食卓は安心する。買い物にいき、何時間もかけて作った食事を、犬の食事の様に10分も経たずに貪られた皿の残りをつつくような事はもう無い。街でどんな女とすれ違ったら振り返るかなんて、どうでもいい話をしながら鍋の中をずっとつついていられる。
夕飯はちゃんちゃん焼だった。