
早朝に起きて納品作業。段々と目処が見えてきた。胸をほっと撫で下ろす。良かった。これなら終われそう。午後に散歩がてらオオゼキへ刺身と海苔を買いに行った。1年ちょっと前、この家に越してきて最初の来客は後藤さん。引っ越してから2週間くらいだった気がする。とりあえずで付けておいたサイズの異なるカーテンだとか生活がまだ馴染んでいない頃に遊びに来てくれた。今思い返せば、住んだ当初は怖かった。夜が来る度にドアの外の足に耳を傾け、夜中にマンションの前でタクシーから降りる誰かの音を聞いては心臓がバクバクした。それから1ヶ月後くらい、警察から最後の電話があって、もう新しい場所へ引っ越しましたと伝えて、何だかそこから少し落ち着いたように思う。夫から避難したのは事実だけど、別に夫の暴力から逃げてたわけじゃない。病の事を説明するのは難しい。だけど、警察にはそう映ってるみたいだった。引っ越して直ぐ、3ヶ月の経過観察も含めて通ってた心療内科を卒業し、体重もあっという間に元に戻っていった。この家に来てからは悪い事は何一つとして起こらなかったように思う。記憶は何度も私を襲い続けてたけれど、現実は温かく見守ってくれてたいた。”最初と最後に行かなきゃね。” 引っ越しが決まってから来た後藤さんからのメッセージ。何だかすごく嬉しかったな。そうして、引っ越しまであと3日。外は雨が急に降り出してる。傘を持った後藤さんが沢山のビールとスパークリングと苺を持っていつもの笑顔で遊びに来てくれた。
引っ越しの片付けも仕事もあったから今日は手巻き寿司。菜花の辛子和えと、蓮根のナンプラー炒め、なめこと揚げ麩の味噌汁を作った。乾杯をして、海苔を手に持った後藤さん。未だ食べてないのに「手巻き寿司楽しい〜。」って子供みたいに目をきらきらさせてる。ミオちゃんはよく後藤さんの事を「ゴッサンは、直ぐに人を信じちゃうから悪い男に引っかかるんだよ〜。」って冗談で言うけど、そりゃ悪そうな男も付いてきちゃうくらいその無邪気さが魅力的ってことだと思う。また一緒に手巻き寿司をしたいな。嬉しそうな顔が可愛かった。
私が東京を離れるのが寂しい寂しいって言うと、「この家で色々とひとりで生活を始めたから、そうゆうのもあるんでしょ。」って後藤さんが言った。そう、元夫との暮らしを捨て、新しい場所で暮らし始めたのはこの家が起点。菊地だった私を捨てて、家具を新しく買い直して、少しずつ少しずつ生活を整えてきた。夏になる頃には殺風景だった大きなベランダも植物園みたいになった。中でも夏のゴーヤカーテンの下で日向ぼっこするのがとびきり好きだった。ここからまた始まったんだ。沢山の思い出がある。東京で暮らして一番好きな家、一番好きな暮らしだったな。
後藤さん今日もありがとう。私の生活ありがとう。