
朝はゆっくりと起きてダラダラと過ごした。昼頃、駅前のOKストアに明日の買い出しをしようと外に出ると雨がポツポツ。あーあ。帰りにインドカレーでも食べて帰ろうなんて話してたのにな。「どうする?」「うーん。近所の饂飩屋に電話してみるよ。」こんな事を考えるのは良くないって思うけど、前の旦那さんはそんな事してくれなかった。「行けば何とかなるよ。」とか、「スーちゃん電話してよ。」って言った。私は電話が苦手だからよっぽどじゃないと電話しない方を選んだ。だってずっと頑張るのは疲れるから。家から歩いて5分。店らしからぬ感じの店。こんな場所?住宅街の中に砂利の駐車場、店内は綺麗そうだけど入りたいとはあまり思わないかも。「いらっしゃいませ。さっき電話してくれた方?」年配の女性の方が席へと案内してくれた。隣は60代の夫婦、その隣も同じ世代の夫婦がお酒を飲んでいた。何だかいい感じの店。お昼から日本酒と板わさなんか食べたくなる。
周ちゃんは蕎麦と天丼のセット、私は野菜の天麩羅饂飩にした。天麩羅は長い間苦手な食べ物だったけれど、こないだ周ちゃんと高橋くんとサボテンを買いに行った時にすごい久しぶりに食べたら美味しくて食べれる事がわかった。それにしたってなんて美味しいんだろう。手打ちの形が不揃いの饂飩。つるつると口の中に綺麗に入っていく饂飩も好きだけど、不揃いってどうしてこんなに魅力的なのかな。ざるからどんどん失くなっていく饂飩、少し寂しかった。あっという間に食べ終わって、雨がしとしとと降っている中を傘を並べて歩いて帰った。美味しくて機嫌が良かったのかな、鼻歌を歌う私に周ちゃんが笑いながら言った。「お腹が一杯って歌だね。」「え、うん。そうだよ。」私、そんな鼻歌歌うんだ。歌とか歌うんだ。どっちがどうとかじゃないけど、誰といるかで私って変わるんだ。同じ私なのに私は頑張るのをやめたら変わった。鼻歌を歌うのをいつも聞いている方だったのに。
帰ってお茶をしたらすごく眠くなって、周ちゃんと梃子とみんなでベッドで昼寝をした。雨はどんどん強くなっていく。気持ちがいい。またぐんと気温が下がったけれど、それもいい。ひとりでそっと起きて書斎でお茶をすすりながらマユミちゃんからの手紙をもう一度読み返した。最近、藤井風さんっていうミュージュシャンが気になってるらしく、Taylorのshake it offっていう曲のカバーがすごくいいよって書いてある。youtubeで流しながらまた手紙の続きを読んだ。こんな風に音楽を聴くのはすごく久しぶり。女の子が誰になんて言われようと私は私らしく生きていくっていう曲。音楽ってやっぱりいい。少しだけ泣きそうになった。音楽は離婚してから聞かなくなったけれど、音楽が悪くない事くらいわかってる。嫌なのは元夫が歌を歌ってたっていう私の思い出。音楽の力みたいなのを感じるのが怖かったんだと思う。そしてそれをまた感じてしまったら戻されてしまう気がして避けてた。だけど、聞けた。そして、すごく良かった。
マユミちゃんは離婚の色々が落ち着いてきた頃に少しだけ離婚の事を話して、生活を立て直し始めるのと同時に文通も始まった。だからか一人勝手にこの文通が私の生活をちょっと見守っていてくれてるような感じがしてる。それに、たったの数ヶ月でも、この1年でも、お互いの生活がガラリと変わって、送ってくるポストカードも、送るレターセットも、その時々で色々と思い出が詰まってる。また今年もこれからも文通を続けよう。この文通がやっぱり好き。それから、日記の写真集を作るのをやめようかなって考えていたけど、なんだかもういいやって想う気持ちも考え直そうと思った。本当に作りたいのかどうか、本当が何かわからないけれど少し考えてみよう。パリで生きるマユミちゃんを想うと私も頑張たい。写真集を作ることがそれに値するかはわからないけど、このまま今にお腹を満たすだけで今日が終わるのは何かをやり残してるみたい。苦しかった事は未来になっても苦しいけれど、だからってそれを忘れようとするのも違う。生きることに少し余裕が出てきたらか、今だけじゃなくても、今や過去を行ったり来たりしてみるのもいいのかもしれない。いつか死んじゃうのだし、そうやって色々を忘れちゃうのだから。