佐藤錦

Journal 21.6,2022

昨日は朝にパリのマユミちゃんから手紙が、夕方に福島の教習所から山形の佐藤錦が届いた。仕事から帰った周ちゃんにさくらんぼの包みを冷蔵庫から見せると嬉しそうな顔。周ちゃんは山形で8年の間、大学と大学院に通い、そして大地震が起きて中国への留学を諦めて震災復興に2年。そして、3年前に別れた婚約者と出逢った。周ちゃんにとって山形は思い出が沢山詰まったところだ。その頃の私と言えば、やっぱり東京で恋しかしてなかった。世田谷で一緒に生活してたグラフィックデザイナーである寺の坊主と別れて恵比寿でデペロッパーの男の家に転がり込んだ頃。スチャダラパーのボーズさんに可愛がってもらってた彼に夏に野音でやってたスチャとTOKYO No.1SOUL SETのライブへ連れて行ってもらったのがきっかけで恋が始まった。それから、かせきさんのミックスを貰ったりして、私の中には東京がまた色濃く流れて行った。周ちゃんとは年が一つしか変わらないのに、当時の私はとにかく東京でうだつの上がらない生活をしてた。夜ともすっかり仲良しで、名前の知らない友達は数え切れないくらいにいて、私もその中の一人みたいで恋でもしてないと息が切れそうだった。けど今日も明日も明後日も昨日も同じだったから、哀しいこともなければ、お財布はいつも空っぽだし、何も失うものもなければ何でも手に入るような気分だった。そんな頃にまゆみちゃんと出会った。まゆみちゃんと出逢ったのは当時バッハで働いてた山口くん家で今は奥さんになった坂本美雨ちゃんと付き合いたての頃に開いた華やかな家飲み。私は前日に大西さんとカエルさんせいかちゃんと祐天寺のばんで呑みすぎて泥酔してどこかでこけたからお湯割りのお酒を飲んでた。まゆみちゃんはそんな私を気に入ってくれたのか、どうしてかわからないけどあっという間に私達はなかよしになり、パリにも2度ほどお邪魔して、1度は作品撮りを手伝ってくれた。

さくらんぼを食べながらまゆみちゃんの話を周ちゃんにした。まゆみちゃんがパリに行った経緯とか、グラフィックデザイナーをしてたとか、センスが抜群にいいとか、なかなかいない友達だとか、両腕に入ってるサークルのグリーンとブルーのタトゥーの話とか、そして、過去のまゆみちゃんが大好きだけど、最近のまゆみちゃんは昔を脱ぎ捨てたように変わって今まで以上に素敵になったという話をした。それから手紙の中に私の過去の色々、離婚したり結婚したりの色々な行動が今のまゆみちゃんに勇気をくれたよって書いてあったのが嬉しかったことも話した。私はさくらんぼを動物みたいに貪って食べながら話し続けて、周ちゃんはただただ笑顔で聞いてくれた。

食卓で光るさくらんぼ。私が知っているさくらんぼよりもずっと大きくて、ずっと赤くて綺麗。私はまゆみちゃんが大好きだし、私の方こそまゆみちゃんに沢山の勇気を貰ってる。それに、こうして話を聞いてくれる周ちゃんといるようになって、昨年よりも一昨年よりもずっとずっと人生が鮮やかに色づいてきてる。幸せは作るものだとよくいうけど、私はいつだって幸せになりたかったし、そのことについては努力を惜しまずやってきたつもりだけど、頑張ったからと言って手に入るものじゃなかった。それは私の中に内包されているものではなくて、私が愛してる人たちの愛情のそれぞれが世界を色鮮やかに照らしてくれてるように見える。温かい色で光って見える。