朝食は瞳ちゃんと外苑前のベルコモンズ跡地にできた青山グランドホテルにあるBELCOMOでモーニング。青山が好きだけど、青山は子供の時から知ってるけれど、変わったんだろうか。変わっていなそうな気もする。レストランの朝は東京にしか生息していなそうな男や女がちらほらといた。まるで紙面みたい。綺麗に全てがパズルのように整理されてる。
席について瞳ちゃんはアボガドトーストを、私はサラダパンケーキを頼んだ。お互いの近況や、瞳ちゃんが最近少し困っていることや、仕事の話をした。最近ずっと考えてることがあった。田舎暮らしを初めて気づいたことがある。新しい未知の生活と共に私の中にやってきたイライラは私が東京をコントロールする女だったからだということ。離婚して一人暮らしを始めると、とにかく楽だった。好きな時に寝て好きな時に起きて、好きな時に食べて好きな時に酒を飲む。誰にも何も言われない部屋で。1日中パジャマを脱がなくてもいいし、洗いざらした下着が捨てられなくてもいい、日記はいつまでもテーブルに開いたままで、一昨日に食べる予定だった食べかけのケーキだって冷蔵庫に眠ったままでもいい。だって1人じゃ食べきれないもの。いつかきっと食べるもの。
やっぱりあの服が欲しいと思って電車に飛び乗れば、あっというまに新宿伊勢丹に着くし、PMSが始まれば固く家の扉を閉じて携帯はカバンの中に入れっぱなしにすればいい。誰かがいないだけで、私だけの世界はこんなにも早く上手にくるくると、手を上げれば直ぐに止まるタクシーみたいに、スムーズに世界へ向かって走っていく。私がひとりになって手にしたのはコントロール出来る世界。簡単にそれが手に入る東京だった。瞳ちゃんの話を聞いていて、そんな私の事を思い出した。「積み重ねていないことが好きじゃないの。」瞳ちゃんの言葉に深く同意した。私もそう。だけど、東京は空っぽの紙の家を簡単に建てられる。あたかも、本物かのように。
周ちゃんがこないだ言ってた。「東京はなんでも買える場所だよ。」それは、東京はなんでもが手に入らない場所だっていう意味らしい。日本のあちこちに行き、その土地の研究を重ねていく中で知ったことは、その場所でしか見えないこと、手に入らないものがあるってことだそう。流通には乗らないもの。それはどんなにお金をだしても東京では出会えない。物だけじゃなくて人も事も同じくして。
数ヶ月前にミオちゃんに「どうしてあんなに結婚で苦しんだのにまた結婚を選んだの?」って聞かれた。すごくいい質問だと思った。もし私達が動物だというならば、きっと私はこのままだと危ないと思ったのかもしれない。どんどんと世界をコントロールすればするほどに私の世界は狭くなっていく。色々が見えなくなっていく。中年にさしかかって生きやすさを手に入れた分、きちんと失うものもあった。そして、東京を出たからこそ私がそういう女だったんだって気づいた。ひとりで生きていくのは楽しい。今思い出してもうっとりする日々ばかりだった。久しぶりに友人と沢山の話をして、沢山のことを考えた。