
朝はゆっくりと過ごした。周ちゃんは珍しく二度寝をして、私は読みかけの本を読んだ。寝起きの周ちゃんとぽつぽつと話し始めたアドラー心理学の話で盛り上がって、もっと詳しく話そうと散歩に出た。お題は結婚コンプレックスについて。
結婚2回、離婚1回。もう結婚にはコンプレックスも何も無い。だけど、確かに一度目の結婚では、しっかりとコンプレックスの渦にしっかりとぐるぐる巻にされていた。今思い出すとゾッとするような会話を既婚者の友人と当たり前のように話していた。「独身の友人って、どうして独身なのか理由がわかるよね。」「わかる。わかる。」たまたま結婚しただけなのに、そこには何故か断絶された大きな境目がしっかりと見えていた。あれって一体何だったんだろう。「それってさ、中学とか高校の時に男が童貞か童貞じゃないかみたいな話に似てるよ。どんなに勉強ができても、運動ができても、童貞捨ててるやつの方がすごいみたいになっててさ、今となっては本当に意味の無い話なんだけど。」「その例えすごいね。」幻想がいつしか現実になる。それは未婚者も既婚者も一緒になって作り上げた世界のように見えた。敢えて口には出さないけど、そこに漂う空気みたいに誰しもが感じてたんじゃないか。そうやって結婚コンプレックスは双方の想いの中で勝手に堂々とひとり歩きしてる。
離婚して良かったなと思うのは、結婚からドロップアウトしたと思っていた私が、結婚は私の意思で捨てたのだと理解した時。離婚した私にバツがつくのではなくて、私が駄目だから離婚したわけでもなくて、私達の関係性は生きていく上で私も彼も幸福になれないと判断したから。私は幸せになる為に結婚をやめた。彼が病気だったりとか、お酒で暴れるからじゃない。愛が失くなったわけでもない。最期までしっかりと愛していたし、だから憎んだ。それに、離婚してしばらくすると、独身の友人が私の食卓を賑わすようになったのはとても面白いなと思った。彼女達は私が知っていた以上に自立していて、器用に自分の為に幸福を作りあげる事が上手な事にも驚いた。中には彼氏がいない女も沢山いる。そして、時々、気になったのはシングルである彼女達がシングルである事に引け目を感じているように見えたこと。私からしたら何ひとつだって欠けてない。男と幸せを交換なんてしなくたっていい。
結婚を決められない彼氏ともう長いこと同棲してる友人は別れるタイミングを失って、次の人を探すこともいつしか諦めて家を出れない全てを飼い猫の所為にしてる。美人で可愛らしい女だったけれど、最近はもうあまり会ってないし、誕生日にメールしたら、もう祝う歳でもないからとさっと返信がきた。既婚者の友人は夫が子供を欲しがらないそうで、仕事もあるし、子供は別にいいかなって言ってたけど、彼女が夫と旅行やデートをしないのは猫が3匹いるからだと言ってた。最近結婚した友人は長い事セックスをしてない。結婚願望が強い子で結婚しないのならもう先は無いくらいに半ば脅しかけた状態で結婚を決めたけど、よしみちゃんははまだ付き合いたてだからセックスしているだろうけど、うちはもう4年くらい付き合ってるからさ、私も別にしなくていいしと言ってた。離婚して気づいたのは、男イコール幸福みたいな幻想も結婚コンプレックスの延長線上にあったこと。いつでもどこでもひとりでも誰といても幸せになっていいのだし、どうして結婚したり男がいたら我慢しなきゃいけないんだろう。それに、別に結婚状態は自然自発的に幸福を生むものじゃないし。夫や彼氏っていう人間は湧き出る泉のように私に幸福を与え続けてくれるものでもない。上から目線で語らう幸福に蓋をする既婚者と、どこか引け目を感じながらも自ら幸福を積み上げてく未婚者。もちろん全ての女がそうじゃないけれど、私の知ってる東京では珍しくない光景。いい悪いじゃなくて、そこはただ、一方通行で冷たい場所に見えた。そっと腕を掴もうとしたら、さっと引き払われるみたいに。
「結婚コンプレックスってなんなんだろうね。」「男でも会社員だとあるかもしれないけどね。」「ただの幻想に過ぎないのにね。」結婚なんてというか、結婚はいいものもでもないし、すごいことでもない。ただの制度。そこに幸福を肉付けしていくのは互いの努力であって、結婚自体には何の価値だってない気がする。それに、個人的には独身の女たちが羨ましい。周ちゃんのことは世界で一番愛しているけれど、いつ誰と恋に堕ちてもいいなんて、あまりにロマンティックすぎる。それを世の中は自由気ままというかもしれないけれど、どうして一度きりの人生を好きに生きちゃいけないんだろうか。