
昼に渋谷でしみるさんと名刺の打ち合わせと、sonyのデジコンを渡した。4月に新しい生活を記録する為に買った久しぶりのデジコン。散々吟味したけど、やっぱりsonyもズームレンズもしっくりこなくて手放すことにした。しみるさんはもうすぐ赤ちゃんが産まれるから写真を撮り始めたいのだとか。私はもう一度フィルムに戻ろうか迷ってる。窓から見える明治通りにはひっきりなしに車だとか、駅に隣接した歩道には人が入ったり来たり。東京はやっぱり変な場所だ。過去にこの場所から歩いて家まで帰っていたなんて、なんだか変な感じ。「地方が変わってるんじゃなくて、東京だけが変なんだよ。」福島の免許センターで教官のおじいちゃんが言った言葉。「車って、最近乗る人が減ってるっていいますよね。」そんな話をしたら、田舎は車がないと生活が出来ないし、車の免許はみんな持ってるよって。私の普通は東京だけの普通。周りの友人達の殆どは田舎出身だけど、みんな、今を東京をどう感じて生活しているんだろうか。
しみるさんとバイバイして、フジモンとミス・サイゴンでランチ。「フジモン、ごめんね。話したい事がありすぎて、とにかく目の前に出て来た言葉だけを話すよ。」田舎暮らしの事、大学や心理学のこと。フジモンが学び始めたきっかけだとか。精神疾患の病を患っている人の話、私が最近いろいろと行き詰っていること。採れたて野菜と東京で食べるレタスの違いについても、鼻息荒くして盛り上がった。スーパーで売ってるのはレタスじゃなかった。いや、レタスなのだけど、レタスはあんなに柔らかくない。パリッと、そう弾けてるよね。同じものなのに、全然違う。世界の認識と田舎で食べる採れたてのレタス違いについて激しく互いに同意した。それはアユルヴェーター的にオージャスが死んじゃうことらしいのだけど、スピリチュアルな表現は置いておいても死んじゃうっていう感覚はよくわかる。流通されている間に、手元にくる頃にはもうオージャスがなくなってしまうのだとか。口の中で感じる限りだけど、ありありとわかる。今さっきまで生きていたのか、もうずっと前に終わってしまったのかが。
それからフジモンの車で富ヶ谷の方へ移動して、移動中も鳴り止まないアラームみたいにとにかく話は忙しなく続いた。「誰を信じるべきか。病気の時にわかったんだよね。」「うん。わかる。」身体も心もどうにもならなくなってしまった時。ゴールさえ見つからなくなってしまった時に沢山の声はいい加減な声にいつしか変わって、私を救ったのも病院だった。中には手助けをしてくれた友人や家族もいたけど、最終的に治療というものが私の生を明日に繋いでくれた。私もどうして心理学が勉強したいのか正確にはよくわからないけど、知りたいことがあまりに多すぎるし、日常のあちこちで歪んだなにか見かける度に敏感に全身が反応してしまう。放っては置けなくなる。元夫の為に行こうとしたアルコールの自助グループ。行ってしまったら病気を認めてしまうことになる気がして結局、区に電話しただけで、折り返しの電話は数週間無視し続けた。世界には言えないことがあまりに多すぎる気がした。言わなくてもいいのだけど、言ってもいいのにって。言えなかった私を見ているようで、救ってほしいと望んでいたのに、いつまでも言えなかった私みたいで。
色々を話していてどうしてフジモンとはずっと友達なのかわかった。フジモンが病で知った世界のことは私が想像することは出来るものじゃない。それは逆も同じくして。だけど、一度でも、自分の生が終わるかもしれないと感じた時。レタスみたい。終わってゆくことを舌の上で気づいてしまったとき。生きるとか死ぬとかが自分の内部でしっかりと確実に理解していくのは恐怖だけじゃなくて、世界への失望みたいなものが見えてしまうからじゃないかって。私ひとりの想像の話だけど、そう思った。だけど、だから。今を生きてる。失望の逆を歩くことにしたから。そんな風にして友達である気がした。
夜はひやむぎ。うちのひやむぎは薬味たっぷり。今夜はもう面倒だったから庭の紫蘇はいれなかったけれど、青葱と茗荷をこれでもかってくらい刻んでたっぷり乗せて食べた。今日はいい日。やっぱり友達はいい。色々な世界のことを教えてくれるし、私ひとりだと間違えてしまいそうなことを気づかせてくれる。