
昨日の夜が遅かったからすっかり寝坊。7時くらいにみんなで裏山に散歩へ行った。もうすぐ夏も終わりなのかな。山の中は少しひんやりしてた。帰宅して山若くんは温泉に行き、フミエさんと周ちゃんと私は山若くんが買ってきてくれた西瓜を食べた。周ちゃんは私が一つを食べ終わる前に3つくらい食べていたけど西瓜が好きだってことを初めて知った。それから、フミエさんは周ちゃんに聞きたかったという日本の豆文化について教えて貰い、私は書斎で写真の整理をした。
「お腹空いたな。何か食べる?ご飯かパンかひやむぎか。」帰ってきた山若くんに聞くと「ご飯!オランダ煮できる?」とのこと。昨晩も作ったオランダ煮。山若くんがよくお婆ちゃんに作って貰ったという石川県の郷土料理。昨晩に初めて作ったけど、揚げ浸しと似ている甘辛い味付け。こないだ那須で買ってきた米を研ぎ水に浸して、夕飯の残りのスペアリブと冬瓜の塩煮にゴボウや人参を入れて味噌汁にして、茄子のオランダ煮を今日は甘めに作って、あとは適当に梅干しとからっきょうとかを準備した。フミエさんと周ちゃんはずっと豆の話しをしてる。
「山若くん、ちょっと聞きたいんだけど。写真のレイアウト迷ってて。写真を組むのはすごく好きなんだけど、組んじゃうんだよね。言ってる意味わかる?」「え?どういうこと?」「うーんと、組で写真をコントロールしちゃうっていうか。」「ああ、写真の意図を作ったらいいんじゃない?」「うーん。そうなんだけどね。」「あのさ、例えばなんだけど、あれ、なんで俺ここにいるんだろう?って思うような事って無い?」「どういう意味?」「例えば、清澄白河に展示を見に行ったんだけど、そこで仲良くなった人がいて、うちでも展示やってるっていうからついて言ったら、なんかすごい狭い路地みたいな所にある部屋に連れていかれて、ドアをあけたら、明らかに怪しそうな入れ墨いっぱいの男の人がいてマリファナ吸いながら皆んなで作品を見るっていう場所で。」「え?それは、怖いねぇ。それってさ、若い時にしてたバックパッカーでの旅とかで遭遇しそうな状況。仲良くなった外人の家の実家に遊びに行ってそのままご飯をご馳走になるみたいなのでしょ。」「昔じゃなくて最近は無いの?」「えー?うーん。あるかなぁ。周ちゃんとの出会いがそうかな。」「えー。違うよ。それは面白くないよ。じゃあさ、例えば、ナナちゃんで言うと、こないだ仕事の人とご飯たべて、そのまま事務所に行く予定だったのだけど、たまたま出会ったタイ人と仲良くなってお家に言って、小さなマンションの一室にものすごい数のタイ人が住んでて、もの凄い辛いカレーを食べて帰ってきたんだけど、そういう感じ!」「うんうん。言ってることはわかるけど。最近はあるかなぁ。」それから、今やってるアレックスソスの展示の話し始めた。ソスの展示の中で1時間弱の映像作品があって、アメリカを横断しながら出会った人にちいて行き写真を撮るというドキュメンタリーなのだそうだけど、すごくいいよって。そういう事なのだそう。
山若くんはきっと、私に意図しないような出会いをレイアウトを組む時の参考にしてとアドバイスしたかったのだろうと直ぐに気づいたけど、期待に応えられるような返答が出来なかった。それに、それは一つの行動パターンに過ぎないよね、なんて事も言えなかった。山若くんはヒッピーや反社会的、社会不適合っていうキーワードに弱い。そこに強い憧れがあるんだろうなというのがよくわかる。その彼女のナナちゃんはいつも山若くんと一緒にいる所を見かけるし、行動パターンはおのずと似てくるだろう。だけど、。私はもうそういう世界は見たくない。前に元夫の友人が夫の事をアンダーグラウンドで面白いと言ってたけど、現実はコーラみたいに喉だけを刺激して去ってくれるようなものじゃない。身体が切り裂けるような痛みだったり、ゴールのない洞窟みたいな。もう、二度と見たくないし、二度と知りたくない。ぜんぜん面白くないしカッコよくもない。あそこは、ただの地獄。
一生懸命に説明してくれるのは嬉しかったけど、曖昧で凄いねとか、そうだねって優しそうな言葉でしか返せなかった。元夫と一緒だった時に、結局、悪そうな事をしたり、奇抜なことを好む人こそ程、地獄にはおちないよねって何度も意地悪く思った。実際に堕ちる人は勝手に堕ちていく。駄目だと言ってもあっという間に堕ちる。
目の前に起きる事がまるで運命かのように見えるような事もある。ただ雨が降っただけなのに、そこに虹がかかっただけなのに、この出会いは運命だとか導かれたとか。だけど、大体、殆どが自分の意思や目的でここにいるし、何処かへ行く。なんとなくでも、たまたまでも、選んでる。山若くんが言ったような話は映画みたいで面白そうな匂いがぷんぷんするけど、お父さんとお母さんがある日突然に街角で出会って稲妻が走ったように恋に落ちなくても、排卵日にセックスして精子が卵子に辿り着けば赤ちゃんが出来るのが現実であって、お互いが望んで好んで求めて出来た一つの結果だ。偶然や必然的なものが存在しないとは思わないけど、その可能性を膨らませているのは神様でもアンダーグラウンドな世界でもなくて自分自身なんじゃないかなと思う。