9月8日

Journal 08.9,2022

朝に少し吐き気がして、昼になれば治る。そんな数日が続いてる。今朝も朝食はあまり食べられなかった。朝から雨の予報だけど、東京に来れば来るほどに空が明るくなっていった。なんだか、今日はいい日になりそう。今日の編集は成田さん。映像は大場さん。大好きな二人と、ライターは柿本さんとういう女性だった。柿本さんの事は事前に成田さんからとても素敵な年上の女性の方ですと聞いていたけど、あっという間に好きになった。話し方も仕事の進め方も、とても心地がいい大人の女性。

「読者さんは、これ、出来ますか?」料理家のワタルさんが料理する手を止めて言った。ワタルさんがそう言う度に嬉しくなった。少し前のレシピ撮影の現場で配合がおかしい料理があった。そこそこ大きなプロジェクトだったから、とにかく現場はかつかつ。料理家も編集者も望んでしたわけじゃない事はわかってるけど、撮影は中断されなかった。レタッチでどうにかごまかされる料理、この料理は誰に届くんだろうか。あの日の事を思い出した。とても虚しかった日のこと。

ワタルさんの質問に対して丁寧に答えるライターの柿本さんや共に意見を重ねる編集の成田さん。側にいる大場さんも映像を撮りながら輪の中で話してる。平和や安全と同じで色々は当たり前なようで当たり前じゃない。小さくて見過ごしてしまいそうな優しさを、皆で拾い上げていくみたいだった。そして、それは綺麗に前へ前へと有機的に回転していくように見えた。それぞれがそれぞれの役割を全うしていくみたいに。撮影を始めて数時間で今日の現場がとても好きになって、当たり前の大切な事をきちんと伝えようとするワタルさんの料理をしっかりと私も撮りたいと思った。そして沢山の人に広まってほしい。この料理を作った人もそれを食べた人にも。

「自分の所に来た野菜がどう作られてるのか知りたかったんです。それを知れば知るほどに農家さんがどんなに大変な思いをして作っているのか。草むしりを手伝うだけでも色々な事を考えさせられるんですよ。」ワタルさんの素材への知識と圧倒的な愛情の深さ。撮影中の読者へのこともそうだけど、全て同じ。いつだって私達はひとりじゃない。料理を届ける相手もいれば、料理を提供する為に素材を作ってくれる生産者もいる。沢山の人の中に料理人としての自分が存在している事。日本各地、様々な場所を訪ねて、実際に畑に出て、農家さんの仕事を手伝う。そういう事を繰り返していくうちに自分の料理がようやく見えてきたとも言ってた。キッチンで立ってるだけじゃ見えない。きっとそんな感じだったのかな。少しわかる気がした。ベランダでハーブを取ってきては絵に書いたような料理が出来上がっていく。なんて綺麗なんだろう。シャッターを切りながら、皆の歓声を何度も聞いた。作られたばかりのとても美しい料理。そして、それは食べればなくなり、胃袋を満たし全身をじんわりと温めてゆく。やっぱり料理って楽しい。本当に最高なこと。

挨拶を交わすのを忘れちゃうくらい軽快に話し始めるカナちゃん。彼女も若きエース、料理家。今日の被写体のもうひとり。事前に頂いてた今日の献立を見る限り、大体、こんな感じかなと想像が出来てたけど、その中身は初体験のものばかり。料理が好きだけど、料理ってやっぱり楽しい。美味しいのもっともっと根源。生きた食材を自分の手で調理する時のわくわくした気持ちや、それがどんどん料理として一つの形になっていく時の胸の高まりだとか、側で見ていて色々な感情が沸々と湧き上がるようだった。それに、彼女がお金を稼ぐことよりも、何処まで生活水準を下げて自分の好きなことが出来るかという事に挑戦した時期があるという話も面白かった。それは貧しくなることを意味してるわけじゃなくて、美味しいものが食べられなくなることでもなくて、とても楽しかったと話していた。郊外に引っ越した理由もその一つだとか。美味しいごはんとワイン、そして仲間がいればお金がなくても楽しめるし、自分が望むものをきちんと得れたのだそう。笑顔で話すカナちゃん。ワタルさんよりもさらに若い。

一日があっという間に終わり、十分過ぎるほどに今日が満たされているのに、成田さんとも全然話していないし、大場さんや、柿本さんとも色々話したかったし、若きエースの二人とも話したい。まだ食べたい。美味しい食後の別腹のデザートみたいに、あの場所でずっと満たされていたかった。