水餃子

Journal 09.10,2022

昨晩帰りが遅かったから、今日は気持ちよく寝坊して、夕方からスーパーに買い出し。駅前がお祭で人がごった返す中、私は案の定、不機嫌となり、周ちゃんは祭りを興味深く動画で撮ってた。夕飯は周ちゃんが水餃子を作ってくれた。休日らしい休日。体調もずっといい。姉に話してからというもの、毎日が浮いてしまいそうなくらい楽になった。そして、周ちゃんにも話した。いつかの夜に、ベッドで。伝えたいことの3割くらいしか理解されていないようだったけれど、話したという現実は私を安心させてくれた。別にいい。だって痛みなんてものは共有できないのだから。肩を並べて聞いてくれただけでいい。生理ひとつにしたって説明出来ないのだし、子宮が痛いもPMSもだけど、その何十倍も辛いものだと伝えても、周ちゃんにとっては入り口も出口もさっぱりわからない場所の話だ。

水餃子を上げるタイミングを教えてという周ちゃんに「ぷっくりとなって、上がってくるからわかるよ。」と伝えた。ふたりでじっと鍋を覗き込んで、私は「いいね。いいねぇ〜。」と横から悶た声を出した。なんだか、ここ数日の私もふわっと茹で上がってきてる。身体の調子がいいのもそうだけど、心が脳が休んでいいと決めたお陰なのか、逆にどんどん元気になってる。楽しくて少し忙しいとさえ感じる。だから、「ゆっくり、ゆっくりね。」と声をかけてる。結局のところ、私を苦しめるのはいつだって私だ。どんなに最低な人や事に出会ってしまっても、私が大丈夫なら乗り切れたりする。

苦しいのは嫌だけど、苦しい事があると世界は変わる。躓いたり、何処かを痛めたりすると、生きようと必死になるからなのか、今が嫌だともがいて悲しんだりするからなのか、気づくと全然違う場所に落とされてたりする。小さい頃にオズの魔法使いのミュージカルを帝国劇場で見た。あの時代の母はミュージカルが流行っていたのか、よく子供向けの劇を見に行った。私のお気に入りはアニーだったけれど、季節が変わる度に綺麗なワンピースを着て色々な劇を見に行った。家がハリケーンで飛ばされてぽとりと何処かに落とされる。そこから色々がトリップしていくドロシー。西の魔女に東の魔女、そして北の魔女。銀色の靴をかかとで三回打つ度に世界が変わっていく。むちゃくちゃな話だなとも思うけれど、誰かの人生にも似たような事が起きているのかもしれないとも思う。毎日が毎日のままに続く人生の人なんてない。誰だって想像しないような人生を生きてる。驚くような出会いを重ねて今日がある。

「周ちゃんは、どうして私だったの?」いつものように梃子の散歩で聞いた。私の友人を紹介する度に聞いてる気がする。「ミサちゃんとかユウチャンみたいな子に出会ってたら、結婚した?」周ちゃんが私を選ぶ理由が全くわからない。どうして学芸員するような人が写真家としても有名でも無いような私と、たしかに面倒臭いくらいに拘りはあるけど、それだって完全に独自な何かだし、性格だって正直いい方じゃない。寧ろ、ワガママで直ぐに怒るし、大人な振る舞いだって出来なければ、いい友人達のお陰でなんとか人生を楽しめたり、色々を上手に出来るような気持ちになったりしてるくらい。仕事だってわかってるのに上手に出来ない。真剣になりすぎて誰かを傷つける事も沢山あるし、怖がりすぎて失敗ばかりする。周ちゃんの事にしたって、何度も何度も傷つけてしまうし、傷つけてしまった事をいつも後悔してる。

「よしみさ、もうこの話、1万回くらいしてるよ。」「今日の件について云うならば3回だよ。」ねえ、私の事を好きと言って。私のいいところを聞かせて。そんな事は全く聞いてない。本当に周ちゃんが私と一緒にいる意味がわからなくないから聞いてる。だって、私の友達はすごく素敵だし、私の友達以外だって世の中には、きっと周ちゃんの周りには素敵な人が沢山いるはずだ。「どんな事があっても、自分で考えていこうとするところがいいってもう何度も伝えてるよね。」いつもと同じ答えを周ちゃんは言ったけど、そんなものは誰だってそうだと思った。どんな人でも、今日より明日。明日よりその次が幸せでありたいと思うから生きてる。私は周ちゃんの返答に未来みたいなものを求めてるんだろうか。周ちゃんの答えを聞く度にがっかりしてる。

今日はいい日だった。久しぶりに少しお酒を飲んだし、少し酔っ払って気持ちよく寝た。そして、結局のところ、周ちゃんは誰だって良かったんじゃないかとも思う。私もそうだったから。ただ、安全に安心して暮らしたかった。