
朝はいつもより少し寝坊。6時前にのそのそとベッドを抜け出し1時間だけ勉強した。まだお酒が残ってる。身体はずしりと重いけど勉強がしたい。あんなに呑まなきゃ良かった。
朝食は二日酔の時によく作る鶏ガラの梅干し饂飩を作って食べた。冷凍庫にストックしておいたガラスープに冷凍饂飩と梅干しを入れて煮込み、胡麻油と中華スープの素で軽く調味。溶き卵を回しいれて終わり。胃に優しいし食欲もきちんと満たしてくれるから気に入ってるのでここぞという日に作る。二人分の饂飩を作り、周ちゃんと再びベッドへ潜った。起きたのは昼。今夜は私の実家で大晦日を過ごす予定。兄の三兄弟の子供達は周ちゃんに初めて会う。「周ちゃん、お昼どうする?」二度寝から起きたのはお昼過ぎ。家を出るまで後2時間しかない。途中、渋滞にでも巻き込まれたら楽しい大晦日の最中に母の小言を聞くハメになる。「ペンネなんてどうかな?」「いいね!」。
周ちゃんは昨晩に山形の忘年会から帰ったばかり。私は後藤さん家で遊び過ぎて帰宅は夜遅かった。大晦日くらい二人でゆっくりと過ごし、今年の色々を振り返りたいなんて思っていたけど、結局、この一年のようにバタバタと今日も過ぎ去ってゆく。今年は結婚もそうだし、田舎暮らしも、そして妊娠と流産、とにかく休まることなく忙しなかった。新婚を楽しむなんて余裕はあまりなかったように思う。それよりも、どうにかこうにかして新しい生活を組み立てることで必死だった。だけど、この一年間の自分や周ちゃんを褒めてあげたい。昨年からは想像も出来ないような新しい今が本当に好きだ。がむしゃらでも頑張ってやってきたことは確実にこの暮らしの土台となるようなものを作ってくれた。
小さいながらも庭に作った菜園や春に植えたミモザや金木犀はすくすくと育ち、殺風景だったリビングルームも今じゃしっかりと部屋の輪郭を成してる。冬になり遅くやってくる朝陽がテーブルを照らすと、パンケーキや淹れたての紅茶から立ち上がる湯気は私の隅々をじんわりと温めてくれる。車を買ってから周ちゃんの自転車は玄関の脇に置く様になり、誰かの何かが置いてある事を目にする度に私達の生活なんだと実感しては少し嬉しく思うようにもなった。私の部屋のドアの横に貼ってきた友人からの手紙や展示の知らせなどは気付けば壁一面を覆い尽くし、それぞれを思い出す度に友人達への愛に胸を少し熱くさせたりして、東京を離れ陸の孤島のような田舎暮らしを始めたことを後悔するどころか、そんな自分を少しだけ好きだと思えるようにもなった。
長くて短いこの一年。よく頑張った。今夜は賑やかで大晦日らしい夜。父や兄はいつもの様に酔っ払い、忙しなく料理を運びながら嬉しそうにお喋りする母、兄嫁のリーちゃんと仲のいい三兄弟。話はテーブルのあちこちで尽きることなくあっという間に今年の終わりまでカウントダウン。あれから2年。すっかり離婚から立ち直り、全く別の人生を生きるようになった。最近の母は「周三さんは急に変わったりしない?」なんて聞かなくなった。私だけじゃなくて家族も私の1度目の結婚のトラウマを捨てれるようになったんだと思う。
途方に暮れてた2年前。姉と絶対に幸せになろうねと誓った。何がなんでも幸せになってやる。痛む心を押さえながら笑い合った。私一人だったらここまで来れなかった。家族や友人、周ちゃんのお陰だ。心理学のセルフコンパッションの勉強で学んだことに、悲しみから救えるのは慈しみの心だという言葉がある。私達人間は温かみを与える事とそれを受容する力を持っている。これは人間が持ちそなえている性質なのだそう。もし本当にそうなら、そうだと私が信じるならば、今度はきっと私の番だ。栄養が十分に行き渡った私が出来ることは、それをまた誰かや何かに渡すこと。それは周ちゃんなのか、家族や友人。仕事なのか。どれに値してもいい。ただ、思い切りにやってみたい。もちろん、私の人生も存分に大切にしながら。