起きたのは6時過ぎ。いつもよりもずっと寝坊した。毎朝早朝に続けている心理学の勉強。今日はお休みにした。それに、ちょっと気分が悪い。年始から見ている夢がある。つい先日も見たし、同じような夢を何度も繰り返しみてる。今日は母とお婆ちゃんと見知らぬ写真家らしい女性、それから編集の成田さんが出てきた。それぞれが異なるシチュエーションで何かしらの理由で私を責め立てている。毎回どうしてそんなに怒っているのかがよくわからないけど、なんだか申し訳ないような気持ちだとか、私って駄目な奴。やっちゃったたなぁと反省してる。先日、周ちゃんとユングの夢分析について「あれはスピリチュアルの世界の話だ。」なんてバカにしてたくせに、ベッドに潜りながら真剣にユングについて検索した。一応、心理学の療法の一つではある。無意識のところで自分が送るメッセージがどんなものか、そこに隠された深層心理を探りながら問題と向き合っていくという療法。夢占いとは違う。googleでは結局、なんともいい加減な夢占いの記事ばかりがでてきた。だからと言って朝から大学の先生が書いた研究結果のようなPDFの資料をダウンロードしてまで読む気にもなれない。読書でもしよう。数分で諦めて読書を始めた。一昨日に青山ブックセンターで買った坂口恭平さんと精神科医の斎藤環さんの往復書簡本。二人とも元々好きだったけれど、好きと好きの化学反応は掛け算どころか超越していた。文章が言葉がするすると入ってきて気持ちがいい。背中や足に背びれや尾びれがついて人魚のように物凄いスピードで二人の間を自由に泳いでいるみたい。
坂口さんは時々イッてしまうような天才的な文章になるのだけど、それが双極性障害の語り口にとても似ていて、まるで前の夫が話しているようにも聞こえた。とはいえ、坂口さんは公表されているように元夫と同じ双極性障害であり、本人いわくほぼ完治状態。私は精神科医ではないから実際のところわからないけど、あの日々のことを少し思い出した。だけど、もう最近は全然恐怖を感じることはない。寧ろ、あの時のあれは一体なんだったんだろうと興味さえ沸いてる。けど、本当はいつまでも怖がった方がいいんだと思う。自分でも驚くくらいに元の自分に戻ってきてる。元夫と付き合った時もそうだった。彼がおかしいことはわかってたけど、写真を撮ったら面白そうな気もして付き合った。身の危険を犯してまで良い写真に出逢えるんじゃないかと期待しまう欲望やその状況を冷静に受け止めてしまっていた自分。若かったとはいえ、あまりに刹那的すぎる。私達の時代でいう援交をしていた子みたいだ。彼女たちそれぞれにはそれぞれの理由があったとは思うけれど、それ以前に未来や自分の命への愛着がカケラもないような感じだ。
なんとなく成田さんの事が気になってメールした。新年の挨拶と昨晩の夢で怒られた事を伝えた。直ぐに返答があって今度お茶かランチでもしようとなった。”今日、明日でも大丈夫です。” “私も大丈夫。” この週末は藤原さんとしんちゃん、村上美術のゆうやくんが家に来る筈だったけれど、しんちゃんの仕事の関係で昨日にリスケとなったところだった。色々の偶然が重なり数時間後に隣駅になるネゴンボというスパイスカレーのお店でランチをした。ネゴンボはRiCEの撮影で成田さんの編集で撮影に入った店。4年くらい前の話。どこだかわからない寂れた小さな街にポツンとあるカレー屋。何年も前、ネゴンボがこんなに有名になるずっと前に東京ピストルの草薙さんがいつものように「すっごいカレー見つけたんだよ。」目をギラギラさせて話していたのを思い出す。よくもまぁ見つけたもんだと思うけど、草薙さんはやっぱりすごい。あれほど感度の高い人に出会った事がないと思う。結局、今はサウナ本で大ブレイクしてるけど、あの時代にこんな田舎にあるネゴンボを見つけてくるなんて。そしてその街に移り住んだ私。人生とは本当によくわからない。
近況とか成田さんのお仕事の話とか、少しだけインドの話をした。RiCE編集部に入ってもうすぐ6年目だそう。初めて会ったのは大塚での現場でビール特集だった。大学のテストが終わってから来ましたと言ってたけど、あの日から6年だなんて信じられない。それに当時は未だ20歳そこそこで子供みたいに見えた男の子とこんなに仲良くなるなんて想像もしてなかった。何年か前に受けとった電話の向こうでは半べそかいていた事もあったし、かと思えば夜遅くに酔っ払って陽気な彼が満面の笑みで家に遊びに来たこともあった。仕事ではもちろん絶大な信頼を置いてるし、とにかく一緒にいて楽しくて、彼の人柄が好きだからとしか言いようがない。ただそれ以上でもそれ以下でもない。
カレーを食べてから駅前で仕事の話を少ししたけど、どんな仕事をしようともやっぱり誰としたいかだと思った。面倒な話はそこまで考えないでいいのかも知れない。成田さんと話してるとやっぱり彼が好きだなと思う。相変わらず私の日記も読んでくれてるみたいで何だか照れくさい気もするけど嬉しかった。それに、今日はようやく気づいたこともある。私はもっと器用にならなきゃいけないんだと自分を責めてばかりいたんじゃないかってこと。ユング的に考えるのであれば夢というのはフィクションだ。その創造者は私で、私は誰かの役を演じながら私に何かを言う。夢の中で上映されている場所も人も状況も私の頭の中で作られたシナリオだ。夢の中の私は責められているんじゃなくて、私は私を責めたかったのかもしれない。何かがきっと気に食わない。だけど、理想と現実は違う。私はやっぱり器用になれないんだ。ならなくていいのかもしれない。そこで出来ない自分を責め続けても答えはきっと出てこない。出来ない。それでいいんだ。だけど、だからこそ、誰と仕事をするかを決める事がやっぱり大事だし、その為には私も私の写真も間違わないようにしなきゃいけない。今日は会えて本当に良かった。やっぱり仲間はいい。次は大場さんの事務所で2月末にでも新年会をやろうと約束した。もちろん大場さんには何も話してない。