夕飯

Journal 01.2,2023


横浜で取材の合間に喫茶店で合間の時間を潰している時にフォトグラファーの松村さんにLINEした。”ちょっと写真のことで聞きたいことがあるんですがいいですか?” 次の撮影のこと。悶々と考えていても仕方が無いと思って相談してみることにした。直ぐに着信が鳴った。「こないだの車なんだったの?」年末、酒の席で私が欲しい車が何かわからず当てるゲームみたいなものをしていた。「結局、旦那さんに聞いてもわからなかったんですよ。」「何だよー。それでさ、さっきの。感度は上げないよ。800以上は。」あ、。そうだ。感度は上げない。師匠である笹原さんもそうだった。感度は絶対に上げない。重いジッツオの三脚をがしりと立て、どんなに暗い場所でも少ない光を見つけて写真を撮っていた。アシスタントの時に少しだけお金が出来た時に私もジッツオを買った。大きな鉄の塊みたいな三脚。重いし、持ちづらいし、冬は持ってるだけで余りに冷たくて手が痛くなるくらいだった。何度も足をぶつけたし、指も挟んだし。一度だけアメリカで作品撮りをする時に持って行ったけど、よく持っていたと思う。あの時は若かった。結局、数年も使わずにメルカリで売った。相手は高校の先生か何かで、写真部で使う為だと言っていたけど、部の生徒達は本当にあんな無骨な機材を使えたんだろうか。今更だけど時々少し胸が痛む。いい物ではあるけど、素人が扱えるような機材じゃない。

「だからさ、三脚を使うよ。料理を綺麗に撮りたかったら三脚だよ。」松村さんの言葉に大事なことを思い出したようだった。私、何やってんだろう。三脚。つい数年前まではジッツオではなくても、私も三脚をしっかりと立てていた。デジカメになってから出来ることが年々増えていく。その進化は本当に凄くて、軽量化していく機材に反して上がっていくスペック。光をどうにかすることは決して道徳を反してる訳では無いのだけど、人間の背中に羽が生えるとか、体重が軽くなる靴とか、正直、カメラの中で訳のわからないことが現実的に起きてるような感じだ。光が無いと撮れなかった写真が光がなくても撮れるようになってしまった。そうして出来ない事が出来るようになると、誰でも何となく写真が撮れるようになり、それと同時に似たような写真をよく目にするようになった。デジカメを始めた時はこんな状況につまらないなと嫌気がさしていたけど、今ではこれが今日の写真なんだと納得してる。すっかりそんな事すらも忘れていた。曖昧な部分はあっという間に失われ、なんでもコントロール出来るようになった写真。フィルムブームなのもよくわかる。だって予測可能な明日なんて見たくない。それは仕事なら安全でいいかもしれないけど、自分の人生なら誰だってつまらないって言う筈だ。

やっぱり松村さんに話して良かった。本当に良かった。よし、楽しもう!