
書斎で仕事を終えて周ちゃんに手紙を書いた。1階では朝から水詰まりの工事。大家さんと業者と管理会社の人が来てる。周ちゃんが立ち会ってくれて、私は部屋で梃子と籠っていた。大きな音はお昼ごろまでガタゴトと続いた。夕方は近所の小洒落た鰻屋を予約してる。今日は1回目の結婚記念日。
「こんな日が来るなんて、20代の俺に言ってあげたいよ。」
「周ちゃんなら、鰻なんて30代だって食べれたでしょ。」
「違うよ。結婚記念日に店を予約して食事をするなんて、ドラマみたいなことが本当に起きるんだなって。」
若い頃は、付き合った日だとか、出会った日だとか、なんでもかんでも特別にしたがった。もう最近じゃ誕生日だってそんなに特別じゃないし、結婚記念日もそんな感じで大して特別に思わなかった。数週間前になんとなく「食事でもする?」と聞くと軽く頷いた周ちゃん。これっぽっちも想像もしていなかった。周ちゃんは今日の日を喜んでる。
ひとりでビールをあっという間に飲み干してワインを頼んだ。それから、今日は少しいつもと違う話をしようと話した。結婚してからのこと、一年経ってどう?どうだった?とか。記念日に鈍感な私の心はいつまでもどこまでも静かなまま。だけど周ちゃんはずっと笑顔で顔をくちゃくちゃにしてクリスマスの子供みたいに嬉しそうにずっと笑ってた。
私が知ってるよりもずっと簡単なことで誰かを幸せにできるのならば、もっともっとしたい。私が周ちゃんの妻じゃなくとも、周ちゃん以外の誰かに対しても、とにかくそうしたいと思った。天井が高くて日本家屋の屋敷みたいな薄暗い店内。少しだけお酒が回っていたのかもしれない。私の小さな願いはぼんやりとして見えるけれど、しっかりとここにある感じ。願いや祈りみたいに手放さない。いや手放したくない。傷つけないようにと柔らかくしっかりと。
私は何も要らない。誰も気づかないような少しだけの光でいい。松陰神社に見つけたマンションでそっと静かに暮らせたらいい。そう願っていた日々の中で突然に現れた周ちゃん。2021年11月。離婚から丁度1年。ようやく夫の影が街から消えた秋も終わりの頃だった。走るバンを見ても動揺することがなくなり、警察からの電話も鳴らなくなった秋に。
男の人に触れられるのでさえ怖かったのに、出会って直ぐに抱き合って結婚した私は本物のバカだったと思う。顔が小さくて学芸員をしているというイケメン。いまだに私の何がよかったのか聞いても周ちゃんの答えはよくわからない。
「そう感じたから。直感だった。」
結婚はそんなに簡単なものじゃない。だけど、そんな風に決断してしまうのもわかる。きっと人生をどうにかしたかったんだろう。いつまでもここにいたらいけないと覚悟したかったんじゃないか。もし本当にそうだったとしたら、結婚を恐れていた私と同じ。だけど、理由なんてなんだっていい。結婚なんてと言う私に、結婚をしようと言う男が現れて、怖いから嫌だとは言いたくなかった。
2度も結婚をしてみて思うのは、やっぱり結婚は大変だし面倒なもの。楽しいことも沢山あるけど、ひとりの方がずっとラクでいい。だけど、望まなければ望まない程になにかを見つけられるような気もしてる。最近は特にそう。おかしなもので、2度目は2度目で全然違う結婚をしてる。
手紙に書いたことはいつも通りに冷たい私からのお願いごと。”結婚は上手くいかないこともあるけど、くだらないことで毎日をどうにかしたくない。せっかく結婚したのだから、これはチャンスにしよう。” 本当に冷たい女だと思う。だけど、周ちゃんが結局好きだし、さらさらと書いた。一生あなたを幸せにしたいとか、幸せにしてとかそういうのは間違っても絶対にパスだ。アルバイトの牧師さんに「神の前で誓いますか。」と言われてる新郎新婦を見て、私ならこう言いたい。人生はそんなにつまらないもんじゃない。人生は壮大だから、そんなファンタジーみたいな事言わないで。自分の時間をどうか粗末にしないでって。
どちらかが先に死ぬだろうし、電撃的な恋に堕ちてしまうようなことだってあるかもしれないし、いつかさよならする日は必ずやってくる。ここにあるものはずっとあるわけじゃない。抱え込むことなんてしたくないし、だからって簡単に手放すつもりもない。ただ、消えてなくなる前に私が出来ることをしたい。その為に私はあなたの力になるし、私もあなたの力になる。
私の望みは、ただ今日が腹一杯に。互いの胃袋が美味しさで十分に満たされていればいいだけ。