
13年前と同じだった。
師匠に会ったのは2009年の秋。大学生みたいに肩からトートバッグをかけて、何かが始まったばかりのような、これから始まるような初々しさ、いや春の新芽のような清々しさに近い。本当にこの人がフォトグラファー?少し拍子抜けした。
“アシスタントを募集していませんか?” コマフォトに載っていたメールアドレスにメッセージを送ると、”募集はしてないけどポートフォリオを見ることくらいなら。”と返信があった。それから3年間、写真を撮る師匠の横で、同じ目線で被写体をそして師匠を見続けた。
「お久しぶりです!」「あ〜お久しぶり〜。」
歳を重ねれば重ねるほどに思う。この人がいなかったら私は写真を生業になんて出来なかった。どこまでもとにかく真っ直ぐで、強がったりかっこつけたりしない、誰かのことを馬鹿にしたりなんかもしない。向き合うのはいつも自分だけ。弱い自分の事を弱いんだと言いながらも、カメラを構える姿に胸を強く打たれた。
今日会うのは3年ぶり。そしてあの日を境に元夫は家に帰らなくなった。
きっかけを作るのは時間の問題だったと思う。きっと大切な人のせいにしたかったのかもしれない。久しぶりに師匠から手伝ってくれない?とLINEが入った。アーティストの撮影でお台場で朝までの長丁場。それまで週6日で撮影をしていた日々はコロナの影響で仕事がパタパタとキャンセルになり暇を持て余していた。
帰宅したのは7時前くらい。玄関を開けると酒気の中でゆらゆらと溺れている夫がいた。病は年末あたりからじんわりと始まっていた。それは数年ごとにやってくる悪魔。やめたお酒を当たり前のように飲み、大声で発狂したり暴れたり。急に激しく喋りだしたかと思えば、死んだかのようにパタリと連絡が取れなくなったりもした。
元夫の奇行はアレみたいだ。マリオがスターを見つけると完全無敵になるやつ。だけど、あれはゲームの中の話。生身である人間の身体が同じことをしたら身体中が傷だらけになるだろう。よくわからないのだけど、元夫は全身のすべて、心も完全に麻痺してるみたいに見えた。痛みの全ては何処かに消えてしまったようで、アドレナリンに縫い付けられた身体がマリオみたいに爆走していた。
コロナが始まり私を恐怖のどん底に追いやったのは、コロナだけじゃない。元夫と一緒になってからというもの、私は変わった。誰かに「大丈夫?」と声をかけられても酔っ払い相手だし酔拳みたいな暴力だしさと笑い飛ばした。私はミュージュシャンの妻だ。こんな事で泣き言なんて言ってられない。頑なに私は宛もない誰かに牽制し続けた。これが愛なんだって。家族だから私が夫を助けなきゃいけない。だけど、もう我慢も限界で、久しぶりに師匠の顔を見ると直ぐにそれを認めた。
「また嘘ついたの?またお酒のんだの?お酒やめるって言ったじゃん。」夫を叩き起こし責め立てる私の声が部屋中に響き渡った。喉のあたりがジリジリと押し潰されるみたいに苦しくなって、目からは涙がどんどん溢れていく。そして、半年後に離婚した。
元夫はお酒が酷く入ると師匠の悪口を言った。「お前の師匠は中途半端に音楽やりやがって。」って。
悔しかったんだろう。仮にもメジャーデビューしたのに、フォトグラファーをやりながらもミュージシャンとして、今でもラジオや街で曲が流れているSpangle call Lilli line。それに比べ、自分の音楽はどんどん衰退していく。師匠が音楽をやっていたのも、元夫がミュージシャンだったのも、全てはたぶん偶然だけど、もしかしたら必然にしたのは私なのかもしれない。元夫は苦しかっただろう。私は写真も音楽も真っ直ぐにひたむきに頑張ってる師匠が大好きだった。
「よしみちゃんの料理写真は情念があるんだよ。それに、本当に情念の人なんだよ。昔は僕が師匠だったけれど、今は学ばせて貰ってる。」師匠は少し酔っ払っていたのかもしれないし、そうじゃないような気もした。ただ、久しぶりに会ったことを喜んでくれてるみたいだった。毎年送ってる年賀状も楽しみにしてると言ってくれた。今日はフォトグラファーの松村さんも一緒。3人で吉祥寺の暖簾がいい感じの店でビールを飲んだ。師匠は誰もが知ってるようなミュージュシャンのジャケットを撮っているし、松村さんはコウケンテツさんの料理や暮らしの手帖など憧れの雑誌で撮ってる。尊敬する二人のフォトグラファーの前で自分の写真が褒められるだなんて恥ずかしいやら嬉しいやら、何て言っていいのかわからなくて上手く返せなかった。
だけど、もし師匠の言うように私が情念というものを持っているのなら、それは間違いなく師匠から貰ったもの。「僕は本当に自分のことしか考えてないから。」と何度も言ってたけどそうじゃない。なんとなく応募した1wallで、するりと何度か審査を通ったくらいで、ギャラリーに所属したりもしたけど、結局のところ写真作家としてパッとしなかった。言い方は変かもしれないけど、酔っ払っては何台もカメラを壊していたような私を引き取ってくれたのは師匠だ。それまでの人生、世の中を斜めばかりをみていた私に真っ直ぐと前を向いて写真を撮ることを教えてくれた。
何も出来ない私に師匠が怒ったことは一度だってない、嫌に思ったこともない。師匠の車で流れる音楽が好きで、夕陽だとか光が綺麗な時間に「綺麗だね。」って短い言葉だけを交わす時間も好きだった。多分、もしかしたら遠いい過去に同じような場所で生きていたんじゃないか。例えば互いに海の生物だったとか。水の奥底でしか見えない景色を知ってる。そんな感じだった。だけど、私はあんなに立派じゃない。だからこそきっと憧れた。
私が失ったものは沢山あったけど、今日もこうして写真を撮っていられるのは師匠のお陰だ。師匠の強さは私の人生を変えてくれた。