
昨日は久しぶりにナッチャンに会った。那須で仕事の打ち合わせで会った以来だ。今日は朝は仕事と庭の植え替え、午後は選挙へ行ってから近所の喫茶店で周ちゃんと勉強。昨日のお酒が少し残ってる。
前に角田さんが「年齢が過ぎても前へでたがる方もいらっしゃるけど、どうしてなんでしょうね。」って言ってたことを時々思い出す。昨晩はやっぱり飲み過ぎた。ずっとモヤモヤしてることが原因だろう。片手にビールを持ちながら周ちゃんに聞いた。
「どうして自分だけの利益のために必死になっちゃうんだろうね。そういう人っているよね。」「いるよ。そんな人、会社なんて沢山いるよ。」「自分だけ昇進するとか、お金を貰うとか、目の前の目的だけの為に周りを排除?なんて言うんだろう。なんかさ、上手く説明できないんだけど。」「そういう人とは一緒にいたくないかな。」「それ、それだよ。それが答えだよね。」
結局、目の前の何かは手に入ったとしても、「ああ、残念な人。」って人に思われたら、失った信頼を元に戻すことは難しい。もしくは、同じような目線で付き合っていくしかない。この人は私にとって利益があるの?ないの?って。だから、やっぱりそんな面倒な関係なら面倒だし、そもそも楽しくない。
けど、私も若い時はそんな時期があった。数年だけデザイナーをしていた頃のはなし。社長に気に入られたいとか、特別に思われたいとか。あの頃は本当に青臭かった。思い出すだけでもゾッとする。
「けどさ、そういう人って結局、そうするしかない人なんだよ。」
周ちゃんが言った。確かに、青臭い私にはそんな事しか出来なかった。一緒に働いてる人と楽しくやりたいとか、作ったもので誰かを喜ばせたいとか、私のことばっかりで誰かのことを想ってあげる余裕がなかったし、足らない自分を補うことばかりを考えていた。
勝手なものだなと思うけれど、人って他人へまで期待してしまう生き物だ。けど、現実はそうじゃないこともある。その人の想像しない一面を知った時に、あっそう。バイバイ。なんて簡単にはいけなくて、目をつぶってみたり、自分のほっぺをつねってみたり、どうにもならなくて、私が見間違えたんだと問題の矛先を自分に向けてみたりすることだってある。だけど、結局どれにしたって虚しいからであってどうにもなれないまま時間だけが過ぎていく。大人になればなるほど、頭で理解することが増えていく一方で世界は明確な答えを教えてくれなくなった。
私の今日は味の決まらないカレーみたいだ。