「食卓」は、私が作った料理と写真と日記です。
母は料理がとても上手な人でした。子供の頃、家でしか食べた事がないような料理が沢山ありました。だけど、どういうわけか、ちょっと恥ずかしくて秘密にしていました。キャビアのことも、ラザニアのことも、土瓶蒸し、テリーヌ、ピンク色の寿司飯、ミートローフのことも。
きらきらとひかる食卓が美しくて、その光景がすきでした。
「食卓」は、私が作った料理と写真と日記です。
母は料理がとても上手な人でした。子供の頃、家でしか食べた事がないような料理が沢山ありました。だけど、どういうわけか、ちょっと恥ずかしくて秘密にしていました。キャビアのことも、ラザニアのことも、土瓶蒸し、テリーヌ、ピンク色の寿司飯、ミートローフのことも。
きらきらとひかる食卓が美しくて、その光景がすきでした。
大学院へ行く鞄が重すぎて吐きそうになるし
吐きそうになりながら帰宅する自分が嫌になる
やらねばならないと頑張ってきたことが
苦しくてどうしようもないのならば、案外手放してもいいのかもしれない
荷物が重いだけじゃなくて
おもしろくないのに仲良くするとか
苦手なのに頑張るとか
誰かによく思われようとするとか
落ち着いて考えてみると
大して大切じゃないし
嫌なのにやってるから辛くなる
どうしてそんなにがんばんなきゃいけないんだろ

10月26日
カンファレンスなのか授業なのか忘れたけれど
その人のことを、「知的だから、、、」と言った先生の言葉が気になる
誰かを想うことと、助けることは、必ずしも同居しない
何かをする人になってしまうと、想うことは別の場所に行ってしまうのだろうか
ロールシャッハの報告書の課題は明日まで
今週は課題祭り

10月25日
怖い思い出が急に流れ込んできて
生活を少し脅かしてる
数日前に不意にやってきた便りのせいだ
あれから何かに囚われることが増えた
食事中に「どうしたの?」と声をかけられたり
心理相談室で箱庭の掃除をしていると
あっという間に時間が過ぎていたりした
よくわからないけれど
数センチ浮きながら生活してるみたい
ここにいないみたいな感じが続いてる

10月23日
カリカリさくさくの唐揚げができた
醤油に漬け込み、多めの片栗粉をまぶしてあげるだけっていうシンプルなレシピ
午後は写真の整理をした
金曜日は、私の日だから、課題は知らない
写真を触ってると落ち着くし、私が喜んでるのがわかる
合間に精神分析の本を読んだ
以前なら絶対に出来なかったのに
あっちこっちへと忙しなくしなくても
同じ場所から世界に会えるようになってきた
写真と心理学が混ざり合って
その副作用もだんだんと薄れてきてる
10月22日
夜中に何度も起きた
梃子のことが心配なのだろう
過覚醒が起きているかもね
私が私を守ろうとして、コンクリートみたいな鎧を着せようとしているよう
心配事を手放せなくなった理由を何年も探してきたけれど
これは、私の性格が変わってしまったからではなくて
もしかしたらトラウマの後遺症かもしれない
言葉で説明できても治る訳じゃない
ただ、見通しはできる

10月21日
泣きそうになる
けど、あと、1年、とか、必ずてこは死んじゃう
今の時間をどう楽しめるかなんじゃないかと思った
大学院から走って帰って
そしてまた自転車に乗って病院へ走った
夜中も何度か起きた
起きても意味がないけど
大丈夫かなって起きた
考えても仕方がないことなのだけど
やっぱりショックだったのだろう
結局、早く起きたのだけど、早く支度して早く出よう
別にそれだけのこと
深い意味?ない
ただ、死が怖かっただけ
ぎゅうっと絞った雑巾をさらに絞るような1日だった
私からはもう何も出ないよと思うほどに、カラカラだ
朝7時過ぎに東池袋のコメダで院生仲間と朝食を食べた。

10月19日
梃子が昨日、今日と吐出のようなものが始まった。

10月18日
朝一番で海に行った。家を出たのは5時40分過ぎ。
車で東名に乗り、大磯の海岸まで1時間ほどで着いた。
カメラは3台持った。
Aria、キャノン、fuji。私のスタンダードにAriaがまた戻ってきた。しばらくまたAriaで撮ろうと思ってる。
3台のカメラを覗きながら、写真は撮れないものなのだよなと思いながらも、水面が白く光る朝を撮った。海はパパだ。パパが死んで、ママは一人で海に行くようになった。私が師匠を好きになった一番の理由は、青い写真が美しかったからだ。青は海に見えるし、海は空が青いから青く見える。光は色になり、色は世界を写すものだと思う。
今日の海は真っ白だった。

10月17日
今日は、こないだ実習先の帰りに川越のハラルショップで購入したクミンが、キャラウェイシード!だったので、何ともさわやかなチキンカレーとなった。感覚鈍麻な周ちゃんの舌はいつも通りで、私が久しぶりにカレーを作ったことだけを味わってくれていた。「さわやかだね!」というと、歯磨き粉の味のやつでしょっと、相変わらずな反応だった。
周ちゃんは周ちゃんの人生を生きればいいと思う。私は私の世界を生きているのだから、と最近は思うようにしてる。私が見えない言葉が周ちゃんには見えているのと同じで逆も然りだから。世界なんて場所はそんなものだろうと、世界をもう当てにするのはやめた。
カレーを作ったのは何ヶ月ぶりだろうか。周ちゃんと喧嘩した1週間弱。喧嘩したことについては話してない。話さなくていい。話すことなんて、なにもない。

久しぶりにダイニングテーブルで食事をした。半年前くらいにみっちゃんに聞いた長谷川あかりさんのもずくカレーを作ろうかなと考えていたが、夕方スーパーへ行くと、アジのたたきが安かったので、あっさりと変更。あとは、バンバンジー風サラダを作り、昨日周ちゃんが作ってくれた味噌汁の残りと米、納豆。
今日も1日中ずっと身体がだるく、やっぱりまだまだ回復には時間がかかりそうだなと思った。腱鞘炎や、背中、肩の痺れはほとんど治ってきてる。先々週に鍼に行った時も、先生が言ってた。こりゃ痺れるよねーって。1日、2日、デスクから離れるだけでこんなにも楽になるものかと驚いている。
とはいえ、夏休みに入って3日目なのに、身体自体は沼のようで、寝たり起きたりしながら細かな作業を進めた。心だけが、夏気分ではじけそう。

大学院が夏休みに入った。
肩がもげそう。今日は3教科。むちゃくちゃ書いて消してって、どんだけ書くんだよっていう試験だった。家の駅についた途端、泥みたいになって、じりじりと陽だけが勝手に熱い最中を、むりやり身体だけをひきずって(心はもう何処かに置いてきて、忘れてる)帰宅。
ああ、肩がもげそう。右腕の腱鞘炎風だったのは、肩まで悪魔が登ってきて半身がおばけになりつつある。あと二日。あと、二日でおわる。
夕方に仮眠をとると、夢に父がでてきた。
試験まで2日。院生の誰より勉強してると自負してる。こんなに勉強する?ってくらいしてる。ただ、隣に座る子や、後ろに座る子や、斜め後ろに座る子ができることが私はいつもできない。それも、知ってる。だから、いっぱいやらないとついていけない。
ただ、できないことは辛い。みんなと違うことは寂しい…。
やめよう、ナーバスになっても仕方がない。
父の一回忌を悲しんでる余裕すらないのだから。
“努力できることを、私の才能ってことにしよう”
と、手帳に書いた。寂しくても、羨んでも世界は変わらない。やるしかないのだ。
朝、院生室に行かないことにしてから、隣のベローチェで授業までの1時間半。鬼の形相で勉強してる。誰かがいると気になって勉強できない理由がわかった。私は、たぶん、ただのLD。学習障害なのだろう。だから、本が読めない。だけど、タブレットやパソコンだとはいってくるし、すらすら書ける。それが何故かも、検査の勉強などをするうちに、わかってきたことの一つ。
今日(も)気分は最悪だし、夜も寝れてない。アリシアキーズを大音量で聴きながら、ロールシャッハのスコアリングをする。はっきり言って、暗算の練習じゃないかと思うところもあるけれど、未来の私のためにがんばってる。
一昨日くらいに、朝5時頃に勉強してる時にふと思い立って、MEGUMIさんが以前に書いた『心に効く美容』という本を買った。本当にわたしは心身ともに疲れ切ってる。
本を読む時間なんぞないのだけど、”いい言葉をつかう” 開いて見つけた言葉に、そのまんま感動した。
大学院が夏休みに入るまで、2週間をきった。しんど。20代の子はいいなと思う。私もあんな風だった。だけど、どういう訳か、中年になると笑ってられなくなる。昔の人は、抱えている問題が大きいからだと言ったけど、どうなんだろうか。ただ、ホルモンのせいな気もするし、身体的な衰えでエネルギーが枯渇しやすいだけなのではないかとも思う。けど、どんな理由だったにせよ、現実に起きていることはそう変わらないかも。

授業を終えて、サンシャインのマックで課題を済ませて、リリさんと池袋の一番街でヤングコーンを食べた。なんだか、とても嬉しい夜だった。
私は私を失っていく日々が寂しかったんだなってことに気づけた。

大学院に入ってから4ヶ月が経った。辛い。
忙しいこともあるけど、それよりも自分の出来ないことが可視化されていくようで辛い。
早く写真に帰りたいなと思う。本当に、私はここで学ぶ意味があるのだろうかと疑ったりもしてる。
先週?先々週?か、ミオちゃんに下北で早い夕飯を食べた時に「写真から離れてる感じ?」と聞かれて、「違う」と答えた。「逆、逆」って。
正直、深まっている。確かに、商業写真からは離れてる。けど、写真には近づいてると思う。見える、感じる、気づく、存在する、存在しない?どこに、いつの、ここに?
ソフィー・カルのブラインドっていう写真集があるけど、見えることだけが写真じゃない。写真は存在そのものを示すことができる。だけど、幻想や幻覚じゃないから、写る。
プロダクトを、モデルを、料理を、目にみえるものを品良くトレースすることも写真。けど、写真はそれだけじゃないから面白い。

何も考えずにと言ったら嘘だけど、慌ただしさを心地よく感じながらも、走り抜けている日々。今日もやっぱり通りの花が綺麗だった。この先の不安よりも、夏にある試験の方がずっと心配。お弁当よりも、最近は梅干しおにぎり。そんな風にして、日常の全てほとんどを費やして勉強してる。ただ、前よりもずっとずっと、「あ、今、撮りたい。」が増えた。
以前は、写真家やりながら心理学を勉強することを、少し恥ずかしいかも、、と感じてたけど、今は違う感じになってきた。寧ろ、今の方がずっと自然だなと思う。それよりも、好きじゃない写真を撮る時間から離れられて、きちんと自分の声が聞こえるようになって、私、ここに来たかったんだなって安心してる。平和です。

新しいことがどっとやってきて、どきどきとわくわくの連続。けど、写真の方がもっと緊張するしな、とまだまだ余裕。
今のところは。

大学院がついにはじまった!そして、ささっと履修や今後のことを担当の先生と話し、明日から授業開始。
臨床心理の大学院は、他の研究科の大学院に比べて倍の忙しさだから、まるで洗濯機の中に放り込まれたようになるよと聞いていたけど、あれ?M2の先輩方は、きゃっきゃっと戯れあってて雰囲気良好。
まさか、追い込まれてない?顔色もよいし、ちゃんとお洒落もしてる。毎日ノーメイク、スエット生活じゃないの?
拍子抜けな初日。

朝一番で生田緑地まで車を走らせ、朝食花見に出かけた。桜が風になびいて綺麗だった。
午後は胸がざわざわするから歩きたいと周ちゃんにお願いし、駅まで散歩して、マックでコーラフロートを飲んだ。
明日から大学院。

今日はテコと周ちゃんは永遠に寝てた。昼は周ちゃんがボンゴレを作ってくれた。

朝一番で砧公園かどこかに花見へ行く予定だったけれど、駅前の広場に行きコーヒー飲んで帰ってきた。テコには途中でクリームパンを買い、周ちゃんは朝に作ったジャムサンドを食べた。
久しぶりに美容院へ行き髪を切り、夜は近所の焼き鳥屋さんへ行った。
同じ家に住み、同じ物を食べ、同じ風呂に入っていさえすれば、全てがわかると思ったら大間違いだ。久しぶりに目と目を合わせて会話をした時に思った。周ちゃんの目のクマ、窪んだ瞼、疲れ切ったその笑顔に、ここ数週間、周ちゃんがどれだけ忙しかったのかが初めてわかった。
私、ご飯さえ作ってればいいって思ってた。全然、そうじゃない。
なんだか一回めの結婚のことを思い出した。人が人と離れる時、物理的に離れることでもあるけど、実際には温度がどんどん感じられなくなることだった。
朝は雨だったが、帰宅頃には晴れていた。電車に揺られながら、穏やかな西陽の中で目をつぶりながらAudbleを聴いた。東畑さんの『カウンセリングとは何か 変化するということ』。花粉は終わったのかな。今日もすこぶる調子がいい。
夕飯は豚キムチ。昨日まで読んでいた坂口恭平さんの『生きのびるための事務』があまりに傑作で、本のことを思い出しながら食事をした。言語化の練習は、今のところ淡々と続いてる。
今日は撮影で先輩方にいろいろな話を聞いたけど、面白かったな。
誰かにとって当たり前のことが、誰かにとっては当たり前じゃない。心理と写真業界、片足ずつ突っ込んでいる私は、昨年までは、ぜぇぜぇとあっちとこっちを走り回り、とにかく「苦しい、苦しい、、」と、息を切らしていたけど、何だか最近はそれさえもが楽しい。
だって、どちらも他人事ではないから、右目と左目で別々のレンズから覗いてるみたいに世界が見える。

今日も雨。今日も絶好調。今日はすごいことに気づいた。心に余裕ができると、料理が楽しくなってくるし、写真もどんどん撮りたくなる。いい写真が撮れるとまた料理が作りたくなる。
こないだみっちゃんに「冬に漬けたキムチ、まだある?」って聞いたら、「そんなのとっくにないよ。」って返ってきて、だよねってなった。いい会話だった。
日常の中で大切なもの、10年後もそのままでいて欲しいもの、それは、料理のある生活だろうな。
今夜はスープにした。早く寝よう。明日は久しぶりの動画撮影。

先週に醤油・甜菜糖・ごま油・酢少々に、漬けておいた新玉葱。刺身と一緒に食べたら美味しいだろうなぁと、冷蔵庫を開ける度に少し後ろめたい気持ちになっていたけれど、ようやく今日サラダにした。
りーちゃんに貰ったトマトをスライスして、紫蘇、カイワレ、新玉葱、そして鰹をどさっと盛った。
今日は雨が強い。新しいレインコートが面白いほどに水を弾く。少しだけ立ち寄った青山ブックセンターは相変わらずガラガラだった。入り口付近に誰かの選書の棚が複数並んでいた。やっぱり選書は嫌い。本くらい自由に読ませてやってよと思う。

兄からオーストラリア土産で貰ったビリヤニ。炊飯器に入れるだけで作れるもの。「肉をヨーグルトで漬けたり、ナッツやレーズンを入れるだけでグッと本格的な味になるよ。」と、現地で仕事先のインド人が言ってたよと聞いたので、家にある材料で真似てみた。レーズンは残念ながら無し。
風邪が治ってから、穏やかな日常が続いてる。

実家で今年2度目の正月と甥とわたしの入学祝い。梃子はお留守番。
大勢でわいわいと食卓を囲むのは、我が家って感じがする。母はいつものように、肉を焼いたり、ピザを焼いたりと食事中も忙しなく動いていた。兄が「鯖ご飯が食べたかったなぁ」と言っても、「あら、じゃあ今度ね。」と、嬉しそうだった。
最近、兄の調子がいい。ようやく父の死を受けいられるようになったのだろう。遅れてきたカイトも直ぐに父のところに行き、長くお骨の前に座ってた。うちは明るい家族だと思う。今日もよく騒ぎ、よく食べた。
周ちゃんとは少し上手くいってなかったけど、夜にちゃんと話すことにした。
人はわからないことほど、黒白はっきりさせようとしたくなる生き物だ。言葉でピシャリと閉じたり、強い言葉に押し込んだり、何かに巻き込んでしまうことの方が早く解決しそうにみえる。だけど、そう簡単じゃないと思う。
辛いけれど、どこにもハマらずに行ったり来たりする気持ちを辛くてもじっと観察して、少しずつ、少しずつ、理解することで見えてくる。そうやって、答えが段々と輪郭を露わにしてくるまで待つことは、苦しいけど大切な時間だ。
いい日がいい日になっていくのは、降ってきた何かを掴んだからじゃなくて、日常の延長にやってくるものだろう。今日はいい日だった。家族も、わたしの家族も、よくがんばってる。父の葬儀から9ヶ月目。
季節は少しずつ変わり、私たちは今日も楽しく食事する。楽しかったな。よく笑った。あー母のご飯は最高。

エビチリ、失敗した。副菜でつくった砂肝と葱の塩炒めの方がずっとずっと美味しかった。
ようやく体調がよくなってきたからなのか、朝4時にパッと目が覚めた。ここ半年間、どんだけ寝てたんだろう。毎朝4時起きが日常だった2年半が嘘のよう。だらだらとした良い半年間であったな。
起きて直ぐにキッチンへ行きお茶をいれ、読書をはじめた。カウンセリングで話したことが全身で腑に落ちたのだろう。わたし、急にがんばりだしたね。
なかなか始動しないけど、ハマると途端に動き出します。