食卓が好き、イートニューミー は私が作った料理の写真です。
母は料理がとても上手でした。
子供の頃、家でしか食べた事がないような料理が沢山ありました。だけど、なんだか恥ずかしくて秘密にしていました。キャビアのことも、ラザニアのことも、土瓶蒸しに、テリーヌに、ピンク色の寿司飯、ミートローフのことも。きらきらとひかる食卓がとても美しくてその光景が大好きでした。
食卓が好き、イートニューミー は私が作った料理の写真です。
母は料理がとても上手でした。
子供の頃、家でしか食べた事がないような料理が沢山ありました。だけど、なんだか恥ずかしくて秘密にしていました。キャビアのことも、ラザニアのことも、土瓶蒸しに、テリーヌに、ピンク色の寿司飯、ミートローフのことも。きらきらとひかる食卓がとても美しくてその光景が大好きでした。
今日は3時に目が覚めた。周ちゃんは7時。祝日とは思えない我が家の朝だ。なんだか無性にスタバのコーヒーが飲みたくなって梃子を連れて車で駅前のスタバへ行った。そのままサスティナブルなんとかっていうパークが車で30分くらい走らせたところにあるらしく行ってみることにした。
梃子の散歩をして祝日で渋滞してる道路で「今、三つ願いが叶えてあげるって言われたらどうする?」なんて明日には忘れてしまいそうな会話をしながら家路についた。簡単に昨日の残り物で昼食を済ませて近所のカフェへ。私は大学の勉強を周ちゃんはパソコンを広げて何かしてた。
「無印週間やってるよ!」「えー!ひどい。」
この家に越してきた時から無印週間を待ってた。気づくと終わってる無印週間。タオルもシーツもピローケースも書いたい物が沢山ある。「もう少ししたら駅前の無印に行こうよ。」
それから数時間後。パソコンの入ったリュック一杯にタオルやシーツを詰め込み、周ちゃんは枕をふたつ入れた大きな袋を抱えて自転車で帰宅した。
「穏やかだね。」「なんか俺もそう思ってたんだよ〜。」私にもこんな日が来るんだ。初めて結婚を意識したのは高校の時から付き合っていたマルちゃんだった。26歳の時、一緒に二子新地へ越した時は母が大きな冷蔵庫を買ってくれた。今となっては申し訳なくて聞けないけれど、あれは嫁入り道具の一つだった筈だ。私もマルちゃんも互いの両親も結婚はそろそろでお待っていた。だけど、ハッピーで温かい場所からある日突然に逃げ出したのは私。
それからというもの、面白い男には沢山出会ったけれど、心温まる男に出会った覚えがない。私もそういう女だったんだろう。楽しい思いは沢山してきたけど、こうして気が抜けた炭酸みたいな顔をしてぼんやりと夕飯を食べる夜はなかった気がする。恋愛に飽きたわけじゃないけど、もう昔のように弾ける必要なんてない気がしてる。無言で食べてることですら忘れてしまいそうだった。
最近、胃が少しだけ痛くて連日大根おろしにポン酢をかけたものを食べてる。勿論それはそれで美味しいけど、毎日同じ食べ方はいやだ。なんとなく今日はかんずりを入れてみた。そして、こういう日常の閃きは当たる。脂がそこそこのった焼き鯖と一緒にそれを食べてみると全身がビリビリしちゃうくらいに美味しかった。やっぱり当たりだ。
これは世界でたった一人。私しか参加していないゲームなのだけど、この瞬間、頭の中でフィーバー!って感じになる。「きたね!」私の言葉に周ちゃんは笑ってた。多分、よくわかってない。
「今夜は何がいい?」いつものように朝ごはんを食べながら周ちゃんに聞いた。今日のリクエストは麻婆春雨。
レシピは栗原はるみさん。いつしか我が家の鉄板メニューとなった。時々、ピーマン入れたりもするけど超シンプルなレシピが潔くて中国で麻婆春雨を食べたことないけど、なんだか本場!って気分になる。春雨は太いのがいい。味をしっかりと吸った春雨をご飯にのせて食べるのもいつもお決まり。ラーメンライスみたいなもの。
周ちゃんが夜にネパールカレーを作ってくれた。私は昨日の海老の頭を使ってトムヤムクンスープを作った。夕飯時にNetflixでWorking motherというアメリカのドラマを見ながら食べた。最近、時々見てるドラマ。
主婦達の最低で下品な言葉や行動に私は最高!と爽快気分で爆笑してる横で、いわゆる女性らしさを脱ぎ捨てた女となった生き物に周ちゃんは目を丸くして静かに食事を飲み込んでいた。時々、「怖い。」とか、「え、なんで。」とか小さく言ってるのが聞こえる。
確かにちょっとアメリカっぽいと言えばそうだけど、こういう日本人の女性だっている。弱い私を守って。とか、あなたと一緒じゃなきゃいやなの。私って打たれ弱いから。私、敏感なの。みたいな事を言う女性を批判するわけじゃないけど、「あれは悪い男に捕まったからなの。」みたいな代名詞を呟くのはいい加減にしなさいよとも思う。女が弱い女を演じるからでしょって。
女も男も弱くて強くて弱い。身体は全然違うし、他にも違う所だらけだけど、隣で目を丸くしてる周ちゃんと爆笑してる私。私が男勝りなわけでもないし、周ちゃんが弱いわけでもない。生き物なのだから、噛み付いたかと思えば、優しく舐めあうことだってある。
読んだジェンダー問題の論文で変な事が書いてあった。ジェンダーギャップを感じてる女性ほど、現状の問題、例えば夫に養って貰ってる等に肯定的だっていう統計。日本は先進国であるのに世界でもジェンダー格差が高い国。ジェンダーレスって言葉がまるで流行り言葉のようにあちこちで聞こえるうようになったけれど、ずっとずっと遅くて遅すぎるのだとか。統計で出された結果を読んでいると余りに低くて恥ずかしくなるくらいだった。
不思議な話だけど理由の一つは安堵なのだそう。勿論、経済的な問題だとか理由は沢山あるのだろうけれど、女性自身が男女格差を認めて安堵する為に弱い女でいたいと、そもそも望んでるように聞こえた。男女差別を遂行してるのは女。何とも変な心理統計の話。けど、そうだよねって思った。私の知ってる限りだと。
都内に行った帰りに赤海老を買って帰った。1パック500円にしては贅沢な夜。大きくて身がぷりぷりな海老。周ちゃんと二人では多すぎる量だったけれど刺身とよだれ海老にして余すことなく頬張った。私達が夫婦になってからまだ1年と少しだけど、時々こういう夜をやるのは既に習慣となった。ちょっと前はコストコでサーモンの切身を5000円で買ってきてサーモン祭りをやった。これは食卓の遊びだ。子供の頃に心に描くゼリーのプールで泳ぎたいみたいなものに近い。
今日は少し姉と電話で話した。電話を切ってから気づいたけど、高校生の時に写真の大学の学校説明会についてきてくれたのは姉だった。結局推薦は落ちたけど、芸術大学への進むことに大反対だった母はブーブー文句を言いながらもほっとしていそうだった。アメリカでタトゥーを入れた時もタトゥーショップへ連れていってくれたのは姉だ。もう何十年も前のこと。
心理学者フロイトの言葉をcathexisの頭文字をkに変えて、kathexisと入れた。精神分析理論のひとつ。人や物に向けられるリビドー。高校生の時にこの言葉を知って鼻血が出そうなくらいに興奮したけど、どうしてあんなにドキドキしたのか覚えてない。今じゃもう好きとか嫌いとかじゃなくて体の一部になってしまった。こうして心理学を大学で学ぶことになり、なんだかなんだろう。今ではあの頃の興奮ほど心理学に落ちつかない気持ちはなくなったけど、ご機嫌でハローと言いたいし、離れたくない。とにかくもう殆どに感謝しかないじゃんと思った。
姉もそうだし周ちゃんもそう。芸術大学を反対した母もそうかもしれない。離婚も写真の仕事も周りの友人も過去の最悪も全部。当たり前なのだけど新宿を歩きながら少し目頭が熱くなった。
姉は電話でプールを買う日がもうすぐだと言ってた。数年前に聞いた時は、「それってビバリーヒルズの世界じゃん。」って二人で大笑いしてたけど、本当に買う気みたいだった。仕事は忙しいけどお金持ちになりたいから楽しく稼いでるって。プールって何百万するんだろう。
姉、アイラブユー。スーパー愛してる。ありがとう。妹は心理学を思う存分にむちゃくちゃ楽しむよ。
昨日、周ちゃんがホワイトデーにとエノテカで白ワインを買ってきてくれた。今夜は白ワインと餃子。餃子のレシピは白ごはん.comの焼き餃子。タネに味噌が入ってるレシピが気に入ってる。大学のことで精一杯で毎日が淡々と過ぎていく。なんだか急に心細くなって今日は飲むことにした。
「私、なんで勉強してるんだっけ?」朝、梃子の散歩をしながら周ちゃんに聞くと目を丸くして驚いた顔をしてた。「それは俺にはわからないよ。けど、これからわかるんじゃないかな。」昔、予備校の先輩が一年浪人して理科大に入った矢先に交通事故で亡くなった話をした。頑張って大学入ったのに亡くなっちゃって、私が大学卒業して直ぐに死んだらどうしようって。そんなことなら毎日だらだら過ごしてた方が良かったって思うよね。
「よしみは好きで勉強してるんだよね。」「そう。けど、想像以上にハードな勉強に苦しくなることがある。」「もっとゆっくりと卒業目指したら?」「けど、年をとっちゃうよ。」
私は何のために勉強をするんだろう。例えば、心理学を勉強してカウンセラーになりたい、みたいなわかりやすい動機は1ミリもない。ただ、大学院で研究してみたいっていう夢があるくらい。
「じゃあさ、何を研究するかを探しに国立国会図書館へ行ってみる?」
そこには全ての本があるのだそう。実際に研究者が調べ物をしに使うくらいなんだよとも教えてくれた。なんだか写真のことを始めた時みたい。とりあえず本屋でカメラの使い方っていう本を一冊買ってきて読んだ。黄色のマーカーで大事そうな所にラインをひいたりしてみたけど、被写界深度?ちんぷんかんぷんだった。何のカメラを買っていいのかもわからないし、レンズには沢山の種類があるとか、フィルムの個性だって全然わからない。だけど、今は沢山を知ってる。最初はきっとこんな感じでいい。全然わからなくても、少しずつ重ねていけば昨日より今日、今日より明日、そして1年後、3年後は今よりはずっといい感じになってるはず。
13年前と同じだった。
師匠に会ったのは2009年の秋。大学生みたいに肩からトートバッグをかけて、何かが始まったばかりのような、これから始まるような初々しさ、いや春の新芽のような清々しさに近い。本当にこの人がフォトグラファー?少し拍子抜けした。
“アシスタントを募集していませんか?” コマフォトに載っていたメールアドレスにメッセージを送ると、”募集はしてないけどポートフォリオを見ることくらいなら。”と返信があった。それから3年間、写真を撮る師匠の横で、同じ目線で被写体をそして師匠を見続けた。
「お久しぶりです!」「あ〜お久しぶり〜。」
歳を重ねれば重ねるほどに思う。この人がいなかったら私は写真を生業になんて出来なかった。どこまでもとにかく真っ直ぐで、強がったりかっこつけたりしない、誰かのことを馬鹿にしたりなんかもしない。向き合うのはいつも自分だけ。弱い自分の事を弱いんだと言いながらも、カメラを構える姿に胸を強く打たれた。
今日会うのは3年ぶり。そしてあの日を境に元夫は家に帰らなくなった。
きっかけを作るのは時間の問題だったと思う。きっと大切な人のせいにしたかったのかもしれない。久しぶりに師匠から手伝ってくれない?とLINEが入った。アーティストの撮影でお台場で朝までの長丁場。それまで週6日で撮影をしていた日々はコロナの影響で仕事がパタパタとキャンセルになり暇を持て余していた。
帰宅したのは7時前くらい。玄関を開けると酒気の中でゆらゆらと溺れている夫がいた。病は年末あたりからじんわりと始まっていた。それは数年ごとにやってくる悪魔。やめたお酒を当たり前のように飲み、大声で発狂したり暴れたり。急に激しく喋りだしたかと思えば、死んだかのようにパタリと連絡が取れなくなったりもした。
元夫の奇行はアレみたいだ。マリオがスターを見つけると完全無敵になるやつ。だけど、あれはゲームの中の話。生身である人間の身体が同じことをしたら身体中が傷だらけになるだろう。よくわからないのだけど、元夫は全身のすべて、心も完全に麻痺してるみたいに見えた。痛みの全ては何処かに消えてしまったようで、アドレナリンに縫い付けられた身体がマリオみたいに爆走していた。
コロナが始まり私を恐怖のどん底に追いやったのは、コロナだけじゃない。元夫と一緒になってからというもの、私は変わった。誰かに「大丈夫?」と声をかけられても酔っ払い相手だし酔拳みたいな暴力だしさと笑い飛ばした。私はミュージュシャンの妻だ。こんな事で泣き言なんて言ってられない。頑なに私は宛もない誰かに牽制し続けた。これが愛なんだって。家族だから私が夫を助けなきゃいけない。だけど、もう我慢も限界で、久しぶりに師匠の顔を見ると直ぐにそれを認めた。
「また嘘ついたの?またお酒のんだの?お酒やめるって言ったじゃん。」夫を叩き起こし責め立てる私の声が部屋中に響き渡った。喉のあたりがジリジリと押し潰されるみたいに苦しくなって、目からは涙がどんどん溢れていく。そして、半年後に離婚した。
元夫はお酒が酷く入ると師匠の悪口を言った。「お前の師匠は中途半端に音楽やりやがって。」って。
悔しかったんだろう。仮にもメジャーデビューしたのに、フォトグラファーをやりながらもミュージシャンとして、今でもラジオや街で曲が流れているSpangle call Lilli line。それに比べ、自分の音楽はどんどん衰退していく。師匠が音楽をやっていたのも、元夫がミュージシャンだったのも、全てはたぶん偶然だけど、もしかしたら必然にしたのは私なのかもしれない。元夫は苦しかっただろう。私は写真も音楽も真っ直ぐにひたむきに頑張ってる師匠が大好きだった。
「よしみちゃんの料理写真は情念があるんだよ。それに、本当に情念の人なんだよ。昔は僕が師匠だったけれど、今は学ばせて貰ってる。」師匠は少し酔っ払っていたのかもしれないし、そうじゃないような気もした。ただ、久しぶりに会ったことを喜んでくれてるみたいだった。毎年送ってる年賀状も楽しみにしてると言ってくれた。今日はフォトグラファーの松村さんも一緒。3人で吉祥寺の暖簾がいい感じの店でビールを飲んだ。師匠は誰もが知ってるようなミュージュシャンのジャケットを撮っているし、松村さんはコウケンテツさんの料理や暮らしの手帖など憧れの雑誌で撮ってる。尊敬する二人のフォトグラファーの前で自分の写真が褒められるだなんて恥ずかしいやら嬉しいやら、何て言っていいのかわからなくて上手く返せなかった。
だけど、もし師匠の言うように私が情念というものを持っているのなら、それは間違いなく師匠から貰ったもの。「僕は本当に自分のことしか考えてないから。」と何度も言ってたけどそうじゃない。なんとなく応募した1wallで、するりと何度か審査を通ったくらいで、ギャラリーに所属したりもしたけど、結局のところ写真作家としてパッとしなかった。言い方は変かもしれないけど、酔っ払っては何台もカメラを壊していたような私を引き取ってくれたのは師匠だ。それまでの人生、世の中を斜めばかりをみていた私に真っ直ぐと前を向いて写真を撮ることを教えてくれた。
何も出来ない私に師匠が怒ったことは一度だってない、嫌に思ったこともない。師匠の車で流れる音楽が好きで、夕陽だとか光が綺麗な時間に「綺麗だね。」って短い言葉だけを交わす時間も好きだった。多分、もしかしたら遠いい過去に同じような場所で生きていたんじゃないか。例えば互いに海の生物だったとか。水の奥底でしか見えない景色を知ってる。そんな感じだった。だけど、私はあんなに立派じゃない。だからこそきっと憧れた。
私が失ったものは沢山あったけど、今日もこうして写真を撮っていられるのは師匠のお陰だ。師匠の強さは私の人生を変えてくれた。
久しぶりに髪を切った。明日は久しぶりに師匠に会う。
私が焼くパンケーキはぺっちゃんこだ。そして、試験の結果も惨敗だった。
勉強が楽しいっていうのと、大学で勉強をするっていうのは近そうで遠いいい場所にあるんだと知った。判定はD。あんなに勉強したのに。だけど、試験での手応えは全く無かった。ちんぷんかんで苛立ちさえ覚えたくらいに。
中学2年で勉強を止めてしまった私のIQ。エスカレーター式というモラトリアムを推進するようなシステムのお陰で全く勉強をしないで自分のことだけを考えて大人になれた。四国が何処にあるのか知ったのは5年前くらいで、ジャニーズの嵐が誰なのかを知ったのも同じ頃。社会の事も政治の事も歴史の事も全然知らなかった。同じくして子供の頃から芸能活動や音楽に勤しんでいた姉に限っては、結局20代でアメリカへ行ってしまったので四国どころか生まれ育った関東、そして北海道と沖縄以外は知らない。
勉強よりも大切なことがある。確かに親の言う事は間違ってはいなかった。姉は昨年ミュージックカンパニーを立ち上げ、私もフリーランスのフォトグラファーとして食べてる。確かに勉強なんてしなくても生きていけた。だけど、大人になってわかった。強いては、大学での勉強を初めて気づいた。私ってIQがものすごく低いっぽい。教科書が読めない。どうやって勉強していいのか分からない。
ここ数年はリリさんのお陰で本を少しずつ読めるようになったけれど、教科書の独特な文章が理解できなくて、沢山の参考書やyoutubeで知識を深めている。そしてこれはこれで楽しい。だけど、判定Dというのは落第だ。なんとも言えない気持ち。私、大学で本当に勉強を続けられるんだろうか。今日は数学の本を買ったけど未だ開いてない。不安ばかりが募っていく。
夕方に美容院へ行き、そのままサウナへ行った。
午後過ぎに藤原さんと代々木八幡でワインを飲んだ。久しぶりの藤原さんは、髪がショートから肩下まで伸び、ロングスカートで駅前で待っている姿はしっかりともう誰かの奥さんって感じだった。
「前に会った時によしみさんから2月に結婚するって話を聞いて。それで私も6月に決めたんですよ。逆算したらいいんだって。先に結婚する日を決めるのいいなって。」「え?そうなの??」「はい。採用させていただきました〜。」嬉しそうに顔をくしゃくしゃにして笑う藤原さんが言った。
周ちゃんとは初めてのデートで付き合うことになり、その日にプロポーズを受けた。そして、翌週の土曜日に青山で結婚指輪をオーダー。指輪も結婚もすべては夢の続きか悪い冗談のような感じだったけれど、指輪が出来上がるのは2月でその日に結婚をしようとなった。
そんな嘘みたいな毎日が続いてる中、うちで藤原さんとしんちゃんとご飯を食べた時に結婚の報告をした。
「2月に指輪が出来るから、その時に結婚しようと思って。」
なんだかすごく嬉しかった。自分が誰かの人生に少しでも役に立てるだなんて。藤原さんは結婚して変わったと思う。すごく可愛くなった。前から超がつく程にいい子だったけれど、その藤原さんじゃなくなった。しんちゃんの事が大好きで、しんちゃんとの結婚生活が楽しくて心地いい。ただ隣でワインを飲んでるだけなのに、その幸せがじわじわと私にまで浸透してくるみたいで嬉しくなった。
それから、仲のいい友人と結婚が理由で離れてしまった事も聞いた。私も、離婚を機に離れた友人がいた。同じフォトグラファーをしてるアカリちゃん。彼女は親友だった。大好きだったし、大変だった時期は親身になって助けてくれた。けど、私が離婚することに賛成していない事も本当はわかってた。
藤原さんは哀しい話を笑いながら話す。きっと癖なんだろうけど、素敵な癖だなと思った。別に悲しみなんてリプレイする必要はない。辛ければ泣いたり怒ったりと感情を露にしてもいいけど、もうそれが過ぎ去ったのなら、あーあって感じで笑ってしまってもいいんだ。
帰りの電車でなんだかすごく周ちゃんに会いたくなった。
人は偏ってる。それが偏っていればいるほどに魅力的にも見えるし、個性と称されデコボコと押されたり凹んだりした部分の所為で上手く前へ転がっていけないボールのようにも見える。大場さんから感じた都市への幻想や憧れは、未来を変える原動力になるし、それが強固なものとして形になれば誰かを揺さぶる何かへも変化する。理由は何にせよ、人の想いは、また人を動かす。
東京や関東出身の友人がここを離れていく理由もきっと同じだ。私もそう。若い頃は海外へ行きまくった。ここじゃないどこかに未来があるような気がしてならなかった。結局、東京で落ち着いてしまった時は、もう私はいいやと半諦めみたいなものも受け入れたように思う。
どうしてなのか、都市に限っては人が多ければ多いほどに正解が詰まってるように見える。それに、価値があるような錯覚にも陥る。世界は多数決で出来ているわけじゃないのだし、本当のところ大体の人はとっくに気づいてるはず。事のよしあしはインスタみたいなものでチェックしても意味がないことを。
だけど人が社会的な動物である以上、仕方がない事だとも思う。自分がどこに立っているかを知りたいし、出来るだけいい場所に身を置きたい。いい人間で価値のあるものでありたい。それって、人が決めるものでしょ。みたいに言う人もいるだろうけど。手っ取り早く一刻も早く身の安全を確保するにはSNSの恩恵は待ってましたと言わんばかりに沢山の人の心にフィットしたのは、皆が求めているからであって必要なものだったんだと思う。
今夜は大場さん、編集の成田さんと3人で遅い新年会。私よりも少し早く成田さんは大場さんの事務所に到着したようだった。いつもの通りで大場さんはよく喋ってる。大場さんの生い立ちや、映像のこと。それから、作品の話になった。本当はその心のうちを、作品のもっと前にある大場さんの話を聞きたかったけれど、途中で聞くのをやめた。そこは本人でさえ立ち入りたく無い場所のように見えた。
事務所を出てカレーを食べに行こうとなった。撮影でよく行くようになった日本橋は、気づけば小さな路地も何となくわかる。夜に歩くことは初めてだったかもしれない。ずっと生活圏だった渋谷だとか、買い物へ行く新宿とは違う夜。久しぶりに歩く東京の夜はなんだか気持ちが良かった。
丁寧に街の話を説明してくれていた大場さんは交差点で信号を待っている時に不意に私のことを褒めてくれた。「よしみさんのいいところは、自分で料理を作ってるところですよね。」嬉しかったけど、急にどうしてそんな事を言い始めたのかよくわからなかった。私はつまらない顔でもしていたのだろうか。
都市から田舎へ生活の環境を変えた事で、生活だけではなく人生全体の考え方を180度変えている途中だという話をした。大場さんは賢い。ふんわりと話しただけで、直ぐにそれがどういうことか理解してくれた。私の少ない言葉を上手に言葉をすくってつなげてくれた。自給自足。フードマイルをベースとした考えに近い。人生における色々の自給率をどこまであげられるか。
東京でオーガニックな生活を送ることに後ろめたさを感じていた頃の私はがむしゃらに働いていた。写真を撮れば撮るほどに通帳に溜まっていくお金を見て生産率が高いと信じ切っていたけど、入ってくるお金が大きくなればなるほどに出ていくお金も大きくなり、ただの真空管みたいだなとも感じていた。
田舎暮らしで始めた地産地消という概念から生きるサイクルを学んでみると、私が欲しい物は稼いだお金や失った時間と交換するのではなくて、全体的な量さえ把握すれば自分で出来る限り作ってみたらいいんだと気づいた。写真を撮ること一つにしてもそう。どんな仕事も全部私に下さいじゃなくていい。何がどれだけ食べたいかを理解すると、おのずと生活に必要なお金の量がわかる。そしたら自分に必要な仕事だけをすればいい。そうして余った時間は、私がやりたかった別のこと、例えば大学の勉強に当てられるし、料理をゆっくり作る時間とか、この土地をもっと掘ってみるとか別の時間に使える。そこで得た学びや喜びは私の糧となり、また写真に還元される。私の自給率が上がれば、さらには誰かにも還元できる。
面白いことで、働く量を減らして時間を増やすと、無駄に動く時間が減ってコストダウンへとつながった。結果、がむしゃらに働いていた時も今も預貯金は変わらない。ついでに、よくわからない苛立ちや目の下のクマ、毎月やってきたPMSも何処かへ消えた。
唯一の心残りは友達が減っていくことだった。
「必要な人だけになっていいんじゃないですか?」大場さんが言った。
前にいまむちゃんに話した時も同じようなことを言ってた。「まぁ。そうですかね。」そう簡単に友達とサヨナラできない自分がいたけど、ようやくそれについても理解出来るようになった。今が十分なら必要以上に欲さなくてもいいってこと。それに、何かに依存すれば依存するほどに、それは足かせになっていく。離れた友人とはこのままもう会わない人もいるかもしないけど、同じような考えを持つ友人であればそう遠くはない未来に会える気がした。友達はすごく大切な存在だけど、足並み揃えて人生を歩む必要なんてない。
成田さんからは恋の話を聞いた。悩む成田さんは相変わらずで好きだなと思った。眉毛をへの字にしてる姿を見ると側にいてあげたくなる。大場さんはいつもの通りで、そんな成田さんに真剣にアドバイスをしていた。そんな大場さんの心根は触れる度に感心する。
大場さんと私は歳も近いし互いにバツイチ。そのアドバイスには大きく頷くこともあったけれど、心の底では愛なんてものはこの世に無いのになと思っていた。だって、愛は作るものであって、愛は信じるものじゃない。エーリッヒフロムが愛は技術だと愛に悩める多くの人類に愛の地雷を仕掛けたように。なかなか最悪な離婚を経験した周ちゃんの同僚だった高橋くんや私が口を揃えてフロムに賛同したのは、一生愛すると決めた人と数年後には離婚を選ぶしかなかったから。
いい恋なんて特別に求めなくていいと思う。最低な男だとか最低な女と恋を楽しんで、別れたらいい。共犯者となってドラマチックな毎日に溺れて傷つくのは案外楽しい。夜中の12時に呼び出されたら、お気に入りの服を着て会いに行ったらいい。明日の仕事なんて関係ない。昨日と同じ服を来てどうどうと会社に行けばいいし、鳴らないメールを待ったっていい。 私はそれが恋だとか愛だと思う。平凡な彼氏は安心で安全で誰しもがいい男だねと言ってくれるけれど、だいたい飽きるし、飽きるような相手と結婚するほど人生を退屈にしたくない。
若い時は好きな男の一言で今日が最悪になったり最高になったり、本当に胸がちぎれちゃうと思うような事も沢山あったけど、仕事が手につかないとか、やけ酒するしかないとか、苦しくて苦しくて泣いても怒ってもどうにもならなかったけど、結局、その痛みで死ぬ事は一度だってなかった。そうして大人になった今は傷ついたことも傷つけたことも、どういうわけか私の一部となってる。
沢山恋をしてきっと良かった。しょうもない男と寝たことも後悔してないし、振り回した男に今でも申し訳ないと幸福を願ったりとかも全て。最悪な恋も最高の恋も同じ棚の引き出しにぎゅうぎゅうにしまわれてる。
私を半分殺しかけた夫に対してだってそう。最近では少しだけそう思えるようになってきた。
確定申告を終えたところで母から電話が鳴った。「来週みんなでスキー行かない?周三さんも一緒にどうかしら?」私はフリーランスだからいいけど、周ちゃんは一応会社員だ。「急にはむりだよ。」と言い電話を切った。
普通になりたい。小学校の時の私の願いはたったひとつ。みんなと同じがいい。家族が好きだけど、うちのご飯も大好きだけど、なんだかうちはみんなと違う。私が着てる服も、家で食べるご飯も違う。家族で旅行へ行くために学校を休むのも、本当は少し気が引けた。勉強しなさいなんて言われた事は無かったけど、子供がお金の話なんてしちゃいけないと何度も叱られた。
特別に大金持ちだったわけじゃないけど、父も母も手に職があり独特な教育だったことは確かだったと思う。みんなと同じになりたいと望む私の気持ちに父は1%も寄り添うことなく「みんなが右へ行くなら俺は左。」と言った。案の定、真夏のキャンプは千葉の一番端っこにある海辺にキャンプへ行くのが恒例になり母曰く、父の我儘に家族は散々振り回されたのだそう。
けど、私から言わせて貰えば、母と祖母の買い物に付き合うために何十回と学校を早退させられたのは、ボンゴレビアンコに釣られたわけじゃない。子供だった私に選択肢は無かったからだ。
LINEにミオチャンからメールが入った。”よしみちゃん、スキーとかスノボーやる人?”思わず、”デジャヴ?”と返した。そして、月末にスキーと温泉に行くこととなった。”これ、仕事だからね!” ミオチャンと雪山ではしゃぐ私達を簡単に想像できる。ミオチャンはいつも画面から出てきたような風貌だけど、雪山では何色の髪なんだろうかと考えてみたりした。
ミオチャンのお父さんはスタイリスト?みたいな仕事をしていたらしく、服の仕事はするなと散々言われて育ったと聞いたことがある。もしかしたら、子供時代に青山で子供同士の私達はすれ違っていたかもしれない。ミオチャンはお父さんに連れられて、よく蔦という喫茶店に通っていた。私も母の稽古で毎週のように骨董通りを歩いていた。
ミオチャンに前に連れて行って貰ったことがある蔦。青山学院から直ぐのところにひっそりとある喫茶店。昨日、ミオチャンのインスタで蔦の店長が亡くなったことが書かれていたけど、何て声をかけていいのかわからなかった。数ヶ月前に会った時にマスターの体調が良くないことも聞いていたけど、言葉が塵も私の中から出てこなかった。会った時に話せたら話そう。答えはそれにした。
たまたま出逢ったミオチャンとは、いつしか友達になったけど地方出身の友人達とは違うここだけの距離感みたいなものがある。子供の時にミオチャンみたいな子が近くにいたら、私はもっと違う子供時代を過ごしていたんじゃないか。うちの家族のことを秘密にしないで済んだ筈だし、恥ずかしいとか、目を逸らさずにすんだかもしれない。
過去の事を言ったって仕方が無いけど、未だにそんな友人を求め続けるなんて、私はどうしてそんなに過去にいたがるんだろう。人は変われるけど、変われない。
最近の大学の勉強では、私自身を実験ターゲットとして色々を模索してる。やっぱり私は変わろう。過去に悪気がないことはわかってる。それなら、変わったらいい気がした。
私は性格が悪い。それが具体的にどうなっているのかを一字一句間違わずに言える。
今朝は久しぶりに家族会議をした。旅行や家のこと、家計簿とか色々と細かい話。どうしてだろう。周ちゃんは私じゃないのに、周ちゃんが出来ないことに苛立ってしまう。
私達は正反対のような性格や特性を持ってる。思った瞬間直ぐに行動に移したい私と、じっくりと考えてから動き始める周ちゃん。大きく広く見る私と定めた部分を奥深く見る周ちゃん。どっちもどっちでいいも悪いもないのだけど、せっかちな私が苛立つのは大体いつものこと。
周ちゃんは同じ話を何度もするし、辞書だとか取扱説明書かってくらいにそれについて細かく丁寧に説明をし始める。私はもうその3分先くらいの場所にいるから早く終わって、どうでもいいから次に行きたいと思いながら話は殆ど聞いていない、聞かない。何でもかんでも思った時にはもうやりたい私は失敗も多いけれど、細かいことなんてかまいたくない。細かいことが気になってそれをしっかりと理解するまでは動けない周ちゃんは失敗は少ないけど論理を組み立てるにはそりゃ時間がかかるし遅いし、もう目の前のそれはとっくに冷めたよ。みたいなことも多い。
お願いだから世界とコミュニケーションして!と思うのは私で、周ちゃんはいつも一人で刻々と時間を重ねてしっかりと前へ進んでいく。コミュニケーションなんてきっと要らないし納得していないと進めないんだろう。
だからいつも私が先にカチンときて怒る。なじる。意地悪を言ってしまう。そんなことを考える度に私が傷つけたひとりめの夫のことも思い出す。私は決して被害者なだけじゃない。沢山の人は勘違いしてると思うけれど、私は過去だって最低だった。
周ちゃんは勉強は出来るし賢いけど、鈍臭くて腹が立つ。周ちゃんにしたら、IQは中学受験どまりでアホで無知でよくわかんない事ばっかりする私は騒がしくて迷惑だと感じてるんだろうと思う。だけど、そうやって出来る限り傷つかない術を持っていて欲しい。
夕飯は一人でグラタンを作って食べた。午後から周ちゃんが出かけてひとりきりの最高なはずの時間を過ごしてると、不意に周ちゃんに会いたくなったりもする。寂しいとか早く帰ってきてとは思わないけど、やっぱり好きじゃんなんて思いながらワインをガブガブと飲んだ。
書斎で仕事を終えて周ちゃんに手紙を書いた。1階では朝から水詰まりの工事。大家さんと業者と管理会社の人が来てる。周ちゃんが立ち会ってくれて、私は部屋で梃子と籠っていた。大きな音はお昼ごろまでガタゴトと続いた。夕方は近所の小洒落た鰻屋を予約してる。今日は1回目の結婚記念日。
「こんな日が来るなんて、20代の俺に言ってあげたいよ。」
「周ちゃんなら、鰻なんて30代だって食べれたでしょ。」
「違うよ。結婚記念日に店を予約して食事をするなんて、ドラマみたいなことが本当に起きるんだなって。」
若い頃は、付き合った日だとか、出会った日だとか、なんでもかんでも特別にしたがった。もう最近じゃ誕生日だってそんなに特別じゃないし、結婚記念日もそんな感じで大して特別に思わなかった。数週間前になんとなく「食事でもする?」と聞くと軽く頷いた周ちゃん。これっぽっちも想像もしていなかった。周ちゃんは今日の日を喜んでる。
ひとりでビールをあっという間に飲み干してワインを頼んだ。それから、今日は少しいつもと違う話をしようと話した。結婚してからのこと、一年経ってどう?どうだった?とか。記念日に鈍感な私の心はいつまでもどこまでも静かなまま。だけど周ちゃんはずっと笑顔で顔をくちゃくちゃにしてクリスマスの子供みたいに嬉しそうにずっと笑ってた。
私が知ってるよりもずっと簡単なことで誰かを幸せにできるのならば、もっともっとしたい。私が周ちゃんの妻じゃなくとも、周ちゃん以外の誰かに対しても、とにかくそうしたいと思った。天井が高くて日本家屋の屋敷みたいな薄暗い店内。少しだけお酒が回っていたのかもしれない。私の小さな願いはぼんやりとして見えるけれど、しっかりとここにある感じ。願いや祈りみたいに手放さない。いや手放したくない。傷つけないようにと柔らかくしっかりと。
私は何も要らない。誰も気づかないような少しだけの光でいい。松陰神社に見つけたマンションでそっと静かに暮らせたらいい。そう願っていた日々の中で突然に現れた周ちゃん。2021年11月。離婚から丁度1年。ようやく夫の影が街から消えた秋も終わりの頃だった。走るバンを見ても動揺することがなくなり、警察からの電話も鳴らなくなった秋に。
男の人に触れられるのでさえ怖かったのに、出会って直ぐに抱き合って結婚した私は本物のバカだったと思う。顔が小さくて学芸員をしているというイケメン。いまだに私の何がよかったのか聞いても周ちゃんの答えはよくわからない。
「そう感じたから。直感だった。」
結婚はそんなに簡単なものじゃない。だけど、そんな風に決断してしまうのもわかる。きっと人生をどうにかしたかったんだろう。いつまでもここにいたらいけないと覚悟したかったんじゃないか。もし本当にそうだったとしたら、結婚を恐れていた私と同じ。だけど、理由なんてなんだっていい。結婚なんてと言う私に、結婚をしようと言う男が現れて、怖いから嫌だとは言いたくなかった。
2度も結婚をしてみて思うのは、やっぱり結婚は大変だし面倒なもの。楽しいことも沢山あるけど、ひとりの方がずっとラクでいい。だけど、望まなければ望まない程になにかを見つけられるような気もしてる。最近は特にそう。おかしなもので、2度目は2度目で全然違う結婚をしてる。
手紙に書いたことはいつも通りに冷たい私からのお願いごと。”結婚は上手くいかないこともあるけど、くだらないことで毎日をどうにかしたくない。せっかく結婚したのだから、これはチャンスにしよう。” 本当に冷たい女だと思う。だけど、周ちゃんが結局好きだし、さらさらと書いた。一生あなたを幸せにしたいとか、幸せにしてとかそういうのは間違っても絶対にパスだ。アルバイトの牧師さんに「神の前で誓いますか。」と言われてる新郎新婦を見て、私ならこう言いたい。人生はそんなにつまらないもんじゃない。人生は壮大だから、そんなファンタジーみたいな事言わないで。自分の時間をどうか粗末にしないでって。
どちらかが先に死ぬだろうし、電撃的な恋に堕ちてしまうようなことだってあるかもしれないし、いつかさよならする日は必ずやってくる。ここにあるものはずっとあるわけじゃない。抱え込むことなんてしたくないし、だからって簡単に手放すつもりもない。ただ、消えてなくなる前に私が出来ることをしたい。その為に私はあなたの力になるし、私もあなたの力になる。
私の望みは、ただ今日が腹一杯に。互いの胃袋が美味しさで十分に満たされていればいいだけ。
夜は一人で晩酌をした。周ちゃんは知り合いに誘われて武蔵野の土地や農家さんを知るというイベントに出かけた。明日は結婚記念日。短かったような気もするけど、3年くらいの長さのようにも感じる。
今日も朝から撮影。昨日よりもずっと背中の調子はいい。先生からも安静にしていれば痛みは3日で徐々に消えていくと聞いていたけど、本当にその通りだった。今日は稲妻が背中を走るような痛みに襲われることもなかった。
負担のかかりそうな体勢は極力避けて、重いものを移動する時はアシスタントのムーンちゃんにお願いした。リュックに忍ばせておいたロキソニン4錠を一度も飲むこともなく無事に撮影は終了。なんとか乗り切れた。それに、身体もどんどん回復に向かってる。
先週の撮影で私が起こした背中ぎっくりは背中の筋肉が破れ内出血を起こしてしまう状態で、症状としてはぎっくり腰そのもの。激痛と共に身体がピクリとも動かせなくなる。体力のある無しに関係なく、過度な筋肉へのストレスでばりっといってしまうものらしい。マッチョなお兄さんから、私のような中年女まで誰でもなる。とはいえ、ならない努めは出来る気がしてる。春からピラティスにでも通おうと小さく誓った。
最後に口の中を〆たのは苺大福。現場で食べるご飯や差し入れのおやつはとても美味しい。最後に食べた饅頭は特に疲れた身体に甘いあんこがじんわりと心身沁みわたっていった。とにかく先週から続いた撮影が無事に終えられたことが嬉しくてゆっくりと食べた。それに、大ベテランの先輩達とこうしてお仕事が出来ることも夢にも思っていなかったことだ。キッチンで母の料理本を読み漁っていた子供の頃の私が今日の日を想像できただろうか?まさか、自分が本を作る側の人になるだなんて。
雑誌やウェブで出会う編集者とはまた違う書籍の世界。卓越した先輩方の仕事ぶりや仕事への想い。料理が好きとか、食べる事が好き、お店めぐりが好き。そういう好きとは全然違う。料理が好きで好きで、料理本を作るのが好き。何年もかけて数々の料理本を世に出してきた先輩方の姿勢は真っ直ぐと太陽に向かって立つ、太くてしっかりとした大木みたいで、側にいるだけでその清々しさに背筋が伸びるような気持ちだったり、心地よかったりと気持ちは常に高揚した。
私も料理が好きだし、料理を教えてくれる料理本は大好きだ。料理本の仕事がしてみたい。ずっと心にあった夢だった。帰り道、バスを待ってる時にふと思い出した。20代の時に働いていた制作会社で気が合う女の子がいた。入社したての頃に話していたこと。
「どんな本読むんですか?」
「実は恥ずかしい話、本は殆ど読まなくて、。料理本は読むんですけど。」
「へー。私も料理本好きですよ。」
「夜ベッドに入る前に、ベッドの脇には料理本を沢山積んでそれを読みながら寝るのが好きなんです。」
「え!私もですよ。」
料理本は実用書っていうカテゴリーだと思うけれど、実用的なだけじゃない。夜、寝る前に1日仕事を頑張って疲れた心を癒してくれるのは、美味しそうな料理写真やレシピもそうだけど、先生が食と共に生きてきたストーリーが詰まった知恵袋のような色々だ。
アトリエに入る光やキッチンに並ぶフライパン一つにとってもそう。料理を作る人の手や美しい料理が盛られた皿だってそう。そこはきらきらと光る母の食卓と同じ、胃袋だけじゃなくて全身がそこに包まれたいと願ってしまう。生活はいつまでもどこまでも限りなく豊かであることを教えてくれる。明日は今日よりもずっとずっと美味しそうに光ってるんだということを。
いい本になるといいな。もう過去の同僚とは連絡を取ってないけど、彼女のような子にこの本を読んで欲しい。
昨日はシンジくんには会えなかった。
編集の成田さんがせっかく誘ってくれたのに。周ちゃんが以前に通ってた接骨院の先生のところへ駆け込むと「絶対に安静にしてください。背中ぎっくりですから。」との事だった。
「本当にごめんね。すごく会いたかったんだよ。」
「よしみちゃん。結婚おめでとうー!」
「あ、そうそう!私、結婚したんだよ〜。」
「若のおかげだね。幸せそうで何よりだよ。」
接骨院を出て痛くて亀みたいな速度で歩きながら電話をかけると、久しぶりのシンジくんは小豆島でお世話になったシンジくんのままで元気そうな声だけが聞こえた。離婚が成立する直前の大変だった時、とにかくその優しい人柄に癒された。島で会うまではまさかそんな話をするとは思わなかったけど、シンジくんは結婚も離婚も経験者で長く暗く辛い時間の事もよく知っていた。だからか、一緒にいるだけでほっとしたというか、あの時間は特に側にいてくれた事が何よりの救いだった。
それに、シンジくんは私と同じ蠍座で誕生日はうちの兄と姉と同じ10月30日。勝手にシンパシーを感じて傷だらけのひりひりとした心を温めていたようにも思う。
泥みたいな身体をなんとかひきずって朝から現像を始めて昼頃に送り、別の仕事のデーターも急いで納品。昼食をさっと流し込み、13:59ダウンロードしたzoomで14:00から大学のオンライン個別相談に滑り込んだ。申し訳ないと思いながらもこっちのビデオはオフにしたままで。
背中の激痛で起きれなかった朝から、なんとかデスクワークをこなして、オンライン相談も時間より早く切り上げ、接骨院。なのに、結局そのまま周ちゃんに迎えに来て貰ってUターンだなんて。わたし、何やってんだろう。馬鹿みたい。シンジくんが久しぶりに東京に来たのに。あまりに情けなくて、ああ、最悪。だとか、もう嫌だ。みたいな言葉を吐き捨てたくなったけど、ぐっと飲み込んだ。くだらない。不幸を呪うほど愚かなものはないと思うから。大変な時こそ、先ず一番にすることは心の声を聞くことではなくて、最悪な現実を少しでもいいから変えること。月曜日も大事な撮影がある。痛くて撮れないなんて絶対に嫌だ。
シンジくんに会いたかった。新しい仕事の話も少し聞いたけど、もっと話したい。声を出して笑うのが辛くて、背中にズキッと痛みが響く度に肩をくすめて手短に話した。元気になったらまた連絡をしよう。久しぶりに色々な話がしたい。
朝から撮影。背中がおかしい。歩くだけでも痛いし呼吸しても痛い。来週まで乗り切れるのだろうか。勉強も月曜から休んでいるし、朝が来たと思ったら晩が来る。
今回の撮影は私にとっては条件の悪さは過去一で、苦手とするライティングが主となる。自然光が十分に入らない北窓のぬったりした光が朝から晩まで連続する中で料理を綺麗に見ようとするには大体想像するしかなかった。こないだ写真家の松村さんが三脚を立てたらいいよ。と言ったアドバイスも呆気なく惨敗。想像している以上に三脚を立てるスペースがなかった。
考えているのは料理のことじゃなくて、どうしたら自然光みたいな光のライティングとなるか。現場が穏やかであることが何よりの救いだし、大先輩達との仕事はとにかく勉強になる。なのに、私の心は落ち込んでる。もっと料理に感動したいともがき続けてる。今回の仕事は特に込めた想いも強いからだろう。我が儘な気持ちを捨てられない。
それに反して背中の激痛は日に日に増していく。やばいかもしれない。背中の激痛と共に頭痛も始まってきた。もっとハードな内容の撮影は過去にもこなしてきたのに、今回は確かに、先週に姉が言ったようにこれはチャレンジそのもの。
最悪と言えばやっぱり最悪だし、諦めたくないのならばやるしかない。だから、どうにかしてライティングを組まなきゃ。人生なんてだいたいうまく行かないもの。
今日は書籍の撮影二日目。最初の打ち合わせは昨年の秋。ずっと先のような気がしていたけどあっという間に始まった。今日が2月15日だなんて信じられない。この本の撮影が終わり、1週間も経ったら3月。そして、もうすぐ引っ越して1年になる。
撮影を終えてから打ち合わせを少しして帰宅。時間は20時を過ぎていた。周ちゃんは残業らしく家は真っ暗。餃子を焼いて、冷奴に帰りがけに買ってきた釜揚げしらすと醤油、オリーブオイルをまわしかけてビールと一緒に食べた。なんとなく写真を撮る気になれなくて今日はごはんの写真は撮らなかった。左の背中がズキズキする。すごく痛い。
周ちゃんとはここ数日、喧嘩というか顔を合わせて話してない。意図的にすれ違ってる。ベッドの中で軽く足を絡ませてみたりもするけど、せめてものコミュニケーションというか、それ以上は何もしたくなかった。周ちゃんに少し腹が立ってる。周ちゃんも一昨日、私に苛ついていた。今夜もおやすみとだけ言って寝た。来週は結婚記念日なのに。周ちゃんは喧嘩が出来ないからめんどくさい。
“電話するなら4時間以内にして。”
L.Aは夜。日本は午前11時。
「あのさ、昨日の電話、夜中の1時だから。」
電話に出た姉が最初に言った言葉。
「ごめんごめん。最低だよね。」電話の向こうでヘレナが変な顔をしてる。
「ヘレナどうしたの?」
ヘレナはL.Aに戻ってから体調を崩したらしい。日本で病院へ行ったけど薬の内容を調べるとどうやら抗生物質じゃなくてただの痛み止めだったと怒っていた。
「それで、周三のこと?」
「違うよ。周ちゃんのことは特に何もないよ。性格なんて変わらないでしょ。変えるものでもないし。昨日、ハンドルの向きについて注意を受けたけど、面倒だからハイハイって聞いてたよ。別にそんなものでしょ。」
「それで?」
姉は大体いつもわかってる。何もなくたって姉には電話したいし、する時もあるけど、私からかけてくるっていうのは何かがある時なのだそう。半年くらいモヤモヤしていた仕事での人間関係のこと。自分の気持ちをどう整理したらいいのかわからなくて聞いてもらった。
人を信じたいし出来る限り自分ができることをしたい。だけど、信頼をしてる人が、その人にとって良くしてくれる人の悪口を言ったり、自分の成果の事ばかりに夢中になっていたり、そんな場面に出くわす度に虚しい気持ちになった。「あ、。」って、テーブルに並べられた出来立ての食事が誰かのお喋りで冷たくなっていく瞬間みたいに、すーっと。
それに、
離れていく自分の心が何だか悪いことをしているような気がしてどう収めていいのかわからずに宙ぶらりんのまま、時間がぼんやりと流れていった。時々思い立っては手帳にもう離れよう、みたいな事を書いてみたりするけど、結局、笑顔でこたえてしまう。
「あのね、いい人っていうのは損をするんだよ。うちはやり過ぎるからよくない。世の中、人を使おうって人が沢山いるんだから。ちゃんと自分の身は自分で守らないと駄目。だけどさ、今回それがわかっただけ良かったじゃん。今がよしみのチャンスだよ。こういう時はチャンスだから。あと、嫌なやつとか、その人に対して悪い言葉は絶対に使っちゃ駄目だからね。悪口も絶対駄目。」
さっきまで散々悪口を言ってた姉。「別に悪い人じゃ無いんだから、もうやめてよ。」と言っても止めなかったのに、私の悩みをあっという間に消していった。悪い言葉は使いたくない。悪くも想いたく無い、だからずっとどうしていいのかわからなかった。
誰かの助けになりたい。シンプルな想いだと思っていたけど、とても難しい気持ちみたいだった。自分の身を守ることはとても大事なんだという事もよくわかったけど、いつも誰にでも不審に思って表面だけでやるようなコミュニケーションも嫌だ。
なんだか、最近すごく仕事がしたいと思う。
小さなコミュニティーでいい。信頼のおける人とだけ気持ちのこもった仕事が出来ればいい。今までの考えが薄れてきてる。仕事が大きくなればなるほど出会う人も増えていくし、社会も必然的に広がっていく。昨年までは離婚の傷や自分の生活を整えることで精一杯で私の色々は内側に向いていたけど、最近はもっともっと外へ出てみたいと思うようにもなってきた。
色々な人に出会って、色々な人と仕事して、失敗したり嫌な想いをしたりしながらも、片一方だけがじゃなくて、互いに明るい未来を一緒に見れる仲間を見つけたい。
「よしみ、スペース空けときなね。」
「なんか怪しいじゃんそれ。宗教みたいだよ。」
「本当にそうだから。あ、って何か嫌な感じを受けた気持ちは正しいから。ちゃんと離れる勇気を持つ。そうやってスペース空けると、別の新しい人に出会えるよ。今は超チャンスだから!頑張ってね。その人には感謝だね!!じゃあね。」
それから、ちょっと気づいたことがある。最近勉強してる社会心理学でのこと。胸にひかかっていた誰かのことがわかっていく気がした。それはきっと近い未来に東京で暮らしていて良かったと思うことの一つになると確信さえしてるくらいに。人が沢山いる東京だからこそ出会えた人々。
人を無下にする人たちにも一連の繋がりを見つけてる。好み、話の傾向、仕事の仕方、対人関係など、いくつもの行動が一貫している。これは性格ではなくて何か原因があるって事だろう。そして、そこはなんだか寂しい場所にも見える。
もし、私の心がその人たちにされた事で仮に傷ついていたとしても、それで、そこで、終わりでいい。だって仕方がないことだから。
一昨日から体調を崩してる周ちゃん。原因は雨の中、ずぶ濡れで帰ってきたからじゃなくてどうやら庭のバケツに入れておいたレンコンが原因で胃腸炎になったみたい。私も同じものを食べたけど朝にお腹を下していた程度。周ちゃんは胃痛が酷くて夜中一睡も出来なかったのだとか。
最近の私はどんどん頑丈になっていく気がしてる。
今日は朝から撮影の準備。あっという間に夜が来てザーザーぶりの中、ずぶ濡れの周ちゃんが帰ってきた。今月はずっとなんだか忙しない。
夕方に週末に約束していたいまむちゃんとゆうちゃんとスパゲッティーを食べに行く予定を延期してもらった。土曜日にのんびりとスパゲッティーをすすってる場合じゃなかった。残念だけど、来月が楽しみだな。スパゲッティーもだけど、スパゲッティーのことを嬉しそうに話すいまむちゃんを見るのが楽しい。人が何かに喜んでる姿っていうのは、こっちまで嬉しくなるというか、その弾む気持ちが感染するというか、そんな時間が美味しく感じてしまう。
最近、色々と考えてて少し疲れてる。多分きっと来週から始まる撮影だとか、大学の準備で気持ちが一杯なんだろう。だけど、新しいことがどんどんやってくると同時に失っていく色々も感じる中で、例えば、年始に感じていた東京の友達との交流が減っていく寂しさよりも、今は新しい人に出会っていく面白さみたいなものに本能的にワクワクしてるというか。違う世界が私に溶け込んでいくのが気持ちがいい。
周ちゃんとお風呂に入りながら不意に話したこと。
「人って面白いよね」って。
最近よく感じること。この人といると何だかとても楽しいとか、現場が明るくなるとか、たったひとりの人の影響は意外に大きい。逆に言えば、威圧的で怖いとか、冷たい言葉が場の空気を悪くするとか。本人が考えてる程に悪気はなかったとしても、悪い環境を作ってしまう人もいる。家族でも友達でも仕事でも誰と自分がいるかで自分は変わっていく。環境を作っているのは人で、その環境の中で生きるのも人だ。たったのひとりの影響力は別の誰かの今日を簡単に変えていったりもする。
nature or nurture 遺伝か環境かという古代ギリシャからの問いが現代までも続いてる。少し前に勉強したこと。面白いことにDNAが環境に左右されるという研究結果もでてる。誰とどんな風に過ごし何を感じるのか。悪く言うならば、潜在能力を引き出してくれるのもそれを潰すのも他人だったりもする。人の所為にするのは良く無いとも思うけれど、人は、やっぱり一人じゃ生きてない生き物で、人は、人とともに生きる。だから、要するに未来を明るくするには仲良くなった方が早いってこと。だけど世の中そんなに上手くはいかないもの。大人になればなるほどに複雑で巧妙に蓄えられたバランス感覚は曲がった骨盤のように誰にも気づかれることなく一方だけを目指し偏っていく。
「人とは人と人の…」私が人の影響力について言いたいことだけ喋りさくっと風呂を上がると、湯船に浸かりながら周ちゃんも熱弁を続けていた。そうだよね。人は人と。明るい場所を作りたいね。美味しくて平和でとにかく温かい感じの。
夕飯は急いで作ったポトフとトマトスパゲッティー。
朝食を急いで食べて梃子の散歩へ出た。私は昼から久しぶりに睫毛パーマをしに駅前に行く。周ちゃんは高校の同級生と新宿で食事の約束をしてる。
「散歩、俺がさっと行ってくるよ。」と、周ちゃんが言ったけれど、私も行くからと支度を急いだ。先週の殆どは少し朝が忙しくて家の周りしか行ってあげれてない。いつもなら裏山か神社か私がダムと呼んでる貯水池のどれかをぐるりと回るコースなのにさっとなんて梃子が可愛そうだ。
「今、生理なの?」
「そうだよ。」
周ちゃんが歩きながら聞いてきた。
昨晩、寝ている私の背中をさすっていたらしい。吸水パンツを履いていたからそれで気づいたのだろう。Nagiの吸水パンツは水着みたいだから直ぐにわかる。何年か前に買ったもので今のは違うのかもしれないけど、分厚くてあきらかに普通のパンツじゃない。理由は何にせよ、好きな男にただ歩いている時に生理なのか聞かれたことは初めてだったし、それがあまりにいつもみたいに流れていくことが不思議で嬉しかった。
生理は特別な日だし、面倒で何だか隠したくなるような日なのに、そうじゃなく思えたことが特別に感じる。この気持ちをどう、なんて説明していいのかわからないけど、最近の周ちゃんがすごく好きだ。
歯医者の治療でL.Aから帰国しているヘレナと原宿で買い物。昨日は横浜だったのに、今日は原宿経由で千葉。疲れた。けど、夏ぶりに会えて嬉しかったし楽しかった。次はカウアイ島で会おうねって約束をした。ヘレナ達が夏休みに行くカウアイへ便乗しようという考え。「周三も来て!」と何度も言ってた。
「何でそんなに周ちゃんが好きなの?」
「だって、可愛じゃん。周三。優しいし。
それに、ヨヨに優しくしてくれるから。これが一番好きなとこだよ。」
ヘレナの日本の名前は優しい姫と書いて優姫。
小さい頃はどうしようもなく我儘だったのに今じゃ私よりもずっと大人に見える。ヘレナが向ける優しさはヘレナ以外の全てに平等に与えられてる。困ってる人がいたら直ぐに手を貸すし、知らない人でも当たり前のように親切にする。そんな風にヘレナといると少し自分がちっぽけに見えたりして、私の方がずっと歳をとってるのに恥ずかしくなるくらいだ。
「ジプシーのようにあちこち住まないで家を建てなさい。」
ひつこく言う母の言葉を聞いたのか、姉は日本、オーストラリア、L.Aのあちこちと移り住むのをやめて家を建てた。ニコちゃんの仕事が理由だとも思うけれど、彼女達の人生はジプシーそのもの。面白かったのはクリスティーナアレギラと過ごしたディズニーランドでのクリスマス。結構、いい人だったよと言ってた。クリスマスツアーか何かだったんだろう。ヘレナはそんなクリスマスを子供の頃から過ごしてた。そして早くに父親を亡くした。葬儀の次の日、後を追うように亡くなった親友だったスカイちゃんと楽しそうに遊んでる写真を撮ったのを覚えてる。あの頃、姉もヘレナも、私の人生も今思えば無茶苦茶だった。
大学は2年早く卒業らしく来月からニコチャンのパートナーだった人のチームでアシスタントとして音楽の仕事を正式に始めるのだそう。帰って直ぐにオレゴンのツアーに参加。18歳から働くだなんて、私が18歳の時は恋かダイエットかファッションの事しか考えてなかったのに。そういえば、こないだ国立で入った喫茶店でヘレナと近い歳の男の子が彼女と店のマスターと話していた。「まだ働きたくないから。院に行こうと思って。明日が試験結果なんですよね。」
日本の子はモラトリアムが長いように感じる。モラトリアム、大人になるまでの猶予期間。私も長いこと猶予の中をスイスイと現実から逃げるように泳いできた。離婚をしてからようやく大人を感じたとういうか、地に足をつけて歩いき始めたように思う。もういつまでも逃げられない。しっかりと歩かなきゃと決めた。警察から、弁護士事務所へ行った帰り道に、夫と住んでいた家から引っ越す時にそう誓った。もう私の夢はここで終わりなんだって。
ずっと昔に「子供を産まない人はいつまでも大人になれないのよ。」
と、母が言った。当時はまだ二十歳くらいだったし、偏見くさいこと言ってるなぐらいにしか思わなかったけれど、今は少しだけわかる。
中年の友人達。何が本当で何が嘘なのかわからない話ばかりをよくしてる。夢と現実が曖昧でむちゃくちゃだ。けど、十分にわかる。夢みたいな現実をこのままにそっとして置いて。いつか結婚したい、いつか家が欲しい、いつか素敵な人が現れる。いつかは毎日のおまけみたいなものでいい。現実的に言えば、もう卵子は殆ど残っていないし、そんなに条件のいい男や若くて可愛い女はとっくに誰かの隣で今日も愛を着実に育んでる。だけど、全部知らない。本当は知ってるけど知らなくていい。
人生は難しい。許されるならばいつまでだって子供でいたい。甘えていたいし、自由でいたい。縛られたくないし、けどお金は欲しいし、楽で生きたい。怖いことは見たくないし、知らないことは知らないままでいい。だけど、そればかりだと飽きてくるってこともわかってる。
横浜で取材の合間に喫茶店で合間の時間を潰している時にフォトグラファーの松村さんにLINEした。”ちょっと写真のことで聞きたいことがあるんですがいいですか?” 次の撮影のこと。悶々と考えていても仕方が無いと思って相談してみることにした。直ぐに着信が鳴った。「こないだの車なんだったの?」年末、酒の席で私が欲しい車が何かわからず当てるゲームみたいなものをしていた。「結局、旦那さんに聞いてもわからなかったんですよ。」「何だよー。それでさ、さっきの。感度は上げないよ。800以上は。」あ、。そうだ。感度は上げない。師匠である笹原さんもそうだった。感度は絶対に上げない。重いジッツオの三脚をがしりと立て、どんなに暗い場所でも少ない光を見つけて写真を撮っていた。アシスタントの時に少しだけお金が出来た時に私もジッツオを買った。大きな鉄の塊みたいな三脚。重いし、持ちづらいし、冬は持ってるだけで余りに冷たくて手が痛くなるくらいだった。何度も足をぶつけたし、指も挟んだし。一度だけアメリカで作品撮りをする時に持って行ったけど、よく持っていたと思う。あの時は若かった。結局、数年も使わずにメルカリで売った。相手は高校の先生か何かで、写真部で使う為だと言っていたけど、部の生徒達は本当にあんな無骨な機材を使えたんだろうか。今更だけど時々少し胸が痛む。いい物ではあるけど、素人が扱えるような機材じゃない。
「だからさ、三脚を使うよ。料理を綺麗に撮りたかったら三脚だよ。」松村さんの言葉に大事なことを思い出したようだった。私、何やってんだろう。三脚。つい数年前まではジッツオではなくても、私も三脚をしっかりと立てていた。デジカメになってから出来ることが年々増えていく。その進化は本当に凄くて、軽量化していく機材に反して上がっていくスペック。光をどうにかすることは決して道徳を反してる訳では無いのだけど、人間の背中に羽が生えるとか、体重が軽くなる靴とか、正直、カメラの中で訳のわからないことが現実的に起きてるような感じだ。光が無いと撮れなかった写真が光がなくても撮れるようになってしまった。そうして出来ない事が出来るようになると、誰でも何となく写真が撮れるようになり、それと同時に似たような写真をよく目にするようになった。デジカメを始めた時はこんな状況につまらないなと嫌気がさしていたけど、今ではこれが今日の写真なんだと納得してる。すっかりそんな事すらも忘れていた。曖昧な部分はあっという間に失われ、なんでもコントロール出来るようになった写真。フィルムブームなのもよくわかる。だって予測可能な明日なんて見たくない。それは仕事なら安全でいいかもしれないけど、自分の人生なら誰だってつまらないって言う筈だ。
やっぱり松村さんに話して良かった。本当に良かった。よし、楽しもう!
周ちゃんは確か先週も忙しかったけど、今週はもっと忙しいらしい。週末から始まる新しい企画展の準備で帰宅は昨日も深夜だった。周ちゃんと仕事をしたらすごくいいと思う。私達が一緒に仕事をする日が来るかわからないけれど、あんなに丁寧な人としたら安心しかないし、我儘を言いすぎてしまいそうで想像するだけで怖い。偉めな上司の娘と見合いさせられたとか、既婚者のチームを組んでいた同僚から休日まで一緒に仕事したいと言い寄られたとか、女ってのはわかりやすいというか残酷な生き物だなとも思うけれど、そんな事をしてしまうのもわかる気がする。出会った時に私の働き方を聞いて周ちゃんはすごく驚いてた。仕事の人は基本信用しないし、プライベートは一切話さないよって。「好きじゃない人、信頼できない人とどうやって仕事をするの?」私の質問に対して周ちゃんの回答は無かった。仕事ってそんなに修行みたいなものだっけ。ただでさえ、写真を撮るのに緊張したり、怖く思うことだってあるのに、せめて側にいてくれる人とは楽しくやりたい。安心したいし、安心して仕事に向かいたい。なんなら背中をさすっていて欲しいくらい。じゃあ、周ちゃんはどうやって仕事をしてるんだろう。忙しくて痩せるってどれほど苦いんだろうか。それは一体誰が喜ぶ為にやってるんだろう。
午前はフミエさんのアトリエで撮影のテストをした。どう撮るべきかわからなくて迷ってる。よしみちゃんはよしみちゃんっぽくていいよね。とか、よしみちゃんの世界観があるとか。そう言われる度に褒められて嬉しい反面、何だか駄目な人みたいにも聞こえてどうしていいのかわからなくなる時がある。写真作家になれなくて仕事の写真を撮る人になった私のただのコンプレックスだけど、勝手にやるせない気持ちになったりしてる。コマーシャルの写真が写真として良くないってわけじゃないし、仕事だって大好きだけど、作家には叶わないんじゃないかと決めつけてしまう自分が時々現れる。写真の質が違うのだから良し悪しなんて無い筈なのに。
テスト撮影を終えて、バインミー屋でバインミーが出来上がるのを待ちながらフミエさんに聞いた。「フミエさんは写真、どう思いますか?」私は今回、フミエさんの料理をどう撮ったらいいのか迷ってる。明るく綺麗にストロボをたいて撮るべきか、それとも自然光を活かして暗くてもイメージを重視したらいいのか。フミエさんのアトリエはあまり明るくない。この状況下で光に頼るのは正直辛い。偶然を狙うのも難しい。どうしよう。
編集の若名さんに相談すると、意外な答えだった。「よしみさんとフミエさんがやってきた事を写真にしてください。」真っ直ぐに目を見ながら話してくれた。不安がる私にライターの岩越さんは写真を撮る人みたいに教えてくれた。季節の光だとか、朝や晩の光を考えてみるのもいいんじゃないか。今回の仕事が決まった時、とにかく若名さんっていう大船に乗ろう。若名さんみたいな方とお仕事出来る機会はないのだし、私達って本当にラッキーだねって浮かれていた。だけど、若名さんが伝えてくれた話は私もだけど、フミエさんの心も打ったと思う。夜にフミエさんとLINEをしていて、とにかく頑張りましょうってメールをしあった。それに、岩瀬さんがいてくれて良かったし、フミエさんの友達の赤松さんもそう。
まだ少し時間がある。ゆっくりと考えてみよう。来週から大学の講義が始まる。
何だか忙しない数日。朝から少し苛々してる。理由は朝から周ちゃんが餅なんて焼くからだ。どうして忙しい最中に餅焼いたりするものかと腹が立った。ひっくり返したように汚れたキッチン。餅がこびりついた流しを誰が綺麗にすると思っているんだろう。けど、周ちゃんが焼く餅は美味しいし、嫌な顔一つせずに食べた。何とも私の心と心に板挟みで苦しい朝。一人暮らしはあんなに快適だったのに、男と住むというのはどうしてこんなにも大変なのか。私の人生の半分は多分、同棲とか結婚に費やしてきた為に一人暮らしの経験は賞味2年。あの時間が今でも恋しい。終日が王様。好きな時に起きて好きな時に寝て食べて。脱いだものも散らかしたものも、自分のタイミングで片付けるし、誰かの何かをやってあげなくていい。無いものねだりなんて事はわかってる。時々こういう日がやってくる事も。
朝は撮影の準備をして、午後は大学の成績表と卒業証明書の取り寄せをし、急いで歯医者に向かった。今日で最後らしい。先週の麻酔が酷くてもう行きたくないと思ってたので良かった。帰宅すると直ぐにりょーこちゃんから小包が届いた。同封されていた手紙を開けると綺麗な字で結婚おめでとうって書いてある。それから、食卓はよしみちゃんが好きな場所だからって。小さな桐箱を開けると水引のように結われた銀の箸置きがライトの光に反射してキラキラと光っていた。全てがそれぞれに違う形。なんて綺麗なんだろう。思わずため息がでた。富山県の伝統工芸品らしい。
りょーこちゃんに会いたいな。くだらない事で笑いあいながら麦酒をガブガブ呑みたい。りょーこちゃんはよく笑う。だから嬉しくなってつい調子に乗ってもっと笑わせたくなってしまう。そうして楽しいのループが始まる。ずっと前に一緒にベトナムに行きたいねって話していた。ネオンが光る街を酔っ払い女二人でじゃれ合いながら歩きたいな。二人して何を撮ったんだかわからないような写真を撮り、後から上がった写真を見返してケタケタ笑いたい。
パリのマユミちゃんから手紙が届いた。封筒の中には2022年12月18日の手紙と、年始にバカンス先から送る予定だったカードも同封してあった。もし、ずっと私達がお互いに東京にいたら今でも友達でいただろうか。友達の友達だったマユミちゃんはいつしか大切な友人の一人になった。私達の共通点は何もない。学校も仕事も趣味も、マユミちゃんがどんな男の子がタイプだったのかも知らない。一つだけ共通点があるとすれば、マユミちゃんは両腕の手首に丸のタトゥーが入っていて、私は左腕にフロイトの言葉が入ってる。それくらい。だけど、互いに入ってるって事しか知らない。その意味も聞かないし言うこともない。文通も3年目に突入。2021年の年賀状から始めて、半年もしたら来なくなるだろうと思っていた手紙。今のところお互いにやめる気配はない。他愛もない日常を一方的に書いているようで、なんだか励まされたり励ましたり、笑ったり泣いたりしてる。そして、マユミちゃんはバカンスがくる度にパートナーと聞いたことがないような名前の街へと旅に出る。私の知ってる日本人は誰も行かないだろう美しそうな街。もうしっかりとしたヨーロッパの人なのだなと思う。最近、友達が減った事を手紙に少し愚痴ったけれど、マユミちゃんの手紙にも同じような事が書いてあった。なんとなくの友達はなんとなく連絡を取らなくなって、仲が良かった友人とはより深くなったって。嬉しかった。寂しさを持て余していた私にとって十分過ぎるくらいに温まる言葉だった。
それから、”最近、服がずっと要らなかったんだけど、こないだいいブランド見つけちゃって。沢山欲しいけど、そんなに働きたくないから、そこそこに働こうと思う。” と書いてあった。マユミちゃんは元々服の学校に行ってたし、いつもマユミちゃんらしくお洒落をしていて、今でもパリコレの仕事を手伝ってるくらいだ。だけど、好きだからとか欲しいからといって自分の生活を壊してまで手に入れたいとは思わないと決めてる所がやっぱりマユミちゃんらしくて素敵だ。
そこそこに働く。いい言葉だな。数日前に私とフジモンが話していた事に過ごし似てる。バランス良く生きたい。仕事は好きだけど、仕事以外だって人生だから。何かを消費する為に死ぬ気で働くなんて嫌。「最近は、あっても撮影は週2日くらいかな。」仕事の事を聞かれたフジモンに返答すると「丁度いいね!」と笑顔で返ってきた。以前は週6日撮影していたし、1日に数本の現場が入ってるのが当たり前だった。こないだ会った中西くんも言ってた。「よしみちゃん、前は忙しそうだったもんね。」私は心だけじゃなくて、それ以外の沢山もどこかに置いてきてしまっていただろう日々。あの時はとにかく時間は私を窮屈になるまで押し込んでいたし、苦しかった。もう戻る気は勿論ない。それに、あの時は写真を撮っていたというよりも、お金を稼いでいた感じだった。人それぞれだと思うけれど、仕事は人生じゃない。その方が私にとっては気持ちがよく写真が撮れる気がしてる。スイスイと自由型で泳ぐ方がより早く進めるとゆうか、こんな風に浮いたり潜ったり出来るんだと、知らない私を見つけて驚いてみたり、教えてくれた誰かに感謝したり。まだまだ手探りではあるけど、今のところいい事づくし。
夕飯はモツカレー。モツを蒟蒻と大根と一緒に薄めの麺つゆで煮てから、カレーに入れる。カレーはスパイスは使わないでカレールーとソースで調味。スパイスカレーも好きだけど、こういう味がしみしみのカレーも好きだ。周ちゃんはすごく気に入ったみたいでお代わりしてた。