カテゴリー: Journal

5月26日

Journal 27.5,2023


来週の予定だった美容院。夏に向けて大人っぽいボブにでもしてもらおうかと考えていた。だけど、急遽いけなくなったので、今日思い立ってパーマをかけてきた。

なんだか、レポートを出してから、急に寂しくなった。勉強は寂しい。今まで以上に友人とは遊べなくなったし、日記を書く時間も減った。お酒も我慢してる。写真だけは撮ろうと思っているけど、それにしたって孤独だ。

” 寂しい。” パリのまゆみちゃんへの手紙に書いてみた。「孤独なの。」一昨日に周ちゃんにも相談してみた。

好き好んで中年になって大学に行き始めたのは私だ。勉強はとにかく楽しいし、ずっと勉強してる。それと同時に私の過去が、私が持っていたものがどんどん失われていくのも感じてる。

こんな気持ちになりながら勉強したくない。寂しいと感じるのは仕方ないこと。だって自然現象みたいなものだもの。けど、。なんだか不意にずっと同じような髪型してる自分が、変わらない人の性格みたいに見えた。

人は簡単には変われない生き物。生物として命が曝されるくらいな状況にならないと、中々重い腰が上がらないらしく、脳はできるだけ無駄な資源を使わないようにとしてるのだと何かで読んだことがある。生命維持のために。変わりたがらないワタシがいたとしても、変わりたい私はここにいる。そう、ワタシの考えもわかるけれど、私は努めることができる。

全然ちがう想定外の感じにしよう。インスタで髪型を探してみると、クルクルパーマの女の子がでてきた。「今日はどうしますか?」「この髪型にしてください。」

別に誰かにお願いされて私をやってるわけじゃない、どんどん捨てちゃえばいいと思った。帰り道、ショーウィンドウに写るクルクルになった私がいた。なんか別人。けど、いいかも。

料理家の角田さんと新しいプロジェクトが始動してる。ワクワクやドキドキもあるけど、今回のプロジェクトは今までの制作のように興味や、自分が得たい欲望の為のものじゃない。なんだか、試みに近い感じだ。それは、角田さんとの偶然の出会いであったり、その人柄に受けた影響であったり、周ちゃんとの結婚や新しい土地での生活、私が過去に経験した色々とか沢山の理由が含まれている。ただ、気があってとか、盛り上がってやろうとしてることじゃない。

今まで閉ざされた世界ばかりに私の注意が引いていたのは、そういう世界のことが知りたかったからだろう。だけど、たぶん心理学の勉強の影響もきっと大きい。心理学って人の心を知る学問かと思っていたけど、人の事を救うために作られた学問だったから。

やることは今まで通り写真を撮ったり映像を撮ることだけど、矢印が指し示す方向は、より広い場所へ、より多くの人のために向けられ始めてる。角田さんは料理も、料理以外でも、いつもその先に誰かがいる。今の私も同じ気持ちがある。家族や友達にできることは、沢山の人にもできると信じてる。

新しいことを始めよう。

5月23日

Journal 23.5,2023


なんだか、やっぱりまだ疲れてる。

昼は周ちゃんを車でミュージアムへ送った。周ちゃんの打ち合わせが終わるまでタリーズでPCを開いて勉強のスケジュールを立てたり、メールを送ったり、溜まっていた色々を片付けた。あと、美容院の予約と、まつ毛パーマの予約もした。もう女を忘れてしまいそうなくらいに今の私はいろいろと酷い。せめて下着だけでもと思うけれど、あいにくの生理でデカパンを履いてる。いくら体調が悪いからって周ちゃんに愛想をつかされそうだ。

それに、昨日に続いて、まだ泣きたい病は続いてる。朝から雨も降ってる。焼き鳥屋にでも行きたい。こないだ、アキちゃんは時々、焼き鳥屋にひとりで行くっていう話を聞いたけど、本当にあの娘はいい。女って生き物を十分過ぎるくらいに楽しんでる。彼女ほど楽しんでいたら、「残ってるのはロクでもない男ばっかり」なんて、中年女の愚痴も世界から消失するんじゃないか。いい男っていうのは、結構あちこちにいる。焼き鳥屋にだっているのだから。

それに、パリのまゆみちゃんだってそうだ。届いたばかりのまゆみちゃんとHUGOさんの似顔絵、ダイニングテーブルに飾ってるからか、食事をする度に思う。いい女だねって。

私はまゆみちゃんのほんの一部しか知らない。だけど、幾つかの事は知ってる。20代も終わりにさしかかると、東京って街は刺激的な場所ではなくて、ただ流行を繰り返しているだけなんだって事に皆、薄々と気づき始める。私達が出会ったのもそんな頃だった。だからって、東京から出ていく友達は殆どいない中、まゆみちゃんはひとり退屈な東京からパリへと飛んだ。

パリでは何度か引っ越しをしたし、仕事も幾つか変わった。パリはとても素敵な街だ。けれど、それは、いつもまゆみちゃんを幸せにしてくれたわけじゃないことも知ってる。どうにも上手く行かない日だって沢山あっただろうし、寂しい夜の話も聞いたことがある。

定期的に届くカラフルな封筒に入った手紙には、暮らしの中にある小さな幸せの話がいくつも書いてあった。街にお気に入りのカフェを見つけたよ、仲良くなった友達がいい話をしてたの、よしみちゃんのインスタを見て同じご飯を作ったよ。遠いい異国で女がひとり生きていく大変さは、姉からよく聞いてる。日々の小さな小さな幸せは、ポイントカードにスタンプを押していくみたいに一つ、また一つとふえて行き、HUGOさんと出会った日も、きっとスタンプが押されていた。

“今日はデートしたよ。楽しかった。どうなるかはわからないけどね。” と記してあった手紙から1年ちょっと。結婚したのは驚いたけど、私から言わせてもらえば、必然だった。まゆみちゃんと生きるのはきっと楽しいだろう。小さくても、パリの街のあちこちで幸せを見つけてくるから。

幸せって、小さいことの積み重ねな気がする。それに、幸せは特別なことではなくて、日々に埋もれるくらいにありふれたものの方が丁度いい。日々の中で一つずつ丁寧に貯めたものは、そう簡単には無くならないし、増えたら人にもあげられる。

ああ、早く二人に会いたい。まゆみちゃんおめでとう。アイラブユー。

5月21日

Journal 21.5,2023

朝にレポートを終わらせて、午後は少しノンビリと過ごした。野菜の植え替えや雑草をぬいたり、数週間手入れできていなかった庭が少しだけ綺麗になって、なんだか日常がまた戻ってきたようで嬉しかった。忙殺されていた日々の中で、あれやこれやと、やらなきゃいけない事の殆どを中身も見ずにしまい込んだ1ヶ月。こうして今日も平和に流れているならば、大して必要なことでは無いのかもしれない。そう考えてみると、生きる上で大切なことはあまりない気もした。

周ちゃんの体調は昨日より今日って感じで、ここ数日でどんどん良くなってきてる。今日はリハビリに外食してみる事にした。家から30分のところにある饂飩屋さん。人が沢山並んでる。どうやらマツコの番組に出てたらしい。こういう店はだいたい美味しくない。周ちゃんに「店を変える?」って聞くと、「せっかくだし、並ぼう。」とのことだった。饂飩は案の定、美味しくなかった。けど、隣の夫婦かカップルが美味しいねって楽しそうに食べてるのを聞いて、なんだか気分は良かった。味っていうのは、複合的なものだから。誰がつくって、何処で食べて、どんな食材で、有名っていうのも最近じゃ味のひとつだ。それが美味しいと思うその人の心が味わってる。

夕飯はモツの野菜炒め。余ったモツは明日焼きそばに入れようってなった。

5月20日

Journal 20.5,2023


昨日あたりから周ちゃんの体調がいい。「少し、リハビリをしよう。」周ちゃんを連れて、ドライブがてら買い物へ出かけた。来週締め切りのレポートが1本残ってる。けど、そんなに難しくない。精神疾患なんちゃらっていう科目。少しくらい出かけたって大丈夫。

昨晩は元夫が夢にでてきた。私は会いたくないと拒絶を続けてたけど、会わなきゃいけないっていう夢だった。どうしていきなり出てきたのか。けど、その夢を見せてるのは私自身だ。今度の課題の教科書では、元夫の病気の事も載ってる。その頁は、読まなくても読んでもスルスルと入ってくる。なんなら加筆もできるくらいに沢山の事を見てきた病のこと。

これ以上は考えるのをやめよう。過去は過去だ。今や過去を未来をぐちゃぐちゃにすると、生きるのが苦しくなる。

5月12日

Journal 12.5,2023

テーブルの上の芍薬が気づけば枯れていた。全く気づかなかった。右手の痛みは今日もしくしくと続いてる。周ちゃんは目を開けて食事をすることが出来ないみたいで、おにぎりを作ってる。一日に何回おにぎりをつくるんだろうか。握るたびに手が痛い。一日でも早く良くなってほしい。レポート提出まで一週間を切った。それから、周ちゃんの誕生日までも一週間。

5月10日

Journal 10.5,2023


母から電話。来週の誕生日のことだ。「ママは24か31がいいかな。ずっと仕事が忙しくて、そこしかダメ。」「わかった。予約入れておくから。」誕生日は母が好きな浅草のレストランに行く約束をしてる。母がいつからそこに通ってるのか知らないけど、子供の頃からそのレストランの名前はよく耳にしていた。

「それで、周ちゃんはどう?」「早いねぇ。あっちゃんに聞いたの?」女っていうのはほんとうにすごい。私が離婚した時も殆ど人に会ってないのにあっという間に広まったもんだなと思ったけれど、悪い話ほど光よりも早いスピードで飛んでいく。

母とは周ちゃんの体調のこと、それからとばっちりを受けた父や兄、カイトの体調の話。庭のゴーヤの苗をあげるだの、姉の家の庭になってるロメインレタスがすごいだのって、どうでもいい話をぺちゃくちゃと30分以上話してた。子供の頃はおばさん達のどうでもいい話が長くて退屈で、「もう、明日になっちゃうよ!」って母に本気で怒っていたけれど、自分がいざそのおばさんの年齢になってみると、どうでもいい話っていうのは時間をあっという間にたいらげる。母との電話を切って、しばらく和室で勉強していると2階から周ちゃんが降りてくる足音がした。ガチャン。そのままトイレへ。

めまいは止まったのかな。そう思った瞬間になんだかいつもと違う音がした。あれ、もしかして。直ぐにgoogle mapを開いて総合病院を探した。いや、嘘だよね。いや、嘘なら嘘でいい。母の言葉、本当にならないよね。「よしみを未亡人にしないでよ。」「ママ、それはそれだよ。仕方ないでしょ。けど、若いうちに病気で死なれるのは嫌だな。」周ちゃんのお父さんは脳の病気で亡くなった。周ちゃんも頭痛持ちで、神経質で、いろいろと細かくて優しくて真面目で。そして、数日前の吐き気とめまい。いまは多分。トイレで嘔吐を繰り返してると思う。

数十分して出てきた周ちゃんは洗面所で手や口を洗ってる。「周ちゃん。吐いてたよね。病院、やっぱり行こう。」昨晩、明日は整体へ行こうかなと話してた。前に同じようなことがあった時に整体へ行ったら大分楽になったのだそう。けど、私はあまり賛成じゃない。その整体は周ちゃんの紹介で行ったことがあるけど、結構なヤブだった。悪い先生じゃないのはわかる。けど、背中ぎっくりの私の背中を押していた。背中ぎっくりは背中の筋肉が破れる症状。破れたところを触ったらますます悪化する。

「明日の朝の状況で整体に行くか、脳外科に行くか考えよう。私、車だすからね。」

急いであちこちの病院へ電話をかけた。うちに来るなら紹介状が必要だの、それだけの症状じゃ何科だかわからないだの、感じの悪い電話が続いた。一昨日に行った耳鼻科へもう一度電話するようにと言われ、電話番号を調べると休診日。マジか。周ちゃんはどんどん衰弱していってる。なんか気がないっていうか、存在がどんどん無くなっていくような。どうしよう。

「今から行ってもいいですか?数日前に行った病院が休みで。」「はい。大丈夫ですよ。ぜひお越しください。」

何時間病院にいたんだろう。診察室へ入った周ちゃんは1時間くらい出てこなかった。だけど、きっと大丈夫。診察室の中にいれば、先生がいる。点滴でも打ってるのか、倒れて寝ているのかどちらかだろう。鞄いっぱいに持ってきた参考書を診察室の出口をちらちら見ながら読み続けた。

「熊谷さん?」看護婦の女性に呼ばれて診察室へ入ると目をつぶった周ちゃんがいた。病名は、良性発作性頭位めまい症。名前の通り突発性の病気で原因も不明だが、一度かかると再発率は20%と高確率の病気。今回は脳には異常はないとのことだった。良かった。

帰宅したのは13時を過ぎていた。家を出るときに、朝ご飯を食べていなかったし、空腹でイライラしたら嫌だなと思ってキッチンにあった残り物のご飯を急いでラップで包み鞄に放り込んだ。すっかり忘れてた。具も味もない白いおにぎりは参考書に潰されて底の方でぺっちゃんこになってる。ラップから少しだけはみ出した米がipadの先にベッチャリとついていた。ああ、そうって思っただけで、濡れたティッシュを持ってきて拭いた。こういう時は感情が変になってるのだろう。うんともすんともしない。

午後は午前できなかった分を取り戻そうと急いで勉強を始めたけど、なんだか上手く進まない。今やってるところが難しいからかもしれないし、まだ気が動転しているのかもしれない。それに、今日はいつもなら停められないような地下の狭いギリギリの駐車場に停めたり、慌ててチェンジレバーをパーキングにしないでエンジン切ったり、病院でも先生に沢山の質問をしていた。なんだかなんなんだろう。私じゃないみたいだった。ものすごく慌てていたけど、強くてしっかりもしていた。

焼きそら豆

野菜, Journal 09.5,2023

午後過ぎに周ちゃんがミュージアムから帰ってきた。吐き気とめまいが酷いらしい。夕飯も私がそら豆を口に含む度に美味しいとうるさいから、きっとつられて食べていたのかもしれない。昨日病院で薬を処方してもらってたけど、症状は悪化してる。

カツオ丼

Journal 07.5,2023


周ちゃんが数日ぶりに帰宅した。漁師みたいに灼けた肌。ちょっと別人みたい。帰ってすぐにハグをしたら溶けるみたいにホッとした。だけど、数日間のひとり暮らしはやっぱり最高だった。私が大金持ちだったら、東京かどこかに絶対別邸をつくるだろう。マンションの小さな一室じゃなくて、ちゃんと綺麗に光の入る、ベッドもダブルベッドの別邸を。それは夢のまた夢の話だけど。

午前に納品を終えて、急いで電車に乗って代々木公園へ向かった。夕方前に青山のアップルストアの予約をいれてる。買ったばかりのapple pencilが壊れたからだ。夏みたいな天気の今日。風だけは台風みたいにビュービュー吹いていた。代々木公園、思い出の場所だ。本当にここではよく遊んだ。仕事をサボったり、デートをしたり、写真も沢山撮った。渋谷は私が一番好きな街なのかもしれない。今ほど流行っていなかった奥渋や上原も好きな場所だった。自転車であちこちを走った。朝が来るまで好きなだけ思いきりに遊んだ。クリスマスにデートしたレストラン、ビルの一角にある友達の古着屋、代々木公園の交番前交差点で恋に落ちたこともある。その彼とは宮益坂の交差点で深夜に長いキスをした。

今日は山形からでてきたざおー家族と、昔よく遊んでたメンツが集まって代々木公園でピクニック。みんなそれぞれに家族が出来て、お母さんやお父さんになってたり、立派になっていたりと、話す事が沢山あるような気もしたけど、何から話していいのかわからないような。結局、最近あったような事だけを話した。後は風が強くて、砂埃がいろいろを持っていってしまったように思う。

色々と想うことがあるはずなのに、思い出せないことが沢山ある。だけど、思い出のことよりも、時間は変わったんだってことを考えてた。みんなとは20代の頃に出会ったけれど、今は40代そこそこ。もう、誰も渋谷では遊ばない。

駅前で生カツオを見つけて買って帰った。カツオの叩きを作って、ご飯を炊いて酢飯にしてカツオ丼を作った。久しぶりの周ちゃんとのご飯。私と結婚してくれてありがとう、不意にそう思った。口には出さなかったけど、代わりに周ちゃんが大好きだよと伝えた。

昼間、和美ちゃんが「よしみちゃん、幸せになって本当に良かったね。」って言ってた。今が完全な幸福?とは言えないけど、昔の私と比べたら180度違う世界を生きてる。家は安心で安全な場所に変わった。夫にもう振り回されることはない。寝ないで仕事に行くこともないし、泣きながら仕事へ向かうことも無くなった。撮影中にものすごい数の着信が携帯電話に残ることも無くなった。歯の奥をぐぅっと食いしばらなくなり、代わりによく笑うようになった。

時間はみんなそれぞれに自由に与えられている筈なのに、私はどうしてあんなに苦しい場所にいたんだろう。夫のことを愛していたからだけど、本当にそれだけだったんだろうか。

時々、今でも考えるけど、答えはきっとノー。

4月25日

Journal 25.4,2023


朝の3時半、目覚ましは20分後に鳴る予定。起きたくない。しばらく目をつぶっていたけど、頭の中だけが混乱しつづけてる。結局、今から逃げたって意味がないことくらいわかってる。30分もしないうちに諦めてベッドから起き上がった。昨晩は周ちゃんにしがみついて寝た。私の苛々や不安を知ってるのか知らないのか、何も言わずに周ちゃんは本を読んでた。

もう生まれてから何度もやってるから知ってる。この不安は悲しい不安だ。信じていたものが失われていくときのもので、人それぞれに色々な悲しみがあると思うけれど、私の場合、信頼が消えていく時にじわじわと深い悲しみがやってくる。

逆に言えば、人を信じることが好きなんだろう。そうして生きることがわたしの生き甲斐なのかもしれない。未だ夜が続く真っ暗な世界の中で教科書を開いて、ぼんやりと考えていた。

携帯を開くと姉からLINEが入っていた。”なんかあった?” 簡単に説明すると、”だから関わるなって言ったじゃん!” と直ぐに返答があった。あっちは前日の15pmくらい。”修行じゃん。ラッキーだね♡” とまたメールが入った。肩の力がどっと抜けていく。

昨日も作業の合間に何度も考えていた。問題はきっと私がこんな気持ちになってしまう性質だってこと。だから、人を信じるのをやめたらいいとか、関係性をいきなりシャットダウンしたらいいって事じゃない。またやっちゃった、。でもいいけど、世の中にはそうゆう人がいるんだ。で終わらさなきゃいけない。

わざわざ友達や周ちゃんに慰めてもらう事でもない。だって、話したらもっと悲しくなるし、怒りだす人もいるだろう。私の見方を増やしたところで、非の有所を探し当てたところで、私の心はどうにもならない。そんな姿形のない幽霊みたいな気持とは戦わなくていい。

それにしても姉は姉らしくて、いつもいい事を言う。だよねって思った。前に進むには、いつまでも哀しんでる場合じゃない。行動するのみ、だ。

夕方に久しぶりに成田さんから電話があった。来週の撮影の話だったけど、成田さんの彼女の話を聞いたりして結局30分近く電話をしていた。恋が忙しくて仕事どころじゃないらしい。本人が悩んでるところ申し訳ないけどかわいくて仕方がなかった。「ムズかしいです〜!」って電話の向こうで悶絶する姿になんだか気付けば気持は明るくなっていた。

さぁ、前へ進もう。辛いこともあれば、いいこともある。私に平穏を取り戻してくれたのは、人を大切にする人たちだった。

春巻

Journal 31.3,2023

今日はしっかりと寝坊した。正確に言えば、いつも通り4時に起きたけれど30分もしないうちにベッドへ潜った。

20年ぶりのスキーは思ったより身体にこたえたらしく、身体が沼にはまったみたいに重い。

今回のミオチャンとの長野出張、思っている以上に楽しかった。大宮で手を振ってから半日と経ってないのにもう過ぎ去った時間を酔いしれてみたり寂しくなったりしてるぐらいに。

「明日、スキーやる?」
温泉街で中華を食べて宿に帰宅して直ぐにミオチャンが言った。ミオちゃんはこれから夜中まで締め切りの記事を書くとテーブルの上にパソコンを開いて座ってる。瓶ビール2本飲んだ私の答えはめんどくさいな、だった。「明日の朝に決めよ。」適当に返事をして先に寝室へ入った。

だって私、夜は苦手だから。そんな事は一言も言わないけど、私の言い分はそれだ。なんだか不服そうなミオちゃんと、逃げるように去る私。夜っていうのは何もしたくない。底なし沼みたいにずんずんベッドへ落ちていく時間が最高に好きだから。ただそれだけ。だけど。目を閉じてからやっぱりスキーをしようと決めた。夜に何かを決断するのはめんどくさいから好きじゃないけどそう決めた。だってミオチャンはスキーがやりたい。それなのに私だけやらないだなんて酷いから。

結局のところ、スキーはむちゃくちゃ楽しかった。なんなら来週にスキーに行こう!と言いたくなっちゃうくらいだった。ずっとずっと高い山の上から真っ白な雪の中をただただ降る。スキーってスゴイじゃんって当たり前のことを考えたりしながら滑った。

午前にデータをまとめてミオチャンに送ると、楽しかったねと返信。初めは怖かったけれど、いきなりスキーを誘ってくるミオちゃんもミオちゃんとの時間も全てひっくるめてなんだか毎日のご褒美みたいな出張だった。それに、田舎暮らしを始めてから会わなくなった東京の友達が多くなった中で、今でもこうして仲良く楽しめる事がなんだか嬉しかった。だって、私はきっとすごく変わった筈だ。生き方もだし、仕事の仕方、生活、沢山が変わった。それなのに、一緒に楽しめるって結構スゴイことなんじゃないか。

ああ、また出張行きたい。

3月28日

Journal 28.3,2023


今日は夜中の2時に起きた。普通に朝だと思ったら夜中だった。しばらくベッドにいたけど頭がぐるぐると回転しだして横たわってるのが勿体ない気がしてリビングで勉強を始めた。最初は1時間、そのうちに2時間。最近は3時間以上の勉強も普通に出来るようになった。時間を測ると進み具合の悪さに焦るので時間を測るのはやめる事にしてる。

今日は心理統計。さっぱりわからなかったけれど、なんとなくわかるようになってきた。今のところ、なんでもかんでも楽しい。5時くらいに携帯を開くとリリさんからメールが入ってた。日記を読んでくれたとのこと。メールを返信しようか迷ったけどやめた。まだ夢の中だろう。

日記、なんで書いてるんだろう。書きたいから書いてるのだけど、こうして連絡を貰うとすごく嬉しくなる。ほっとしたり、ああ良かった。みたいな気持ちになる。ワードプレスを開くと今日は何人訪問してますみたいなグラフでは大体、毎日数十人の方が読んでくれていることがわかる。どこの国から検索してるみたいなマップも出て、時々イギリスとか、日本からずっとずっと遠いい場所の人もいて驚く。

こないだ周ちゃんに相談したこと。大学を卒業する為に目標を作った方がいいよねって話の続き。心理学の勉強は写真に影響のあるものにもなると思う。これからの仕事やクリエイティブをどんどん変えていくと感じる。だけど、それは今の話であって大学の卒業はきっと別。

例えば、私も離婚で鬱になったことがあるとか、元夫のDVや双極性障害者との生活経験を生かして困ってる人を救いたい、みたいな事も安易に思えない。だからと言って、今持っているものを活かしてというのも違う気がする。

せっかく新しい事を初めたのだから、クリエイティブとは全然違うことをしたらいいんじゃないか。そう。今まで全く興味がなかった、人の支援とか?自分が出来る事は写真だ。とか、クリエイティブな事だなんて決めつけなくていい。私は写真家だから、みたいなレッテルを貼る必要はきっとない。妻です。女です。もそう。

そんな話を周ちゃんにしたらすごく喜んでた。私のそういう所が好きだって。

なんでもかんでも直ぐに捨てたがるけど、大切なものは手放せない。もう結構長い事生きてきたし、写真がやめたいわけでもやめるわけでもないけど、心理支援を通して誰かを助けること。大学卒業の目標としてそれを目指してみるのもいいかなと思った。

私の小さな挑戦が誰かを救うことになるならば、それってすごくいい。それが誰かの暗い手元を灯す月明り程度の光だったとしても。

今日、小さなことでも続けていくうちに少しづつ形になることもある。まだわからないけど、日記と同じ。文章が苦手でも、毎日続けていたらいつしか書けるようになったりするもの。先ずはやってみたり、次に信じてみたり、そんな繰り返しできっと繋がってゆく。かと思えば、嫌になって止めてしまうことだってあるのだけど。とはいえ、未来のことなんて考えても仕方がない。

ここは一つ、思う存分がんばってみよう。

夕飯

Journal 21.3,2023


今日は3時に目が覚めた。周ちゃんは7時。祝日とは思えない我が家の朝だ。なんだか無性にスタバのコーヒーが飲みたくなって梃子を連れて車で駅前のスタバへ行った。そのままサスティナブルなんとかっていうパークが車で30分くらい走らせたところにあるらしく行ってみることにした。

梃子の散歩をして祝日で渋滞してる道路で「今、三つ願いが叶えてあげるって言われたらどうする?」なんて明日には忘れてしまいそうな会話をしながら家路についた。簡単に昨日の残り物で昼食を済ませて近所のカフェへ。私は大学の勉強を周ちゃんはパソコンを広げて何かしてた。

「無印週間やってるよ!」「えー!ひどい。」
この家に越してきた時から無印週間を待ってた。気づくと終わってる無印週間。タオルもシーツもピローケースも書いたい物が沢山ある。「もう少ししたら駅前の無印に行こうよ。」

それから数時間後。パソコンの入ったリュック一杯にタオルやシーツを詰め込み、周ちゃんは枕をふたつ入れた大きな袋を抱えて自転車で帰宅した。

「穏やかだね。」「なんか俺もそう思ってたんだよ〜。」私にもこんな日が来るんだ。初めて結婚を意識したのは高校の時から付き合っていたマルちゃんだった。26歳の時、一緒に二子新地へ越した時は母が大きな冷蔵庫を買ってくれた。今となっては申し訳なくて聞けないけれど、あれは嫁入り道具の一つだった筈だ。私もマルちゃんも互いの両親も結婚はそろそろでお待っていた。だけど、ハッピーで温かい場所からある日突然に逃げ出したのは私。

それからというもの、面白い男には沢山出会ったけれど、心温まる男に出会った覚えがない。私もそういう女だったんだろう。楽しい思いは沢山してきたけど、こうして気が抜けた炭酸みたいな顔をしてぼんやりと夕飯を食べる夜はなかった気がする。恋愛に飽きたわけじゃないけど、もう昔のように弾ける必要なんてない気がしてる。無言で食べてることですら忘れてしまいそうだった。

最近、胃が少しだけ痛くて連日大根おろしにポン酢をかけたものを食べてる。勿論それはそれで美味しいけど、毎日同じ食べ方はいやだ。なんとなく今日はかんずりを入れてみた。そして、こういう日常の閃きは当たる。脂がそこそこのった焼き鯖と一緒にそれを食べてみると全身がビリビリしちゃうくらいに美味しかった。やっぱり当たりだ。

これは世界でたった一人。私しか参加していないゲームなのだけど、この瞬間、頭の中でフィーバー!って感じになる。「きたね!」私の言葉に周ちゃんは笑ってた。多分、よくわかってない。

3月5日

Journal 05.3,2023

午後過ぎに藤原さんと代々木八幡でワインを飲んだ。久しぶりの藤原さんは、髪がショートから肩下まで伸び、ロングスカートで駅前で待っている姿はしっかりともう誰かの奥さんって感じだった。

「前に会った時によしみさんから2月に結婚するって話を聞いて。それで私も6月に決めたんですよ。逆算したらいいんだって。先に結婚する日を決めるのいいなって。」「え?そうなの??」「はい。採用させていただきました〜。」嬉しそうに顔をくしゃくしゃにして笑う藤原さんが言った。

周ちゃんとは初めてのデートで付き合うことになり、その日にプロポーズを受けた。そして、翌週の土曜日に青山で結婚指輪をオーダー。指輪も結婚もすべては夢の続きか悪い冗談のような感じだったけれど、指輪が出来上がるのは2月でその日に結婚をしようとなった。

そんな嘘みたいな毎日が続いてる中、うちで藤原さんとしんちゃんとご飯を食べた時に結婚の報告をした。

「2月に指輪が出来るから、その時に結婚しようと思って。」

なんだかすごく嬉しかった。自分が誰かの人生に少しでも役に立てるだなんて。藤原さんは結婚して変わったと思う。すごく可愛くなった。前から超がつく程にいい子だったけれど、その藤原さんじゃなくなった。しんちゃんの事が大好きで、しんちゃんとの結婚生活が楽しくて心地いい。ただ隣でワインを飲んでるだけなのに、その幸せがじわじわと私にまで浸透してくるみたいで嬉しくなった。

それから、仲のいい友人と結婚が理由で離れてしまった事も聞いた。私も、離婚を機に離れた友人がいた。同じフォトグラファーをしてるアカリちゃん。彼女は親友だった。大好きだったし、大変だった時期は親身になって助けてくれた。けど、私が離婚することに賛成していない事も本当はわかってた。

藤原さんは哀しい話を笑いながら話す。きっと癖なんだろうけど、素敵な癖だなと思った。別に悲しみなんてリプレイする必要はない。辛ければ泣いたり怒ったりと感情を露にしてもいいけど、もうそれが過ぎ去ったのなら、あーあって感じで笑ってしまってもいいんだ。

帰りの電車でなんだかすごく周ちゃんに会いたくなった。

3月3日

Journal 03.3,2023


人は偏ってる。それが偏っていればいるほどに魅力的にも見えるし、個性と称されデコボコと押されたり凹んだりした部分の所為で上手く前へ転がっていけないボールのようにも見える。大場さんから感じた都市への幻想や憧れは、未来を変える原動力になるし、それが強固なものとして形になれば誰かを揺さぶる何かへも変化する。理由は何にせよ、人の想いは、また人を動かす。

東京や関東出身の友人がここを離れていく理由もきっと同じだ。私もそう。若い頃は海外へ行きまくった。ここじゃないどこかに未来があるような気がしてならなかった。結局、東京で落ち着いてしまった時は、もう私はいいやと半諦めみたいなものも受け入れたように思う。

どうしてなのか、都市に限っては人が多ければ多いほどに正解が詰まってるように見える。それに、価値があるような錯覚にも陥る。世界は多数決で出来ているわけじゃないのだし、本当のところ大体の人はとっくに気づいてるはず。事のよしあしはインスタみたいなものでチェックしても意味がないことを。

だけど人が社会的な動物である以上、仕方がない事だとも思う。自分がどこに立っているかを知りたいし、出来るだけいい場所に身を置きたい。いい人間で価値のあるものでありたい。それって、人が決めるものでしょ。みたいに言う人もいるだろうけど。手っ取り早く一刻も早く身の安全を確保するにはSNSの恩恵は待ってましたと言わんばかりに沢山の人の心にフィットしたのは、皆が求めているからであって必要なものだったんだと思う。

今夜は大場さん、編集の成田さんと3人で遅い新年会。私よりも少し早く成田さんは大場さんの事務所に到着したようだった。いつもの通りで大場さんはよく喋ってる。大場さんの生い立ちや、映像のこと。それから、作品の話になった。本当はその心のうちを、作品のもっと前にある大場さんの話を聞きたかったけれど、途中で聞くのをやめた。そこは本人でさえ立ち入りたく無い場所のように見えた。

事務所を出てカレーを食べに行こうとなった。撮影でよく行くようになった日本橋は、気づけば小さな路地も何となくわかる。夜に歩くことは初めてだったかもしれない。ずっと生活圏だった渋谷だとか、買い物へ行く新宿とは違う夜。久しぶりに歩く東京の夜はなんだか気持ちが良かった。

丁寧に街の話を説明してくれていた大場さんは交差点で信号を待っている時に不意に私のことを褒めてくれた。「よしみさんのいいところは、自分で料理を作ってるところですよね。」嬉しかったけど、急にどうしてそんな事を言い始めたのかよくわからなかった。私はつまらない顔でもしていたのだろうか。

都市から田舎へ生活の環境を変えた事で、生活だけではなく人生全体の考え方を180度変えている途中だという話をした。大場さんは賢い。ふんわりと話しただけで、直ぐにそれがどういうことか理解してくれた。私の少ない言葉を上手に言葉をすくってつなげてくれた。自給自足。フードマイルをベースとした考えに近い。人生における色々の自給率をどこまであげられるか。

東京でオーガニックな生活を送ることに後ろめたさを感じていた頃の私はがむしゃらに働いていた。写真を撮れば撮るほどに通帳に溜まっていくお金を見て生産率が高いと信じ切っていたけど、入ってくるお金が大きくなればなるほどに出ていくお金も大きくなり、ただの真空管みたいだなとも感じていた。

田舎暮らしで始めた地産地消という概念から生きるサイクルを学んでみると、私が欲しい物は稼いだお金や失った時間と交換するのではなくて、全体的な量さえ把握すれば自分で出来る限り作ってみたらいいんだと気づいた。写真を撮ること一つにしてもそう。どんな仕事も全部私に下さいじゃなくていい。何がどれだけ食べたいかを理解すると、おのずと生活に必要なお金の量がわかる。そしたら自分に必要な仕事だけをすればいい。そうして余った時間は、私がやりたかった別のこと、例えば大学の勉強に当てられるし、料理をゆっくり作る時間とか、この土地をもっと掘ってみるとか別の時間に使える。そこで得た学びや喜びは私の糧となり、また写真に還元される。私の自給率が上がれば、さらには誰かにも還元できる。

面白いことで、働く量を減らして時間を増やすと、無駄に動く時間が減ってコストダウンへとつながった。結果、がむしゃらに働いていた時も今も預貯金は変わらない。ついでに、よくわからない苛立ちや目の下のクマ、毎月やってきたPMSも何処かへ消えた。

唯一の心残りは友達が減っていくことだった。
「必要な人だけになっていいんじゃないですか?」大場さんが言った。

前にいまむちゃんに話した時も同じようなことを言ってた。「まぁ。そうですかね。」そう簡単に友達とサヨナラできない自分がいたけど、ようやくそれについても理解出来るようになった。今が十分なら必要以上に欲さなくてもいいってこと。それに、何かに依存すれば依存するほどに、それは足かせになっていく。離れた友人とはこのままもう会わない人もいるかもしないけど、同じような考えを持つ友人であればそう遠くはない未来に会える気がした。友達はすごく大切な存在だけど、足並み揃えて人生を歩む必要なんてない。

成田さんからは恋の話を聞いた。悩む成田さんは相変わらずで好きだなと思った。眉毛をへの字にしてる姿を見ると側にいてあげたくなる。大場さんはいつもの通りで、そんな成田さんに真剣にアドバイスをしていた。そんな大場さんの心根は触れる度に感心する。

大場さんと私は歳も近いし互いにバツイチ。そのアドバイスには大きく頷くこともあったけれど、心の底では愛なんてものはこの世に無いのになと思っていた。だって、愛は作るものであって、愛は信じるものじゃない。エーリッヒフロムが愛は技術だと愛に悩める多くの人類に愛の地雷を仕掛けたように。なかなか最悪な離婚を経験した周ちゃんの同僚だった高橋くんや私が口を揃えてフロムに賛同したのは、一生愛すると決めた人と数年後には離婚を選ぶしかなかったから。

いい恋なんて特別に求めなくていいと思う。最低な男だとか最低な女と恋を楽しんで、別れたらいい。共犯者となってドラマチックな毎日に溺れて傷つくのは案外楽しい。夜中の12時に呼び出されたら、お気に入りの服を着て会いに行ったらいい。明日の仕事なんて関係ない。昨日と同じ服を来てどうどうと会社に行けばいいし、鳴らないメールを待ったっていい。 私はそれが恋だとか愛だと思う。平凡な彼氏は安心で安全で誰しもがいい男だねと言ってくれるけれど、だいたい飽きるし、飽きるような相手と結婚するほど人生を退屈にしたくない。

若い時は好きな男の一言で今日が最悪になったり最高になったり、本当に胸がちぎれちゃうと思うような事も沢山あったけど、仕事が手につかないとか、やけ酒するしかないとか、苦しくて苦しくて泣いても怒ってもどうにもならなかったけど、結局、その痛みで死ぬ事は一度だってなかった。そうして大人になった今は傷ついたことも傷つけたことも、どういうわけか私の一部となってる。

沢山恋をしてきっと良かった。しょうもない男と寝たことも後悔してないし、振り回した男に今でも申し訳ないと幸福を願ったりとかも全て。最悪な恋も最高の恋も同じ棚の引き出しにぎゅうぎゅうにしまわれてる。

私を半分殺しかけた夫に対してだってそう。最近では少しだけそう思えるようになってきた。

里芋と葱の味噌グラタン

Journal, 冬の料理, 晩酌 26.2,2023


私は性格が悪い。それが具体的にどうなっているのかを一字一句間違わずに言える。

今朝は久しぶりに家族会議をした。旅行や家のこと、家計簿とか色々と細かい話。どうしてだろう。周ちゃんは私じゃないのに、周ちゃんが出来ないことに苛立ってしまう。

私達は正反対のような性格や特性を持ってる。思った瞬間直ぐに行動に移したい私と、じっくりと考えてから動き始める周ちゃん。大きく広く見る私と定めた部分を奥深く見る周ちゃん。どっちもどっちでいいも悪いもないのだけど、せっかちな私が苛立つのは大体いつものこと。

周ちゃんは同じ話を何度もするし、辞書だとか取扱説明書かってくらいにそれについて細かく丁寧に説明をし始める。私はもうその3分先くらいの場所にいるから早く終わって、どうでもいいから次に行きたいと思いながら話は殆ど聞いていない、聞かない。何でもかんでも思った時にはもうやりたい私は失敗も多いけれど、細かいことなんてかまいたくない。細かいことが気になってそれをしっかりと理解するまでは動けない周ちゃんは失敗は少ないけど論理を組み立てるにはそりゃ時間がかかるし遅いし、もう目の前のそれはとっくに冷めたよ。みたいなことも多い。

お願いだから世界とコミュニケーションして!と思うのは私で、周ちゃんはいつも一人で刻々と時間を重ねてしっかりと前へ進んでいく。コミュニケーションなんてきっと要らないし納得していないと進めないんだろう。

だからいつも私が先にカチンときて怒る。なじる。意地悪を言ってしまう。そんなことを考える度に私が傷つけたひとりめの夫のことも思い出す。私は決して被害者なだけじゃない。沢山の人は勘違いしてると思うけれど、私は過去だって最低だった。

周ちゃんは勉強は出来るし賢いけど、鈍臭くて腹が立つ。周ちゃんにしたら、IQは中学受験どまりでアホで無知でよくわかんない事ばっかりする私は騒がしくて迷惑だと感じてるんだろうと思う。だけど、そうやって出来る限り傷つかない術を持っていて欲しい。

夕飯は一人でグラタンを作って食べた。午後から周ちゃんが出かけてひとりきりの最高なはずの時間を過ごしてると、不意に周ちゃんに会いたくなったりもする。寂しいとか早く帰ってきてとは思わないけど、やっぱり好きじゃんなんて思いながらワインをガブガブと飲んだ。

鰻重

Journal 23.2,2023


書斎で仕事を終えて周ちゃんに手紙を書いた。1階では朝から水詰まりの工事。大家さんと業者と管理会社の人が来てる。周ちゃんが立ち会ってくれて、私は部屋で梃子と籠っていた。大きな音はお昼ごろまでガタゴトと続いた。夕方は近所の小洒落た鰻屋を予約してる。今日は1回目の結婚記念日。

「こんな日が来るなんて、20代の俺に言ってあげたいよ。」
「周ちゃんなら、鰻なんて30代だって食べれたでしょ。」
「違うよ。結婚記念日に店を予約して食事をするなんて、ドラマみたいなことが本当に起きるんだなって。」

若い頃は、付き合った日だとか、出会った日だとか、なんでもかんでも特別にしたがった。もう最近じゃ誕生日だってそんなに特別じゃないし、結婚記念日もそんな感じで大して特別に思わなかった。数週間前になんとなく「食事でもする?」と聞くと軽く頷いた周ちゃん。これっぽっちも想像もしていなかった。周ちゃんは今日の日を喜んでる。

ひとりでビールをあっという間に飲み干してワインを頼んだ。それから、今日は少しいつもと違う話をしようと話した。結婚してからのこと、一年経ってどう?どうだった?とか。記念日に鈍感な私の心はいつまでもどこまでも静かなまま。だけど周ちゃんはずっと笑顔で顔をくちゃくちゃにしてクリスマスの子供みたいに嬉しそうにずっと笑ってた。

私が知ってるよりもずっと簡単なことで誰かを幸せにできるのならば、もっともっとしたい。私が周ちゃんの妻じゃなくとも、周ちゃん以外の誰かに対しても、とにかくそうしたいと思った。天井が高くて日本家屋の屋敷みたいな薄暗い店内。少しだけお酒が回っていたのかもしれない。私の小さな願いはぼんやりとして見えるけれど、しっかりとここにある感じ。願いや祈りみたいに手放さない。いや手放したくない。傷つけないようにと柔らかくしっかりと。

私は何も要らない。誰も気づかないような少しだけの光でいい。松陰神社に見つけたマンションでそっと静かに暮らせたらいい。そう願っていた日々の中で突然に現れた周ちゃん。2021年11月。離婚から丁度1年。ようやく夫の影が街から消えた秋も終わりの頃だった。走るバンを見ても動揺することがなくなり、警察からの電話も鳴らなくなった秋に。

男の人に触れられるのでさえ怖かったのに、出会って直ぐに抱き合って結婚した私は本物のバカだったと思う。顔が小さくて学芸員をしているというイケメン。いまだに私の何がよかったのか聞いても周ちゃんの答えはよくわからない。

「そう感じたから。直感だった。」

結婚はそんなに簡単なものじゃない。だけど、そんな風に決断してしまうのもわかる。きっと人生をどうにかしたかったんだろう。いつまでもここにいたらいけないと覚悟したかったんじゃないか。もし本当にそうだったとしたら、結婚を恐れていた私と同じ。だけど、理由なんてなんだっていい。結婚なんてと言う私に、結婚をしようと言う男が現れて、怖いから嫌だとは言いたくなかった。

2度も結婚をしてみて思うのは、やっぱり結婚は大変だし面倒なもの。楽しいことも沢山あるけど、ひとりの方がずっとラクでいい。だけど、望まなければ望まない程になにかを見つけられるような気もしてる。最近は特にそう。おかしなもので、2度目は2度目で全然違う結婚をしてる。

手紙に書いたことはいつも通りに冷たい私からのお願いごと。”結婚は上手くいかないこともあるけど、くだらないことで毎日をどうにかしたくない。せっかく結婚したのだから、これはチャンスにしよう。” 本当に冷たい女だと思う。だけど、周ちゃんが結局好きだし、さらさらと書いた。一生あなたを幸せにしたいとか、幸せにしてとかそういうのは間違っても絶対にパスだ。アルバイトの牧師さんに「神の前で誓いますか。」と言われてる新郎新婦を見て、私ならこう言いたい。人生はそんなにつまらないもんじゃない。人生は壮大だから、そんなファンタジーみたいな事言わないで。自分の時間をどうか粗末にしないでって。

どちらかが先に死ぬだろうし、電撃的な恋に堕ちてしまうようなことだってあるかもしれないし、いつかさよならする日は必ずやってくる。ここにあるものはずっとあるわけじゃない。抱え込むことなんてしたくないし、だからって簡単に手放すつもりもない。ただ、消えてなくなる前に私が出来ることをしたい。その為に私はあなたの力になるし、私もあなたの力になる。

私の望みは、ただ今日が腹一杯に。互いの胃袋が美味しさで十分に満たされていればいいだけ。

2月21日

Journal 21.2,2023


今日も朝から撮影。昨日よりもずっと背中の調子はいい。先生からも安静にしていれば痛みは3日で徐々に消えていくと聞いていたけど、本当にその通りだった。今日は稲妻が背中を走るような痛みに襲われることもなかった。

負担のかかりそうな体勢は極力避けて、重いものを移動する時はアシスタントのムーンちゃんにお願いした。リュックに忍ばせておいたロキソニン4錠を一度も飲むこともなく無事に撮影は終了。なんとか乗り切れた。それに、身体もどんどん回復に向かってる。

先週の撮影で私が起こした背中ぎっくりは背中の筋肉が破れ内出血を起こしてしまう状態で、症状としてはぎっくり腰そのもの。激痛と共に身体がピクリとも動かせなくなる。体力のある無しに関係なく、過度な筋肉へのストレスでばりっといってしまうものらしい。マッチョなお兄さんから、私のような中年女まで誰でもなる。とはいえ、ならない努めは出来る気がしてる。春からピラティスにでも通おうと小さく誓った。

最後に口の中を〆たのは苺大福。現場で食べるご飯や差し入れのおやつはとても美味しい。最後に食べた饅頭は特に疲れた身体に甘いあんこがじんわりと心身沁みわたっていった。とにかく先週から続いた撮影が無事に終えられたことが嬉しくてゆっくりと食べた。それに、大ベテランの先輩達とこうしてお仕事が出来ることも夢にも思っていなかったことだ。キッチンで母の料理本を読み漁っていた子供の頃の私が今日の日を想像できただろうか?まさか、自分が本を作る側の人になるだなんて。

雑誌やウェブで出会う編集者とはまた違う書籍の世界。卓越した先輩方の仕事ぶりや仕事への想い。料理が好きとか、食べる事が好き、お店めぐりが好き。そういう好きとは全然違う。料理が好きで好きで、料理本を作るのが好き。何年もかけて数々の料理本を世に出してきた先輩方の姿勢は真っ直ぐと太陽に向かって立つ、太くてしっかりとした大木みたいで、側にいるだけでその清々しさに背筋が伸びるような気持ちだったり、心地よかったりと気持ちは常に高揚した。

私も料理が好きだし、料理を教えてくれる料理本は大好きだ。料理本の仕事がしてみたい。ずっと心にあった夢だった。帰り道、バスを待ってる時にふと思い出した。20代の時に働いていた制作会社で気が合う女の子がいた。入社したての頃に話していたこと。

「どんな本読むんですか?」
「実は恥ずかしい話、本は殆ど読まなくて、。料理本は読むんですけど。」
「へー。私も料理本好きですよ。」
「夜ベッドに入る前に、ベッドの脇には料理本を沢山積んでそれを読みながら寝るのが好きなんです。」
「え!私もですよ。」

料理本は実用書っていうカテゴリーだと思うけれど、実用的なだけじゃない。夜、寝る前に1日仕事を頑張って疲れた心を癒してくれるのは、美味しそうな料理写真やレシピもそうだけど、先生が食と共に生きてきたストーリーが詰まった知恵袋のような色々だ。

アトリエに入る光やキッチンに並ぶフライパン一つにとってもそう。料理を作る人の手や美しい料理が盛られた皿だってそう。そこはきらきらと光る母の食卓と同じ、胃袋だけじゃなくて全身がそこに包まれたいと願ってしまう。生活はいつまでもどこまでも限りなく豊かであることを教えてくれる。明日は今日よりもずっとずっと美味しそうに光ってるんだということを。

いい本になるといいな。もう過去の同僚とは連絡を取ってないけど、彼女のような子にこの本を読んで欲しい。

ホルモン炒め

Journal, 夕飯 17.2,2023

朝から撮影。背中がおかしい。歩くだけでも痛いし呼吸しても痛い。来週まで乗り切れるのだろうか。勉強も月曜から休んでいるし、朝が来たと思ったら晩が来る。

今回の撮影は私にとっては条件の悪さは過去一で、苦手とするライティングが主となる。自然光が十分に入らない北窓のぬったりした光が朝から晩まで連続する中で料理を綺麗に見ようとするには大体想像するしかなかった。こないだ写真家の松村さんが三脚を立てたらいいよ。と言ったアドバイスも呆気なく惨敗。想像している以上に三脚を立てるスペースがなかった。

考えているのは料理のことじゃなくて、どうしたら自然光みたいな光のライティングとなるか。現場が穏やかであることが何よりの救いだし、大先輩達との仕事はとにかく勉強になる。なのに、私の心は落ち込んでる。もっと料理に感動したいともがき続けてる。今回の仕事は特に込めた想いも強いからだろう。我が儘な気持ちを捨てられない。

それに反して背中の激痛は日に日に増していく。やばいかもしれない。背中の激痛と共に頭痛も始まってきた。もっとハードな内容の撮影は過去にもこなしてきたのに、今回は確かに、先週に姉が言ったようにこれはチャレンジそのもの。

最悪と言えばやっぱり最悪だし、諦めたくないのならばやるしかない。だから、どうにかしてライティングを組まなきゃ。人生なんてだいたいうまく行かないもの。

2月15日

Journal 15.2,2023


今日は書籍の撮影二日目。最初の打ち合わせは昨年の秋。ずっと先のような気がしていたけどあっという間に始まった。今日が2月15日だなんて信じられない。この本の撮影が終わり、1週間も経ったら3月。そして、もうすぐ引っ越して1年になる。

撮影を終えてから打ち合わせを少しして帰宅。時間は20時を過ぎていた。周ちゃんは残業らしく家は真っ暗。餃子を焼いて、冷奴に帰りがけに買ってきた釜揚げしらすと醤油、オリーブオイルをまわしかけてビールと一緒に食べた。なんとなく写真を撮る気になれなくて今日はごはんの写真は撮らなかった。左の背中がズキズキする。すごく痛い。

周ちゃんとはここ数日、喧嘩というか顔を合わせて話してない。意図的にすれ違ってる。ベッドの中で軽く足を絡ませてみたりもするけど、せめてものコミュニケーションというか、それ以上は何もしたくなかった。周ちゃんに少し腹が立ってる。周ちゃんも一昨日、私に苛ついていた。今夜もおやすみとだけ言って寝た。来週は結婚記念日なのに。周ちゃんは喧嘩が出来ないからめんどくさい。

2月2日

Journal 02.2,2023

歯医者の治療でL.Aから帰国しているヘレナと原宿で買い物。昨日は横浜だったのに、今日は原宿経由で千葉。疲れた。けど、夏ぶりに会えて嬉しかったし楽しかった。次はカウアイ島で会おうねって約束をした。ヘレナ達が夏休みに行くカウアイへ便乗しようという考え。「周三も来て!」と何度も言ってた。

「何でそんなに周ちゃんが好きなの?」
「だって、可愛じゃん。周三。優しいし。
それに、ヨヨに優しくしてくれるから。これが一番好きなとこだよ。」

ヘレナの日本の名前は優しい姫と書いて優姫。
小さい頃はどうしようもなく我儘だったのに今じゃ私よりもずっと大人に見える。ヘレナが向ける優しさはヘレナ以外の全てに平等に与えられてる。困ってる人がいたら直ぐに手を貸すし、知らない人でも当たり前のように親切にする。そんな風にヘレナといると少し自分がちっぽけに見えたりして、私の方がずっと歳をとってるのに恥ずかしくなるくらいだ。

「ジプシーのようにあちこち住まないで家を建てなさい。」

ひつこく言う母の言葉を聞いたのか、姉は日本、オーストラリア、L.Aのあちこちと移り住むのをやめて家を建てた。ニコちゃんの仕事が理由だとも思うけれど、彼女達の人生はジプシーそのもの。面白かったのはクリスティーナアレギラと過ごしたディズニーランドでのクリスマス。結構、いい人だったよと言ってた。クリスマスツアーか何かだったんだろう。ヘレナはそんなクリスマスを子供の頃から過ごしてた。そして早くに父親を亡くした。葬儀の次の日、後を追うように亡くなった親友だったスカイちゃんと楽しそうに遊んでる写真を撮ったのを覚えてる。あの頃、姉もヘレナも、私の人生も今思えば無茶苦茶だった。

大学は2年早く卒業らしく来月からニコチャンのパートナーだった人のチームでアシスタントとして音楽の仕事を正式に始めるのだそう。帰って直ぐにオレゴンのツアーに参加。18歳から働くだなんて、私が18歳の時は恋かダイエットかファッションの事しか考えてなかったのに。そういえば、こないだ国立で入った喫茶店でヘレナと近い歳の男の子が彼女と店のマスターと話していた。「まだ働きたくないから。院に行こうと思って。明日が試験結果なんですよね。」

日本の子はモラトリアムが長いように感じる。モラトリアム、大人になるまでの猶予期間。私も長いこと猶予の中をスイスイと現実から逃げるように泳いできた。離婚をしてからようやく大人を感じたとういうか、地に足をつけて歩いき始めたように思う。もういつまでも逃げられない。しっかりと歩かなきゃと決めた。警察から、弁護士事務所へ行った帰り道に、夫と住んでいた家から引っ越す時にそう誓った。もう私の夢はここで終わりなんだって。

ずっと昔に「子供を産まない人はいつまでも大人になれないのよ。」
と、母が言った。当時はまだ二十歳くらいだったし、偏見くさいこと言ってるなぐらいにしか思わなかったけれど、今は少しだけわかる。

中年の友人達。何が本当で何が嘘なのかわからない話ばかりをよくしてる。夢と現実が曖昧でむちゃくちゃだ。けど、十分にわかる。夢みたいな現実をこのままにそっとして置いて。いつか結婚したい、いつか家が欲しい、いつか素敵な人が現れる。いつかは毎日のおまけみたいなものでいい。現実的に言えば、もう卵子は殆ど残っていないし、そんなに条件のいい男や若くて可愛い女はとっくに誰かの隣で今日も愛を着実に育んでる。だけど、全部知らない。本当は知ってるけど知らなくていい。

人生は難しい。許されるならばいつまでだって子供でいたい。甘えていたいし、自由でいたい。縛られたくないし、けどお金は欲しいし、楽で生きたい。怖いことは見たくないし、知らないことは知らないままでいい。だけど、そればかりだと飽きてくるってこともわかってる。

夕飯

Journal 01.2,2023


横浜で取材の合間に喫茶店で合間の時間を潰している時にフォトグラファーの松村さんにLINEした。”ちょっと写真のことで聞きたいことがあるんですがいいですか?” 次の撮影のこと。悶々と考えていても仕方が無いと思って相談してみることにした。直ぐに着信が鳴った。「こないだの車なんだったの?」年末、酒の席で私が欲しい車が何かわからず当てるゲームみたいなものをしていた。「結局、旦那さんに聞いてもわからなかったんですよ。」「何だよー。それでさ、さっきの。感度は上げないよ。800以上は。」あ、。そうだ。感度は上げない。師匠である笹原さんもそうだった。感度は絶対に上げない。重いジッツオの三脚をがしりと立て、どんなに暗い場所でも少ない光を見つけて写真を撮っていた。アシスタントの時に少しだけお金が出来た時に私もジッツオを買った。大きな鉄の塊みたいな三脚。重いし、持ちづらいし、冬は持ってるだけで余りに冷たくて手が痛くなるくらいだった。何度も足をぶつけたし、指も挟んだし。一度だけアメリカで作品撮りをする時に持って行ったけど、よく持っていたと思う。あの時は若かった。結局、数年も使わずにメルカリで売った。相手は高校の先生か何かで、写真部で使う為だと言っていたけど、部の生徒達は本当にあんな無骨な機材を使えたんだろうか。今更だけど時々少し胸が痛む。いい物ではあるけど、素人が扱えるような機材じゃない。

「だからさ、三脚を使うよ。料理を綺麗に撮りたかったら三脚だよ。」松村さんの言葉に大事なことを思い出したようだった。私、何やってんだろう。三脚。つい数年前まではジッツオではなくても、私も三脚をしっかりと立てていた。デジカメになってから出来ることが年々増えていく。その進化は本当に凄くて、軽量化していく機材に反して上がっていくスペック。光をどうにかすることは決して道徳を反してる訳では無いのだけど、人間の背中に羽が生えるとか、体重が軽くなる靴とか、正直、カメラの中で訳のわからないことが現実的に起きてるような感じだ。光が無いと撮れなかった写真が光がなくても撮れるようになってしまった。そうして出来ない事が出来るようになると、誰でも何となく写真が撮れるようになり、それと同時に似たような写真をよく目にするようになった。デジカメを始めた時はこんな状況につまらないなと嫌気がさしていたけど、今ではこれが今日の写真なんだと納得してる。すっかりそんな事すらも忘れていた。曖昧な部分はあっという間に失われ、なんでもコントロール出来るようになった写真。フィルムブームなのもよくわかる。だって予測可能な明日なんて見たくない。それは仕事なら安全でいいかもしれないけど、自分の人生なら誰だってつまらないって言う筈だ。

やっぱり松村さんに話して良かった。本当に良かった。よし、楽しもう!

2月1日

Journal 01.2,2023


周ちゃんは確か先週も忙しかったけど、今週はもっと忙しいらしい。週末から始まる新しい企画展の準備で帰宅は昨日も深夜だった。周ちゃんと仕事をしたらすごくいいと思う。私達が一緒に仕事をする日が来るかわからないけれど、あんなに丁寧な人としたら安心しかないし、我儘を言いすぎてしまいそうで想像するだけで怖い。偉めな上司の娘と見合いさせられたとか、既婚者のチームを組んでいた同僚から休日まで一緒に仕事したいと言い寄られたとか、女ってのはわかりやすいというか残酷な生き物だなとも思うけれど、そんな事をしてしまうのもわかる気がする。出会った時に私の働き方を聞いて周ちゃんはすごく驚いてた。仕事の人は基本信用しないし、プライベートは一切話さないよって。「好きじゃない人、信頼できない人とどうやって仕事をするの?」私の質問に対して周ちゃんの回答は無かった。仕事ってそんなに修行みたいなものだっけ。ただでさえ、写真を撮るのに緊張したり、怖く思うことだってあるのに、せめて側にいてくれる人とは楽しくやりたい。安心したいし、安心して仕事に向かいたい。なんなら背中をさすっていて欲しいくらい。じゃあ、周ちゃんはどうやって仕事をしてるんだろう。忙しくて痩せるってどれほど苦いんだろうか。それは一体誰が喜ぶ為にやってるんだろう。

午前はフミエさんのアトリエで撮影のテストをした。どう撮るべきかわからなくて迷ってる。よしみちゃんはよしみちゃんっぽくていいよね。とか、よしみちゃんの世界観があるとか。そう言われる度に褒められて嬉しい反面、何だか駄目な人みたいにも聞こえてどうしていいのかわからなくなる時がある。写真作家になれなくて仕事の写真を撮る人になった私のただのコンプレックスだけど、勝手にやるせない気持ちになったりしてる。コマーシャルの写真が写真として良くないってわけじゃないし、仕事だって大好きだけど、作家には叶わないんじゃないかと決めつけてしまう自分が時々現れる。写真の質が違うのだから良し悪しなんて無い筈なのに。

テスト撮影を終えて、バインミー屋でバインミーが出来上がるのを待ちながらフミエさんに聞いた。「フミエさんは写真、どう思いますか?」私は今回、フミエさんの料理をどう撮ったらいいのか迷ってる。明るく綺麗にストロボをたいて撮るべきか、それとも自然光を活かして暗くてもイメージを重視したらいいのか。フミエさんのアトリエはあまり明るくない。この状況下で光に頼るのは正直辛い。偶然を狙うのも難しい。どうしよう。

編集の若名さんに相談すると、意外な答えだった。「よしみさんとフミエさんがやってきた事を写真にしてください。」真っ直ぐに目を見ながら話してくれた。不安がる私にライターの岩越さんは写真を撮る人みたいに教えてくれた。季節の光だとか、朝や晩の光を考えてみるのもいいんじゃないか。今回の仕事が決まった時、とにかく若名さんっていう大船に乗ろう。若名さんみたいな方とお仕事出来る機会はないのだし、私達って本当にラッキーだねって浮かれていた。だけど、若名さんが伝えてくれた話は私もだけど、フミエさんの心も打ったと思う。夜にフミエさんとLINEをしていて、とにかく頑張りましょうってメールをしあった。それに、岩瀬さんがいてくれて良かったし、フミエさんの友達の赤松さんもそう。

まだ少し時間がある。ゆっくりと考えてみよう。来週から大学の講義が始まる。

1月31日

Journal 31.1,2023


何だか忙しない数日。朝から少し苛々してる。理由は朝から周ちゃんが餅なんて焼くからだ。どうして忙しい最中に餅焼いたりするものかと腹が立った。ひっくり返したように汚れたキッチン。餅がこびりついた流しを誰が綺麗にすると思っているんだろう。けど、周ちゃんが焼く餅は美味しいし、嫌な顔一つせずに食べた。何とも私の心と心に板挟みで苦しい朝。一人暮らしはあんなに快適だったのに、男と住むというのはどうしてこんなにも大変なのか。私の人生の半分は多分、同棲とか結婚に費やしてきた為に一人暮らしの経験は賞味2年。あの時間が今でも恋しい。終日が王様。好きな時に起きて好きな時に寝て食べて。脱いだものも散らかしたものも、自分のタイミングで片付けるし、誰かの何かをやってあげなくていい。無いものねだりなんて事はわかってる。時々こういう日がやってくる事も。

朝は撮影の準備をして、午後は大学の成績表と卒業証明書の取り寄せをし、急いで歯医者に向かった。今日で最後らしい。先週の麻酔が酷くてもう行きたくないと思ってたので良かった。帰宅すると直ぐにりょーこちゃんから小包が届いた。同封されていた手紙を開けると綺麗な字で結婚おめでとうって書いてある。それから、食卓はよしみちゃんが好きな場所だからって。小さな桐箱を開けると水引のように結われた銀の箸置きがライトの光に反射してキラキラと光っていた。全てがそれぞれに違う形。なんて綺麗なんだろう。思わずため息がでた。富山県の伝統工芸品らしい。

りょーこちゃんに会いたいな。くだらない事で笑いあいながら麦酒をガブガブ呑みたい。りょーこちゃんはよく笑う。だから嬉しくなってつい調子に乗ってもっと笑わせたくなってしまう。そうして楽しいのループが始まる。ずっと前に一緒にベトナムに行きたいねって話していた。ネオンが光る街を酔っ払い女二人でじゃれ合いながら歩きたいな。二人して何を撮ったんだかわからないような写真を撮り、後から上がった写真を見返してケタケタ笑いたい。

1月28日

Journal 28.1,2023

午後からりりさんと池袋の中華で約束。今日はりりさんの夫となった陸さんもくる。陸さんに会うのは初めて。りりさんが結婚を悩んでいた時にビデオ通話で周ちゃんと3人で話し合ったことがある。いつだったか覚えてないけれど、今の家に越してきてそう経っていなかったからきっと昨年の春あたり。メールでは二人に相談したいことがあると言っていたけど、もう心にはしっかりと決意が見えていた。ただ突然に起こった現実に心を激しく揺さぶる動揺をどうにか形に声にしたかったんだろうという感じに見えた。それに、結婚への決意はりりさんらしくて、いつも通り真っ直ぐな彼女そのものだったことに安心したというか、嬉しかった。

そもそも、りりさんも私も結婚を強く望んでいた訳じゃなかった。いきなり現れた結婚を思わず飲み込んでしまったような感じに近い気がしてる。勿論、後先考えてる余裕もないし考える気もなかった。りりさんがどうだったかはわからないけど、本当にあっさりと私達は結婚をした。時々思う。少しだけ私とりりさんは似てる。自分の事はよくわからないけどそう感じる時がある。

私と周ちゃんが到着する少し前に二人は到着したようだった。陸さんは写真よりもずっと大きくて少し驚いた。笑顔はまだあどけなかったけど、丁寧で律儀でどこから見ても芯があるとゆうか、ちゃんとした大人の男だった。リリさんのお母さんが気に入るのもわかる。もし、私に娘がいて陸さんを連れてきたら、私だってピザと寿司を出してしまう筈だ。よく食べてくれる姿を見ているだけで嬉しくて泣いてしまうかもしれない。それに、陸さんを好きになった一番の理由はりりさんの事を何度も尊敬してると話していたことだ。りりさんはすぐに泣いてしまうけど、自分に嘘をつかない。小さい身体でどうにかこうにか思いきりに生きようと前へ進む潔い生き方は私も好きだ。陸さんがそれをちゃんと知っていたとゆうか、きちんと言葉にして彼女の事を語ってる姿がかっこよかった。

何かが出来るとかスゴイみたいな事よりもずっと、どうにもならないその人の中で精一杯に生きてる方がずっと魅力的に見える。有名とか仕事とか、美人だとか金持だとか、その人を示すサインにはなるかもしれないけど、魅力を量る値にはならないし、人間の魅力はそんなもので量れる程につまらないものじゃない。何年も前から年収800万以上の人と結婚したいと言っていた友人達は独身をずっと更新してる。お金は大切。あればあるだけ困ることはない。けど、人間の面白さはお金で量れないとも思う。周ちゃんにそんな女達の話をすると、子供みたいな答えが返ってくる。「えー。それって、愛じゃないじゃん」って。その通り。けどさ、みんな本当に愛が欲しくて結婚してるんだろうか。それぞれのそれぞれなりの勝手な言い分で愛を語ってるだけだったりもしないか。子供が欲しいとか、そろそろ結婚したいとか、仕事がしたくないとか。結婚してないと恥ずかしいみたいなのもあるかもしれない。けど、それが人生になるのだから理由は何だっていい気もしてる。ただ、面白くないと意味がない。愛よりも前の話、面白いか面白くないか。そしたら年収なんて正直どうだっていい。

夕飯は茸鍋。〆に太い武蔵野饂飩を煮込んで食べた。

1月27日

Journal 27.1,2023


午前は新宿で美容皮膚科のカウンセリング。年末、後藤さんに「勧誘とか一切断れば無料で出来るから。」と言われていたのをすっかり忘れていた。若くて綺麗な女の子のひつこい勧誘にうんざりして直ぐに店を出た。妊娠を終えてから一気に増えた肝斑。妊娠後に増えると聞いていたけど、こんなにも増えるものかとげんなりしてる。やっぱり新宿は嫌い。逃げるように湘南新宿ラインに乗って逗子へ直行した。今日はフジモンと会う約束をしてる。最後に会ったのは妊娠前の夏のいつか。渋谷のミス・サイゴンでランチをした。結婚祝のお礼に達磨をあげたら嬉しそうにニコニコ笑って喜んでた。一見よくわからないものとか、不思議なものを全力で喜んでくれるフジモンは可愛い。子供のように無邪気な姿を見ているだけでこっちまで幸せな気持になる。フジモンはパリのマユミちゃんの親友。マユミちゃんは大好きな友達の一人だけど、その友達のフジモンもいつしか大好きな人になった。

年始に旦那さんのショータさんが事故を起こした事がずっと気になっていたから聞いてみると、身体には問題ないとの事でほっとした。ショータさんと、かかんの新しいPR動画の打ち合わせの約束をしていたので、打ち合わせの件が止まり申し訳ないとの事だった。お詫びに今日のランチ代を貰ったよ、と嬉しそうに言ってた。ランチは鎌倉野菜が美味しいモダンダイニングみたいなレストランで丁寧に作られた野菜を使った定食を食べ、散歩がてらに鶴岡八幡宮を歩いた。平日なのに週末みたいな人混みの中、夏に妊娠した事や、それで大学での勉強を決意したことなど話した。いつ何が起こるかわからないし、本当に辛かった。仕事も写真も大好きだけど、子供が出来ることが嫌だったわけじゃないけど、なんだか自分の人生から阻害されたような孤独感を味わったこと。周ちゃんは決して無視していたわけじゃない。当たり前のように私の日常が奪われてゆく中でいつもの通り仕事へ出かけただけだ。仕事、遊び、やりたかった事、やるべきだった事も。どうして女の私だけがこんな辛い想いをしなきゃいけないんだろう?事故のように起きた妊娠に対して、もどかしくて腹だたしくて悔しかった。フジモンは隣で大笑いしてる。「よしみちゃん!わかるわかるよ!うちだってさ。」男と女が不平等になるのは今に始まった話ではないけど、女性が妊娠したり、子育てをする事について、正直聞いてないよこんなの!と思った。これは周ちゃんが悪いなんて話じゃない。きっともっと大きな話だ。社会とか、歴史とか、ずっとずっと広くて大きな場所のこと。あのフツフツと煮えたぎる想いのことを鼻息荒くしながら参道で話し続けた。

「男なんて所詮わからないんだから。」姉が言ったあの言葉は本当に明答だと思う。勿論、悪意のある答えじゃない。だって、これは互いに思いやろうみたいなままごとで解決できる話じゃない。やっぱり私達は他人であって、別々の生き物であって、尚且つ性別も違うとしたら、尚更わかりあえっこない。お腹が痛いと言ってるのに、冷えた水でも飲んでねと渡されても、その優しさは痛みに突き刺さるだけだから飲めない。そんな風に妊娠をしたら男がより一層に嫌いになった。笑顔の可愛い妻でいたいなんてのは理想にもならない空想。

今日、特に話したかったのはフジモンの大学の話。2年前から心理学を勉強してる。あと働いてるクリニックの話も。私も大分解決しない人になったと思う。もうジャッジはしたくない。いいとか悪いとか。人の悪口もだけど言わない。肯定もしない。考えれば考えるほどに、答えなんてものはなくなっていく。フジモンもそうだ。二人で人の話を沢山した。頭を抱える程じゃないけど、あちらこちらに転がってる誰かの奥底にあるような暗くて皆んなが見ないようにしているような話をコーヒーを飲みながら淡々と話し続けた。同じようなことを勉強しているからというのもあるだろうけど、こんな風に話を出来る友人は他には一人だっていない。

前の夫の話も少しした。口から出したのは初めてだった。今だから考えられること。病のことについて、今どう生きているか。そしてあの病は彼の未来をどうしていくか。正直なところ、最近はあの病気のことをもっと知りたいとさえ思ってる。本来であれば忘れるべき過去なのに、これから料理し、さらには食べてみたいだなんて。「私の生命力やばいよね。」って冗談混じりに話すと、フジモンはまた大笑いしてた。本当にどうかしてると思う。だけど、きっとこれが生きるってことなのかもしれない。

1月25日

Journal 25.1,2023


今日は急遽撮影となった。だけど、ロースターの事務所までは家からそんなに遠くないし、あっという間に撮影も終わった。駆け出しの頃に少しだけファッションの撮影をしていた時のことを思い出した。こんな感じで撮影してたな。あっという間にファッションは撮らなくなったけど、なんだか懐かしい感じがした。家を出たのは朝の6時半。まだ辺りは薄暗い。周ちゃんが運転しながら「娘を送るお父さんみたいだね。」と笑いながら言った。最近、周ちゃんに駅まで送ってもらう事が増えた。いつか自分で車で行けるようになったらいいけど、これはこれで気に入ってる。

撮影が終わって池袋まで急いで向かってる時に編集の岡崎さんと駅でバッタリ会った。今朝、丁度思っていたこと。今日、岡崎さんに会えないかな。何か小さなプレゼントでも渡したいな。岡崎さんは今月で退社する。この一年で何度か現場でご一緒したけど、もっと話したかったし、なんなら飲みに行きたいくらいだった。偶然の出会いに驚きながら少しだけ話して別れた。会えて良かった。それに、これからの話も聞けて嬉しかった。やりたいことがあるのだそう。新しいことを始めるっていうのは、他人事でもワクワクする。

夕飯は麻婆春雨にした。

1月19日

Journal 19.1,2023

朝から撮影。今日も編集の佐々木さんとライターの森本さん。それから、編集の藤本さん。スタイリストさんは初めてお会いした女性だった。料理の仕事はやっぱり楽しい。むちゃくちゃ楽しい。料理を作る人ってどうしてこんなに素敵なんだろう。そして料理の仕事ってどうしてこんなに楽しいんだろう。今夜は冷蔵庫にある残り物のおかずと冷凍イカで中華炒めを作った。少し遅く帰宅した周ちゃんと食卓を囲んで私はずっと興奮しっぱなしで話し続けた。「今日の料理家さん。すごい素敵なの。すごいよね。」お酒が入っていた所為もある。だけど、とにかく嬉しかったんだろう、楽しかったんだろう。私の話を聞く周ちゃんもとても嬉しそうに見えた。

前はいつも夫の機嫌に振り回されていたのに、今は私の機嫌が周ちゃんを悲しませたり喜ばせたりするようになった。毎月やってくる生理に加えて、怒ったり喜んだりが絶え間なくやってくる私にとっていつでも機嫌よくいる事は案外難しい。だけど、出来るだけ1日でも多く笑っていられるようになりたいと思った。何だか今夜はいつもよりもずっと家族みたい。少し呑みすぎた。

1月14日

Journal 14.1,2023

起きたのは6時過ぎ。いつもよりもずっと寝坊した。毎朝早朝に続けている心理学の勉強。今日はお休みにした。それに、ちょっと気分が悪い。年始から見ている夢がある。つい先日も見たし、同じような夢を何度も繰り返しみてる。今日は母とお婆ちゃんと見知らぬ写真家らしい女性、それから編集の成田さんが出てきた。それぞれが異なるシチュエーションで何かしらの理由で私を責め立てている。毎回どうしてそんなに怒っているのかがよくわからないけど、なんだか申し訳ないような気持ちだとか、私って駄目な奴。やっちゃったたなぁと反省してる。先日、周ちゃんとユングの夢分析について「あれはスピリチュアルの世界の話だ。」なんてバカにしてたくせに、ベッドに潜りながら真剣にユングについて検索した。一応、心理学の療法の一つではある。無意識のところで自分が送るメッセージがどんなものか、そこに隠された深層心理を探りながら問題と向き合っていくという療法。夢占いとは違う。googleでは結局、なんともいい加減な夢占いの記事ばかりがでてきた。だからと言って朝から大学の先生が書いた研究結果のようなPDFの資料をダウンロードしてまで読む気にもなれない。読書でもしよう。数分で諦めて読書を始めた。一昨日に青山ブックセンターで買った坂口恭平さんと精神科医の斎藤環さんの往復書簡本。二人とも元々好きだったけれど、好きと好きの化学反応は掛け算どころか超越していた。文章が言葉がするすると入ってきて気持ちがいい。背中や足に背びれや尾びれがついて人魚のように物凄いスピードで二人の間を自由に泳いでいるみたい。

坂口さんは時々イッてしまうような天才的な文章になるのだけど、それが双極性障害の語り口にとても似ていて、まるで前の夫が話しているようにも聞こえた。とはいえ、坂口さんは公表されているように元夫と同じ双極性障害であり、本人いわくほぼ完治状態。私は精神科医ではないから実際のところわからないけど、あの日々のことを少し思い出した。だけど、もう最近は全然恐怖を感じることはない。寧ろ、あの時のあれは一体なんだったんだろうと興味さえ沸いてる。けど、本当はいつまでも怖がった方がいいんだと思う。自分でも驚くくらいに元の自分に戻ってきてる。元夫と付き合った時もそうだった。彼がおかしいことはわかってたけど、写真を撮ったら面白そうな気もして付き合った。身の危険を犯してまで良い写真に出逢えるんじゃないかと期待しまう欲望やその状況を冷静に受け止めてしまっていた自分。若かったとはいえ、あまりに刹那的すぎる。私達の時代でいう援交をしていた子みたいだ。彼女たちそれぞれにはそれぞれの理由があったとは思うけれど、それ以前に未来や自分の命への愛着がカケラもないような感じだ。

なんとなく成田さんの事が気になってメールした。新年の挨拶と昨晩の夢で怒られた事を伝えた。直ぐに返答があって今度お茶かランチでもしようとなった。”今日、明日でも大丈夫です。” “私も大丈夫。” この週末は藤原さんとしんちゃん、村上美術のゆうやくんが家に来る筈だったけれど、しんちゃんの仕事の関係で昨日にリスケとなったところだった。色々の偶然が重なり数時間後に隣駅になるネゴンボというスパイスカレーのお店でランチをした。ネゴンボはRiCEの撮影で成田さんの編集で撮影に入った店。4年くらい前の話。どこだかわからない寂れた小さな街にポツンとあるカレー屋。何年も前、ネゴンボがこんなに有名になるずっと前に東京ピストルの草薙さんがいつものように「すっごいカレー見つけたんだよ。」目をギラギラさせて話していたのを思い出す。よくもまぁ見つけたもんだと思うけど、草薙さんはやっぱりすごい。あれほど感度の高い人に出会った事がないと思う。結局、今はサウナ本で大ブレイクしてるけど、あの時代にこんな田舎にあるネゴンボを見つけてくるなんて。そしてその街に移り住んだ私。人生とは本当によくわからない。

近況とか成田さんのお仕事の話とか、少しだけインドの話をした。RiCE編集部に入ってもうすぐ6年目だそう。初めて会ったのは大塚での現場でビール特集だった。大学のテストが終わってから来ましたと言ってたけど、あの日から6年だなんて信じられない。それに当時は未だ20歳そこそこで子供みたいに見えた男の子とこんなに仲良くなるなんて想像もしてなかった。何年か前に受けとった電話の向こうでは半べそかいていた事もあったし、かと思えば夜遅くに酔っ払って陽気な彼が満面の笑みで家に遊びに来たこともあった。仕事ではもちろん絶大な信頼を置いてるし、とにかく一緒にいて楽しくて、彼の人柄が好きだからとしか言いようがない。ただそれ以上でもそれ以下でもない。

カレーを食べてから駅前で仕事の話を少ししたけど、どんな仕事をしようともやっぱり誰としたいかだと思った。面倒な話はそこまで考えないでいいのかも知れない。成田さんと話してるとやっぱり彼が好きだなと思う。相変わらず私の日記も読んでくれてるみたいで何だか照れくさい気もするけど嬉しかった。それに、今日はようやく気づいたこともある。私はもっと器用にならなきゃいけないんだと自分を責めてばかりいたんじゃないかってこと。ユング的に考えるのであれば夢というのはフィクションだ。その創造者は私で、私は誰かの役を演じながら私に何かを言う。夢の中で上映されている場所も人も状況も私の頭の中で作られたシナリオだ。夢の中の私は責められているんじゃなくて、私は私を責めたかったのかもしれない。何かがきっと気に食わない。だけど、理想と現実は違う。私はやっぱり器用になれないんだ。ならなくていいのかもしれない。そこで出来ない自分を責め続けても答えはきっと出てこない。出来ない。それでいいんだ。だけど、だからこそ、誰と仕事をするかを決める事がやっぱり大事だし、その為には私も私の写真も間違わないようにしなきゃいけない。今日は会えて本当に良かった。やっぱり仲間はいい。次は大場さんの事務所で2月末にでも新年会をやろうと約束した。もちろん大場さんには何も話してない。

晩酌

Journal 13.1,2023

今日は朝から夜まで撮影。周ちゃんは夜から石川さんのワークショップに出掛け、そのままマン喫に泊まるとのこと。久々にひとりの夜。離婚してからベッドとゆう場所が大好きになった。多分、長い時間を過ごしたからで、途方に暮れるような苦しかった日々を無数に流した涙をベッドが受け止めてくれたからだと思う。初めは一人にしては大き過ぎるダブルサイズに慣れなかったけれど、本を置いたり、マグカップを置いたりと、食事とまではいかないけど、より快適に過ごせるようになっていった。

私にとって大切となった場所に周ちゃんと眠るのは正直ちょっと不服だったけれど、誰かが隣にいるというのはとても安心するし、朝方に周ちゃんの横顔を見るのも気にいっていた。今夜はひとり。ベッドの真ん中に大の字になって寝れる。これから寝るというのに、気持ちは小さく浮かれていた。夏の夜みたいにいつまでも自由でいられそうな、これから何でも出来ちゃいそうな気分。

今日は疲れた。取材先で久々に九州の甘い醤油を買った。後は周ちゃんが好きな長崎の紅フウキという香りがなんともじんわりと優しい和紅茶。

1月1日

Journal 01.1,2023

昨日もセックスしたのにまた今日も朝からセックスをした。私達はいつまで恋人のようでいられるんだろう。いつまで恋人のようでいたいんだろう。最近では上手に喧嘩出来るようになった周ちゃんと時々喧嘩することも増えて、嬉しかったりする反面、自分の我儘さに嫌気がさしたりを繰り返しながら段々と仲が深まっていくようにも感じてる。

母と父とはお婆ちゃんのお墓で待ち合わせ。彩度が高い青い空の向こうに西武園遊園地が見える。子供の頃によく見た景色だ。そこから車で10分くらいの場所にある麻美ちゃん家へ2台の車で向かった。麻美ちゃん家に来るのは叔母さんが亡くなる直前だ。3年前。癌の末期状態で記憶が朦朧としている時に見舞いに来たのが最後。私の顔を見て誰?と言った。叔母さんは家に遊びに行く度に末っ子の私のことをよくかまってくれた。青森出身の色が白くて綺麗な優しい人だった。麻美ちゃん、直美ちゃん、カッキーにそれぞれの家族達。それからうちの家族と周ちゃん、梃子。祭りの集会のような麻美ちゃん家の親族の集まりはまるで子供の頃にトリップしたみたいで嬉しくて楽しくて仕方がなかった。LINEにはL.Aで大晦日の真っ只中の姉とビデオ通話を繋げた。

あちこちに行き交う話し声や笑い声。立派なお刺身と叔父さんが作ったという大量の唐揚げに母が作った混ぜご飯。栗きんとん。錦糸卵。料理がテーブルの遠くまで埋め尽くされてる。「よしみの為にいくらと炊いたご飯もあるからね。」麻美ちゃんが茶碗にご飯を盛ってくれた。嬉しそうに唐揚げを頬張る母に「ムカつくー」と怒る姉。兄は猫アレルギーだからと来なかったけれど、来たら良かったのに。

みんなで食べるご飯ってなんでこんなに美味しいんだろう。だからやっぱり食卓が好きだ。私の食卓好きは母譲りなだけじゃない、母の兄弟、親戚、きっともうDNAレベルの嗜好問題かもしれない。みんなで囲む食卓は元旦の今日も最高に楽しくて、最高に美味しい!