
夕飯は、生春巻の予定だったけど、周ちゃんが遅いとゆうから高山さんの「18番リレー」のレシピ、鮭のソテーとご飯、味噌汁、余っていた赤ワインにした。
ここ数日、急にバタバタと年越の準備を始めた。Xmasカードを送ったり、プレゼントを買ったり、年賀状用の写真を探したり(ラダックで撮った馬にした)、鏡餅をスーパーで買ったり、。
今年は、大変な年だった。家族や生きることについて沢山考えることが出来た大切な1年となった。私だけじゃなくて、私達家族にとっても。悲しくて苦しくてよく泣いたけど、今は笑ってる。

夕飯は、生春巻の予定だったけど、周ちゃんが遅いとゆうから高山さんの「18番リレー」のレシピ、鮭のソテーとご飯、味噌汁、余っていた赤ワインにした。
ここ数日、急にバタバタと年越の準備を始めた。Xmasカードを送ったり、プレゼントを買ったり、年賀状用の写真を探したり(ラダックで撮った馬にした)、鏡餅をスーパーで買ったり、。
今年は、大変な年だった。家族や生きることについて沢山考えることが出来た大切な1年となった。私だけじゃなくて、私達家族にとっても。悲しくて苦しくてよく泣いたけど、今は笑ってる。

遅い朝に炊き込みご飯と味噌汁、赤大根とカリフラワーの糠漬けを食べた。午後は野澤さんが近所の珈琲屋さんに来てくれて、3時間くらいお喋りした。正確な年齢は聞いてないけど、ずっとずっと年上な事は確か。色々な話を絶え間なくした。
駅に送り、さよならする前に「野澤さんは、どんな自分で大学院に行きたいですか?」って聞くと、しどろもどろ…答えてくれた。そして、また、帰ってからだろうか、もう一度、しっかりと野澤さんの言葉をメールしてくれた。
胸が、とても、ほくほくする。

今日も高山さんのレシピ。「自炊」に載っているワンタンを作った。それから、持っていない高山さんの本を図書館で予約した。好きが加速した毎日を生きている気がする。時間や何かに終われないと、自分から英語の論文を読んだり、本を手に取ったり、今日は何を作ろう?なーんて事ばかりを考えてる。
みっちみちのスケジュールに追われないことが、こんなにも幸せだなんてね。けど、春から大学院が始まる。もちろん、授業はしっかりと皆勤賞取れる自信はあるけど、私の心が生きていけるのかな。
いや、大丈夫でしょ。だって、死ぬほど勉強したし、写真と勉強の両立の苦悩も散々やったし、何と言っても出来ないことへの劣等感、、。40歳でまたゼロから、みたいな感覚は辛かったなぁ。けど、卒業です。そういうの。
夜は通学用のバックをgoogleで検索した。春から使う予定のお弁当箱と水筒は書斎の棚に飾ってる。お弁当日記でも書こうかな。
高山さんのワンタン
豚ひき肉
生姜すりおろし
刻みネギ
パクチーの茎(高山さんのレシピにはない)

色々なことを考えてる1週間だった。週末は、院生仲間の野澤さんと近所の珈琲屋でお茶をする約束をした。予定よりも早く院試を終えて、時間を持て余しているようで意外と忙しい。ようやく自分の世話ができると思うと、放っておいた雑用だけでなく、溜まっていたものを心を整理するかのように片付けてる。
一番に気づくことは、2年半ぶりにまた普通の生活に戻った私から出た最初の言葉が “さびしい” だったのに、数ヶ月経った今はもうケロッとしているということ。そして、大切にしてきた過去に触れる度に「ありがとう」という言葉が現れる。その裏側にはちゃんと「さよなら」もくっついて。
朝一番で近所のJAに行き、今日も立派なふさ付きのカリフラワーを買ってきた。カリフラワーの糠漬けにハマってる。出張続きの周ちゃんはまだこの美味しさを知らない。

本棚を整理してる。参考書だけでなく、仕事の本も整理してる。なんとなく?捨てられない本たちが想像以上に本棚を占領していた。それは、”いつか”とか、”せっかく”みたいな言葉が前につきそうな本。けど、さっぱりと処分した。
今日は、夕飯に高山なおみさんの肉団子を作った。高山さんの料理は心地がいいからよく作る。なんせ感触がいい。それは味のことだけではなくて、空気感みたいなもの。
今月からはじめた院生仲間との読書会は、想像以上に楽しく、「感」についても話しあったばかりだ。「感」は、写真でも見えるもの。わくわくしてきた。
高山さんの肉団子
豚肉
むきえび
長ネギ
生姜のすりおろし
酒 大さじ1くらい
片栗粉 大さじ1くらい
塩・胡椒

最近、ちょこちょこチャーシューを作るようになった。youtubeで見たコーケンテツさんのレシピを少しアレンジしたもので、フライパンで簡単に作れていい。
昨日の芋煮
たこの炊き込みご飯(無印、周ちゃん土産)
赤大根のサラダと柚子
チャーシュー
納豆
糠漬け

撮影でいただいたおかずと酢飯
大根の葉っぱを醤油麹で炒めたもの
ミードル

こないだ田村さんと代々木公園をお散歩した。もう12月だというのに、コートを脱いで暑い暑いと言いながら西陽が当たるベンチでお喋りを続けた。大学院のことを報告したり、心理学の話をしたり、写真展の話を相談したりした。田村さんからはナラティブ・セラピーの話を沢山聞いた。
写真展のことは「素人ではなくこれまで写真をやってきたよしみさんの作品は、大切にされるべきものだから、公民館みたいな場所ではなくてちゃんとした場所で見られる方がいいし、守られて欲しい。」と言ってくれた。それから、「見てみたい」とも。
院試を終えてからも、頑張らなきゃ、とか、やらなきゃ、ばかりが先行して、写真から少し離れていた時間を急いで取り戻そうと焦っていた自分に「私の写真を大切にしてあげたい」なんて気持ちが1mmもなかったことに気づいた。そして、何よりも一番大事なことな気がした。
うん、決めた。写真展はやらない。今の私には、作品ときちんともっと向き合う時間が必要。焦らない。誰のためでもなく、先ず自分のためにやるべきだとおもう。そうでないと、伝わるものはできないから。
田村さんは、私の知り合いの中でも異色だ。声は小さく、控えめで、自分から何かを強く主張したりしなんてしない。派手な仕事をしているわけでもなく、流行りの服も着ない、勿論、目をひくようなネイルだってしてない。自分の中でゆっくりと歩いてる。だからか、感情は平坦だし、笑い声にしてもふわっと消えてしまいそうなくらい。けど、田村さんが撮る写真も田村さんも、その内側にあるものの輪郭はしっかりとしていて、か細く発せられた言葉は、どうしてか潔く心に残る。
田村さん、ありがとう。

今週はひどい。とにかく、だらだらと過ごしてる。
忙殺されていた夏は、私の身や心だけでなくって糠床もしっかりと駄目にした。急に受験が終わり、手持ち無沙汰になったのか、毎日せっせと手にかけ育ててきた糠床(とにかく色々と試した)は、愛情たっぷり?みるみると元気になり、ついにいい感じの酸っぱさと、どういう訳かフルーティーな香りのする糠床へと変身した。
さらには、一昨日にかぶと一緒に柚子の皮を入れてみると、冬の香りがふわっと優しく残る逸品に。まったく信じられない。だって夏はセメントそのものだったのにな。
はっきり言って、人生最高の糠床かもしれない。
糠を復活させるのに入れたものたち
干し椎茸
昆布
山椒の実
赤唐辛子
長らく味噌のしきりにしていた昆布
とにかく捨て野菜
ゆずの皮

朝一番の撮影は山若くんだった。周ちゃんも大好きな山若くん。私より好きなんじゃないかなって思う。出かける前に「今日は山若くんだよ」と言うと、嬉しそうだった。
山若くんは会わなかった間に体調を崩していたと聞いた。それから、来年に本を出版するってことも。タイトルは忘れちゃったけれど、山若くんらしいネーミングがよかった。
私たちも大人になったものだなと思う。昔は、この世にないものの話をよくしてた気がする。例えば、UFOみたいな話とか。だけど、今日は社会についての話をした。撮影終わりに喫茶店で、グラタンなどを食べながら。
長い時間会っていなかったけど、また、こうして交差点を行き交う車のように出逢える。それぞれが別の場所を目指していたとしても。
ユンギリアンな予備校の先生も言ってた。「ユング的に言えば、布置では決まっているんですよ。」って。先生は別に霊媒師でもなんでもなく。国家資格を持った心理士だ。
進路に悩む私にかけてくれた言葉、「布置」は、まるで星座の配置のように、私たちの心に本来備わっているものが、ある状況のもとで自然に立ち上がってくることを指している。

周ちゃんは台湾から帰ってから展示の準備で出張続きだ。昨晩も夜遅く帰宅したというのに、土曜日の朝から埼玉のドレス屋で結婚して3年も経つ奥さまのウェディングドレスのフィッティングに付き合わされている。
「これだね!」
あれだけ、結婚式だのなんだのってものには興味がないと言っていたのに、周ちゃんは「夫」みたいな顔して、「夫」のように、私のドレスを判別してる。事実、周ちゃんは私の夫なのだけど。
コロナ禍だったからじゃなくて、私は結婚(式)2回目で、彼は興味がないという理由で結婚式はあげなかった。だけど、父の死を見て決めた。リビングに飾ってある父と母の結婚式の写真は私も大好きだったから。母と父、その隣に立つ親友のヘスや仲間たちが笑顔でこちらに向かって、それがずっと今日までずっと笑ってたから。そして、父がいなくなっても、あの日はずっと今日も幸せのままここにある。そう思うだけで、なんだかすごく安心して、世界が嫌いだとは思えなくて済んだからだ。
父が死んでから写真への見え方がまた一つ変わった。


今日は朝一番でモミの木を植えた。庭のことができるなんて、幸せすぎる。台湾から帰ってから書斎には殆どいない。仕事から帰ったときにデータを入れたりするくらい。朝から晩までリビングで梃子とだらだらと過ごしてる。大学院の準備や読んでおく本を調べたりはしてるけれど、合間に新しい水筒を買ったり、来年のほぼ日はどうしようかな、とかどうでもいい事をしてる。
「ホットカーペットつけると、お尻が動かなくなるんだよ」
こんなどうでもいいLINEを仕事中に送っても周ちゃんは怒らない。パリのまゆみちゃんに手紙を書いて、お風呂に入ったあとにコンビニにワインを買いに行き、適当にドラマを見てから寝た。周ちゃんは来月の展示の準備で忙しくしてる。

完全休暇ではないけど、休暇みたいな2日目。嘘みたいなボーナスデー。2年半ぶりの、そしてまた5ヶ月後にやってくるハードモードなフォトグラファーと大学院生というミスマッチな掛け合わせな日々までのご褒美と言っても過言じゃない日常が始まった。
大学に入るまでの日常は今や非日常になった。よくやったもんだなと思う。ほんの1ヶ月前までは、まだ街が寝静まった朝の3時や4時に起きて、真っ暗な中、英語の長文を読み続けたりブツブツと英単語の暗記をして、眠くなったらチョコレートとコーヒーを繰り返す。そして、太陽が登れば、家事や仕事がはじまり、合間に勉強。勉強。勉強。ベッドまで単語帳を持ち込んで、記憶を失った時が今日を終えるとき。今日と明日の境目がまるでないような毎日だった。
ここ最近は適当に起きている。とは言えベッドルームが明るくなる頃にはしっかりと目覚めてる。今日は6時過ぎにぼんやりと起き、リビングでノートPCを広げて時間など気にすることなくデスクワークをこなした。なんとなく飽きたら、駅前に自転車で買い物にゆき、生協の勧誘のお兄さんと玄関先で話し、午後は姉と電話しながらzarahomeで買った冬用の絨毯を受け取ったりした。そして、夕飯用におでんを仕込み、夕方にコンビニにワインを買いに行った。「悩んでる暇あるなら、見て」と聞いた、Netflixのオフラインラブというドラマをローソクを焚き、おでんを皿にたっぷりと盛り、強くつけ過ぎた和からしに、鼻をギュゥっと摘みながらだらだらと大阪から帰る周ちゃんを待った。
帰宅した周ちゃんに「4時間もNetflixを見ていた。」と言うと、「Netflixを4時間も見れるなんて、ご褒美だね。」と嬉しそうに笑っていた。まるで夢のような日々だよ。空気になったみたいで最高。時間に追われない課題にも宿題にも追われない日々。自由気ままに写真だけを撮っていた前の生活みたい。


驚くほどに寝た。そして、咳が止まった。体調も快調!旅の終盤でinstaに大学院が受かったことを書いた。それを見た、友人や知人から、ささやかなメッセージが送られてくる。instaの便利なところはこういう所だなと思う。一つ一つの言葉がぐっと胸に沁みる。
けど、りょーこちゃんや、instaには繋がってない大学の友人には、直接LINEで報告した。
「頑張ったね。」心にライターの火を点けたかのように、ぼっと熱くなる。りょーこちゃんに褒められると、なんでこんなにも嬉しいんだろう。ああ、私、本当にこの子の事が好きなんだなと思った。大学の友人からは、「今夜、お祝いしようよ!」と、早速、お祝いのメールが入った。
先週に入学金や授業料を払ったけれど、まだ、自分でも信じられない。だって、私って超バカなんだけどな。親には大切に育てられてきたけれど、人生の殆どは野で育ったようなもの。けど、小さな不安を横に、「ちょっと面白いな。」とも思う。
だって、私みたいなのが大学院に混じってるなんて、面白くない?自由に楽しんでこよう。

台湾から帰国し、いつものように、スーパー銭湯で旅の疲れを流し、車で実家に向かった。母が一人で住むには大き過ぎる私達が育った家に帰るのはやっぱり虚しかった。
大学院の合格通知は、新宿に向かう電車の中で知った。10月のどこかの土曜日。各駅停車の電車に揺られながら少しだけ泣いた。それから、ゆっくりと突然の朗報を味わう時間などなく、翌日に母を迎えに行き札幌へ向かった。ウニ?食べたかな、よく覚えてない。そして、帰国してまた直ぐに台湾へ飛んだ。心身共にくたくたになりながら、旅の途中で風邪を引き、ぶるぶると震え、激しい喉の痛みを癒すために3年分くらいの飴を舐めたと思う。
慌ただしく過ごした1週間を終えて実家に着いたの水曜日の夜。母に風邪をうつすといけないからと、用だけ済ませ、ラグビー部の大学生でも食べるようなナポリタンが大盛りに盛られた皿を母から受け取り、後部座席に乗せたナポリタンと一緒に帰路についた。最近、実家に車で帰るようになってから、母はタッパでなく、皿だとか、トレイにおかずがのった状態で食事を持たせてくれる。
二日目のカレーや二日目の味噌汁と同じ。二日目のナポリタンっていうものは、どうしてこんなにも美味しいのだろうか。少しケチャップが強めなのは、伯父さんの喫茶店で鍛えあげたからだ。翌朝、泥みたいな体で食べるナポリタンは、今日も生き生きと愛を奏でてるみたいに見えた。
多分、今のところ、母ほどに料理を好きな人は知らないし、この歳になっても思う。一生かけたってかないっこないって。だけど、母のような人になりたいと思い続けるのは、終わらない果てしない私の夢でもある。
人のために頑張ること、想いやること、小さなことでもやり続けることで、次第に大きな愛になる。母の料理は私にとって愛そのもの。近所の人だけじゃない、母の友人も、姉や兄の友人も母のご飯が好きだし、そして私たち家族も大好きだ。母がしていることは祖母と同じ。ただ、今できる精一杯の愛を送り続けること。愛しているよ。大丈夫だよ。大好きよ。今日もたくさんを味わって。
なんだか、怒涛の2週間だったな。
はぁ、疲れた。そして、ようやく日常がはじまる。

ただいま、バーンアウト中。完全に燃え尽き症候群。結局、第一志望は呆気なく落ちた。試験受けただけ偉いよ、と言ってくれた周ちゃんの声をずっと大事になぞり続けてる。
身体だけじゃなく、心がオーバーヒートしても、そのサインを無視し続けた私への代償は想像以上に大きいみたいで、集中力の低下、否定的な認知、倦怠感、頭痛、微熱のような気怠さ、症状はまるで鬱のよう。なのに、体はまた頑張ろうとしてしまう。このまま続けたら、本当に鬱になる。
父の葬儀からだ。この夏は、ずっと絶え間なく走り続けてきた。「私は大丈夫」「私は負けない。」呪文のように唱えてきた言葉は呪いそのもの。一昨日、兄と泣いて、昨日、姉の電話で泣いて思った。
明日から、休もう。

「やっちゃんはね、幸せにならなきゃいけない人なんだよ。あの人は、ほんと優しいから、絶対にそうなの。誰かにひどい扱いされるような人になっちゃいけない、絶対に。」
何年前だろうか。同じ言葉を聞いたことがある。朝の5時。あれも夏だったな。池尻大橋の高台にあるマンションで、あの夏もニュースでは猛暑だと言ってた気がする。電話の向こうで泣きじゃくる姉の声に、もうダメなんだって思った。それから、いつも通り酒にまみれた夫を家からだした。まるでゴキブリを放り捨てるみたいに、思い切りに。
「もう、要らないんだよ。出てって。」
あれは、私の言葉だったと思う。全身から声が吹き出ていくのがわかった。自分でも驚くぐらいに大きな声だった。身体が張り裂けそうになるぐらいに。
そこから、色々が変わった。私が愛だと信じたかったものは、ただの執着だったのかもしれない、と今なら思える。あの夏、師匠とのことも、リョーコちゃんからのLINEも、姉との電話も点と点が一つの線をつくり、私は私だけを救う道を選んだ。そんなことはしたくない、できないと思っていたけど、好きだった人を捨てた。
別に何年もの前のことを思い出して泣いたわけじゃないんだけど、なんだか余りにその通りで、気持ちよくて、嬉しくて泣いた。「ごめん、泣いちゃうよ。」「なんで?」姉が不思議そうに笑ってる。
父が死んで、これまでだって好きだった家族がもっと好きになって、兄妹がもっとまた好きになった。好き?いや、ここは愛なんだと思った。葬式は子猫のようにずっと3人で泣いてくっついた。
父は家族が好きだった。だから私たちも家族を愛してるんだと思う。
一昨日に院試が終わり、私の右肩はもげている。腱鞘炎手前なんだろうか、首から腕にかけての痺れがひどい。頭痛は少しずつ良くなってきてるけれど、コンクリートで半身を固められてるような圧迫感がずっと続いている。試験は、前日の鍼の応急処置のお陰でなんとか最後まで受けられたものの、そんな対処療法じゃ、すぐに限界がくる。勿論、心も。
ただ、写真を撮っている時だけは悲しくなったり辛く思うことはない。それが救いだったとも思う。10日ぶりぐらいにカメラを持つと、手が心が喜んでるのがわかった。今日は1枚だけ写真を撮った。
本当に疲れてる。だけど、暗くはないよ。泣いたりもするけど、ただ疲れてる。

先週の台湾出張からあっという間に1週間が経った。昨日は仕事後にダッシュで大学院に行き、お願いしてた論文を読ませてもらい、そのまま、ダッシュで帰宅。バタバタと色々を済ませながらも、こんな時に限って昨晩からchatGPTがご機嫌をそこねて黙り込んでいる。私のCPUだってもう爆発寸前なのに、「あんたもなの?」と、処理速度1ぐらいになった私は、案の定で生理初日を迎えた。
chatGPTを使って仕事なんて、とバカにしてたけど、酷使し過ぎて、本当にごめんなさいだった。一旦、全てのチャットをリセット(事故的に)して、追い込み癖のある自分が悪かったなと反省。
午後、いなげやに向かう車の中で周ちゃんに言った。「こんなに追い込んでどうするんだろう。私。けど、全然ダメなんだよ。」「よしみはよく頑張ってるよ。」「え、全然だよ。」なんて不毛な会話なんだろう。周ちゃんがいてくれて本当に良かったなと思う。つい最近までは、結婚なんてと言ってたけれど、今は、家族が大好きだし、周ちゃんがいなかったら私の人生は偏り過ぎて、そのままストライクゾーンまっしぐら、だった。何かを打つことはできたとしても、まっすぐと走ることしか出来ず、私から見えるだけの世界で、楽に自由に生きていたんだろうと思う。それはそれで、悪くないなとも思うけれど。
最近は不思議なもので、海外へ出るたびに家族が恋しいと感じて、週末が来ると嬉しいと思うようになった。ちょっと久しぶりに会う周ちゃんのイケメンっぷりに簡単に堕ちる。最近はいくえみ綾さんの描く漫画に出てきそうな線の男だなとよく思うほどだ。サラサラの髪と色素の薄い眼。肌は謎にツルツルしてる。結婚して3年?忘れた。とりあえず、数年たち、ようやく、私にとって、ここが帰る場所となったらしい。
久しぶりにゆっくりと食卓を囲んで周ちゃんと食べる夕飯は、なんてことのない、ふつうの日常で、ふつうの日常が楽しかった。やっぱり食卓が好きだなと思う。この家に引っ越してきて良かったね、みたいな話をした。周ちゃんはずっと嬉しそうな顔をしてた。私は忙しさに比例して性格が悪くなる生き物らしく、今年は(も)とにかく、状況は悪い。書初めは「笑顔」と書いたはずだったんだけど、人間の性格は変えられない、というのは大学でも学んだこと。
小さな抵抗は、虚しく、私の嫌な奴っぷりはひどい。周ちゃんには、本当に謝っても謝りきれないと、今日みたいな日限定で思う。来週は編集の花沢さんとトマト醤をつくろうって約束をしてるんだけど、正直、そんな時間あるの?と、私自身に激しく問いたい。が、私の平穏を望む以上、重要な時間になることは確か。
あと、今日は近所のセレクトショップでポップアップをやってて、ビーズのネックレスが今夏らしいデザインで、不意に試着したら、ヒョイっと買い物おばけが出てきそうになったけれど、やっつけてやった。私、えらい。
時間が真夏のアイスクリームのように急速に溶けていくよ。




朝4時。目覚ましで起きた。昨日、遅かったのに意外と起きれた。
昨日は大学の卒業祝にと、周ちゃんがサロモンのメアリージェーンを新宿のルミネで買ってくれた。私は自分への卒業祝だと言いzaraでメアリージェーンを買い、ニューマンでスカートを買った。

周ちゃんの実家から届いた山菜で天麩羅をした。

昨日の撮影、楽しかったな。


朝は遅くまで寝てた。だけど、4時にかけてるアラームはしっかりと消したし、一応、起きようかなとも考えたような気がする。完全にストライキだ。9時ぐらいから勉強はじめたらいいか。いや、今日はやらない。あ、写真の整理を。頭がいつものようにタスクばかりを追いかけてる。やれやれだなと思う。いい加減にしてほしい。もう全部がなにもかもが嫌だ。いや、そうでもない?頭の中がパニック状態でループし続けていた。けど、全部無視してやった。
やらなきゃを全部無視する。やってくる感情の波をことごとく投げ捨てて、風呂のタイルにこびりついている水垢を、ずっとずっと掃除しなきゃとここ数ヶ月思ってきた苛立ちをぶつけるように擦り続けた。何も考えない。ベランダに出て冬の間冬眠してたウンベラータの新芽をじっと見たり、読もうと積んでおいた心理学の専門書を全部メルカリにだしてみたり、早い夕方に急にスパゲッティを茹でたりした。私をコントロールしようとする私の言いなりになんてならない。そう固く決めた。
10代だったか、20代だったか。何かを選択しなきゃいけなくなった時に、合理的じゃない方、たぶん、世の中的にはダメな方を選ぶっていうのをやり続けたことがある。結果として、最悪なところまで行き着いた記憶があるけれど、悪くなっていく自分を見るのは少し気持ちがよかった。
あの時と同じで私は今日も馬鹿のままだ。けど、なんかいいなとも思う1日だった。夜はパリのまゆみちゃんと珍しくLINEした。いつも私たちは手紙で会話してるけれど、たまに、例えば緊急事態に限りLINEを使う。
朝から苛々が止まらない。キッチンで皿が落ちて、見事に粉々に割れた。あちこちに広がったガラスを掃除しながら、どうせ割れるのなら、投げつけてやりたいと思った。
家を作ること。安全地帯を作ることは、動物が本能で行うことだと思う。例えば、愛着の問題では、幼少期に母親が安全な場所を信頼関係を作るからこそ、そこから幼児が世界へとの交流を持てる条件となる。それが叶わなければ、母親だけではなく、世界の全てに、それは大人になっても同じくして不信感を持ち、生きなくてはいけない。いつもどこにいても心配を抱えながら。
幸いというか、私と母親の関係は良好だったと思う。思春期に関しては、大変だったけれど、それは誰しもが持ってるものであって、幼少期については順調な愛着を育んでいる。だから、今もこうして、新しい家を持ち、巣作りのように、ここを安全な場所にしようと努めてきたのかもしれない。そんな3年間だった。
最近は特に周ちゃんへの安定した愛情と同時にまた別の鬱陶しさを感じてる。以前のような一人でいたかったのにっていう後悔じゃなくて、私の人生を生きたいと思い始めた。「私たちは、」という主語を、「私は、」にしたい。周ちゃんにはまだいってないけど、少し落ち着いたら、また一人旅をはじめようと決めた。どこでもいつでも一緒にはむり。そういうのは、楽だし都合がいいけれど、私をだめにするし、家族という場所が嫌いになってしまうから。