
3日目ともなると、クラスのメンバーも覚えてくるし、大体の役割みたいなものもでてくる。発言したがる人と、発言を拒む人。お喋りする人と、黙々と勉強する人。グループを作ろうとする人と、群れようとしない人。年齢性別関係なく、それぞれが好き勝手にやってる。1日に何回もグループワークとディスカッションを繰り返す。その人がどういう視点で物事を考えているのかがなんとなく見えてくる。
私は、。自分が浮いているような気がしてならなかった。最近覚えたばかりの専門用語を並べて、クライエント像を推測するなんて、、なんだかおこがましい気がしたし、そもそも、ここに立ってる自分の理由ですらよくわかってないのだから。クラスには支援者や学校関係者が多いことは、私のやる気とは関係なくして、なんだか自分が出来ないような人だと言われてるような気がしてならなかった。
けど、それが錯覚だということも勿論わかってる。カウントダウンでやってくる私の発言の時間。あ、もうやめよう。写真みたいにやればいいや。私にできることだけをする。知識も経験もないのだから、言葉での武装はしないし、推論も使わない。かっこもつけない。今をそのままに伝えよう。出来ないって思われても、それが私だし。
「全然、わからなかったです。だって、。」高校生が使うくらいに幼稚な言葉で、感情の中で起きていることをそのままに伝えた。いつものように。
「とてもいい体験をしましたね。」
え?!拍子抜けした。私の感情を並べただけの言葉、それがこの課題について大切な気づきである。そして、よくそれを感じてくれましたね。と、先生は嬉しそうに熱く褒めてくれた。何度も、とてもいい体験をしました、と言っていた。
心理学は科学です、と言うけれど、面白いのは科学でないところに落ちるとき。科学には絶対に答えがあるはずなのに、心理では答えが1つではないという矛盾が当たり前のように定義されることがある。それは、変だけど、ニュアンスみたいな感覚を体感することをいうでもある。
今日は、褒められてちょっぴり嬉しかった。私は頭が悪い。だけど、写真をやってたお陰で、そのニュアンスみたいなものを大事にすることだけはずっとやってきたと思う。周ちゃんがよく言う「私が写真をやってることは、心理をする上で武器になるのだよ。」と言う意味が、少しだけ今日はわかった気がした。