夕飯

夕飯 31.3,2024


そんなに忙しかったんだろうか。3月の後半の記憶がない。シクシクと勉強を進めながら合間に仕事。その連続が重なっていくだけの日々。病院へも行ってない。昨日、慌てて電話すると、どうやら薬の飲み方を間違えてるようで丁寧に看護師さんが説明してくれた。だけど、体調は大丈夫。特に問題はない。もう、すっかりと私の身体は120%健康に戻ってる。一応、薬を飲み続けてるだけ。

朝にレポートの修正と、関係行政論の勉強をして、それから山へ梃子の散歩へ向かった。「あ、桜だ。」周ちゃんが言った先に水色の空の中に置かれたように桜がある。ここで見る桜も3回目。「引っ越そう。」そう言って、散々物件を探してたけれど、やっぱり引っ越すのはやめようかなとか、気持ちは子供の歯みたいにぐらぐらしっぱなしだ。正直どうしていいのか、答えは見つからない。今の暮らしは十分に満たされてる。だけど、仕事はしづらい。

それに、やっぱり思うことがある。昨日も「頼りたくない。」と、伝えた。「変な話かもしれないのだけど、よしみはあまり働かないでいいような感じにするっていうのはどうかな。」周ちゃんが言ってくれた言葉は、今の私にとって喉から手が出そうなくらいにありがたい話だ。私のように意固地になってる友人、知人はいるだろうか。だけど、妊娠した時も流産した時もそれで体調を崩したってずっと頼らなかった。

ずっと幸せでいたい。その為に大事なことは、やっぱり一人でいた方がいいってこと。この答えは結局変わらなかった。不幸を誰かのせいにすると、それは、自ら不幸なんだと決めることになる。まるで、奴隷になりますと志願してるようなものだ。「女が愛してない男に養ってもらうことなんぞ、珍しいことじゃない。ああ、幸せになりたい。」と、離婚したいけどしない夫の愚痴を漏らす友人の声を聞いているうちに、正直、幸せが何かよくわからなくなってくることだってある。だけど、それが仕方がない事なのはわかるけれど、気持ちのよいことには聞こえてこない。

自立することを尊重してほしい。隣で歩んでくれることは望むけれど、どうか内包しないでほしい。互いにいつも肌が触れ合っている関係でいいの。朝食を食べながら、できるだけ遠くから、できるだけ柔らかい言葉で伝えた。

3月最後のわたしは、だいぶ順調。強気なくらいが丁度いいのかもしれない。