
Youtubeで、韓国人が残ったキムチチゲを翌朝に冷たいまま、ご飯にかけると最高だよね!っていうのを見て、どうしても頭の中から離れなくって、起きて直ぐにキッチンへ直行。熱々の炊きたてのご飯に、たっぷりとキムチチゲを乗せる。嗚呼、至福。気づいたら2杯は軽くおかわり。
こないだ、現場にカメラを持っていくのを忘れそうになった。家を出る時にカバンと財布を持って出ようとした時に、は!っとして慌てて機材置き場から機材を引っ張り出した。そういえば、昨日も。カメラを忘れて人に迷惑をかけたらダメだけど、写真が私の一部になった気がして嬉しくなった。あれやこれが無くても大丈夫っていう気持ち、なんかいいなって。
力みたくない。自然体でいたい。
偉いとか、カッコイイとか、すごいとか、稼いでるとか、そういう事を気にしたくない。そういうのを誰かに見ると、近頃はどっと苦手になる。だけど、たぶん、仕事をする上でそういう事を気にする必要があったから気にしてた。だけど、なんかもう必要ない。もう、私は本当に疲れちゃったから、何も余計な事は、仕事でもそうじゃなくても、なんでも本当に要らない。
夜に中目黒のADIでメトロの編集チームと、フォトグラファーの野呂さんと四人で食事をした。野中さんが「編集、好きでやったんじゃなくって、気づいたらここまで来てただけなんです。」って。とにかく仕事が大好きな人なんだと思ってたから、余りに意外な言葉に何だかすごく嬉しくなった。20代の時にその事に気づけて、ただただ目の前の事に無我夢中で向かって走り続ける事が出来たって、すごい。誘惑だらけの若い時に、私ならそんな決断を出来ない。
ずっと大好きな写真を一番にやるのが怖くて、寄り道ばかりしてきた私を変えるきっかけとなったのは、きっと彼の酒。ちょっと荒療法だったけれど、そんな事がない限り、私は好きから逃げ続けただろう。だって好きを失うのは怖いから。だけど、逃げるのをやめて気づいたのは、怖くないって事。やればやる程に、それは自分の一部になっていく。
本当はやりたかった、とか。本当はそうじゃなかった、とか。世界に納得が言ってないのは、自分。恐いなら、恐いからこそ、やってみたらいいと思う。だって、全然怖く無いから。
とにかく走ってみると、気持ちよく思いっきりに走ってみると、必ずどこかに行ける。