昼過ぎから腰痛が始まった。痛い、やばいな。周ちゃんに熱が少し上がってきたこと、腰痛が辛いことを伝えると、「今日はやめておこう。」だった。夕方に渋谷植物園のリニューアルのプレスリリースに行く予定がある。けど、。せっかくだしな。周ちゃんもその為に在宅にしてくれたのに。「車で駅まで行ってもいい?」「もちろん。けど、無理しない方がいいよ。」
腰痛は軽くなるどころか時間と共に悪化していった。やばいな。途中、騙し騙し、youtubeで勉強しながら何とか気を紛らわして渋谷へ到着。人でごった返した駅。どんどん開発されていく渋谷だけど、昔も今も、いつまでも完成しない中途半端な感じがむしろ渋谷らしくて好きだなと思った。やっぱり、ここは落ち着く。
こないだライターの柳沢さんが、田舎暮らしが好きだけど、今でも東京に帰りたいと思うことがある。と言ってたのを思い出した。二十歳ごろからここで遊んできた。隣の駅に住んでいた時は歩いて帰ることもよくあった。それは1度目の結婚の時。その10年くらい前、中目黒に住んでいる時はよく自転車でここを走っていた。青と緑を足して割ったような色のお気に入りのビアンキに乗って。
ほっと全身の力が抜けてゆく。植物園まで歩く道のりは誰か友達に会えそうな気がしたし、通り一つだって色々な思い出がある。その昔は黄色のビーチクルーザーに乗っていた。その時はこの通りの先の恵比寿に行く手前の自転車屋で一目惚れして買った。まだ大学生でお金がなかったから、割と安いビーチクルーザーは手が出しやすかったし、少しだけカスタムした。
到着すると編集の浅井さんが迎えてくれた。今日来たのは、浅井さんに誘われたからっていうのが1番の理由だけど、今住んでる場所で土地のことを知りたいと料理家の角田さんと活動を始めたこともある。ここの館長に就任されたアーバンファーマーズの小倉さんに会ったのは、ワールドの仕事で何年も前のこと。あの時はラフォーレの前のビルの屋上でポートレートを撮らせて頂いた。暑い夏の日で前日に畑で熱中症になったと辛そうにしていたのを覚えている。その小倉さんといつも仲良くさせて頂いてる浅井さんが知り合いだなんて、世の中とは面白いもの。
浅井さんが丁寧に隅々まで新しい植物園のことを紹介してくれた。バナナとマンゴーの電磁波から作ったというアンビエントな音楽が流れている瞑想ルーム的な部屋も面白かったし、屋上はお茶の木とビールのホップを育て始めたというのも、嬉しそうに話すその感じが、すごくよかった。私は場所は人だと思ってる。そこで楽しんでる人たちがいるからこそ、その場所へ会いに行きたくなる。だって、渋谷がまさに私にとってそうゆう街だったから。
それからLFCコンポストの代表のたいらさんっていう女性を紹介して頂いた。もちろん、あのバッグ型のコンポストはもうずーっと何年も前から知ってる。コンポストを始めようと思った時に一番初めに気になった商品でもある。最近、我が家では夏で微生物が活性化していることも手伝ってコンポストブームが来てる。生ゴミがどんどん土に返っていく様子は見ていて楽しいし、そこで捨てた野菜から新たに芽がニョキニョキと育っていくのも楽しい。たいらさんには我が家のコンポスト事情の話を少し聞いてもらってアドバイスを頂いた。正直、お会いできて無茶苦茶嬉しかった。想像していたような感じの方ではなくて、ずっとずっと素敵で素朴な女性だった。
コンポストは環境問題のことで3年前に東京のマンションのベランダで始めたけど、今は違う。コンポストの中で循環する世界を目の当たりにできることが楽しいとか、それは生ゴミを処理してくれて、豊かな土を作ってくれて、なんなら新しい野菜の芽まで育ててくれる。環境のためというよりも、今はご褒美と言った方がしっくりくる。ただ、楽しいからやってる。結果、誰かのためにもなってる。たいらさんと話をしていて、大事な事をちゃんと思い出せた気がした。それに、そもそも、環境のためにという理由だけでは中々楽しめないっていうのもある。マスト的な考え方はどうしてか辛くなってしまうから。
結局帰宅したのは20時。もう腰痛は悲鳴を通り過ぎて感覚が半分麻痺してる。あまりの痛みに空腹までもが奪われてしまうくらいに。帰宅してもしばらくは床に転がっていた。しばらくしてからシャワーを浴びた。周ちゃんはせっせと洗濯を取り込んでくれたり、梃子にご飯をあげたりといろいろをやってくれてる。夕飯は周ちゃんが造った天ぷら饂飩。天麩羅は帰りに駅前で買ったもの。生姜をたっぷりすって食べた。食事を済ませて布団へ寝っ転がった。ああ、辛い。どうしたらこんなに痛いんだろうってくらいに痛い。
天井を見ても壁を見ても痛い。携帯を見たって痛いし、”腰痛、緩和” のキーワードでgoogle検索し続けるだけだ。しばらく痛みに打ちしがれながらぼんやりと考えた。外で見る周ちゃん、かっこよかったな。何度かエレベーターや駅で私ぐらいの中年女が何度か周ちゃんを見ているのを見た。「私の夫よ。」なんてことは思わない。周ちゃんは私の物じゃないし、今はたまたま私と一緒にいるだけ。そうじゃない。彼女たちに、わかるよ〜と共感したかった。だって電車で口開けて寝ているのを見ても、なんてまぬけな顔をしているんだろうと放って置いたくらいだもの。周ちゃんは周ちゃんであって、私は私。同じ姓を名乗ってるけれど、他人であり、どこまでいっても自分ではない誰かだ。
家を出ると、周ちゃんはよりいっそうに他人になって、何だかいいなと思った。家にいる周ちゃんも好きだけど、外にいる周ちゃんも結構いい。外にいる周ちゃんが服を着た周ちゃんで家にいる周ちゃんは裸って感じだ。見えない部分があるというのはとってもいい。ひとり勝手に想像してニンマリした。