
結局、今日も咳であまりよく寝られなかった。「私が那須まで運転するから。」誰かといると、どんどん甘えていく、どんどん女みたいになっていく自分が最近嫌で仕方がなかった。「だって、よしみは昨日寝てないでしょ。薬も飲んでるし。」「大丈夫。」少し強がってるくらいの方が丁度いい。放っておいたって甘え出すのだし。
黒磯でざおーと落ち合って、チャウスでランチをして、私と周ちゃんは買い出しへ向かった。キャンプ場に着いたのは15時過ぎ。
1年ぶりに会ったざおうやガッちゃん、ことはちゃんは、昨年よりも一層に家族って感じだった。だけど、そう思ったら、私や周ちゃんもまた昨年よりずっと家族になってる気がした。
日をまたぐ前に寝袋に入って寝たけれど、結局、咳で寝たんだか寝てないんだかよくわからないままに朝が来て、朝方にひとりで散歩へ出かけた。辺りはまだ薄暗い。朝の空気を吸い込んだからか咳も止まった。まるで何かから開放されたかのように、辺りをどんどん歩き続けた。川へ行き、森林を歩き、また川辺へ。光の方へ。朝の方へとどんどん歩く。
帰りの車で周ちゃんとガッちゃんの話をした。「ガッちゃん。すてきだったね。剪定がおもしろいって話もよかったよね。」ガッちゃんは果物農家で働いてる。毎日畑へ出て、自然の中で働くことは大変なこともあるけど、それが楽しいって。話はいたってシンプルで清々しかった。
「なんか、自分の人生が恥ずかしいとまでは言わないけど、ガッちゃんの生き方とゆうか、。いい仕事だよね。」車を走らせる周ちゃんに言った。「うん。よしみもやってみたい?」「違う。そうゆう話じゃなくて。私もそうゆう人でありたいとゆうか、憧れたっていうか。」周ちゃんが大きく頷いて言った「人はどこかで諦めなきゃいけないんだよね。」「そう。」
周ちゃんは沢山の事を知ってる。博学だ。だけど、それがただ読んだだけの知ってるだけの生きてない言葉なことが多い気がして、そんな風にして食べ物の話をされると、無駄に腹がたつ。口先だけで情報をこねくり回して何が楽しいのだろうかと苛立つ。だけど、今日の言葉は余りにぴたりとはまっていた。
たぶん、周ちゃんは誰よりもずっと早く若い時に諦めることを知ったからかもしれない。家族の事で自分を犠牲にしなきゃいけなかった時間を送った日々がある。その時は、もう自分の人生は終わったと思った。と言ってたけど、今となってはいい経験だったとも言ってる。
私が諦めるようになったのは最近になってだ。離婚して、ああ、私は全てを失ったんだと思ったら、世界を受け入れるしかないのだとという事もわかった。「嫌だ」じゃなくて、そうなんだって。大体はもうどうにも出来ないことで出来ている世界に向かって、自分の思い通りに征服してやろうなんて思いながら生きるのは虚しい。だけど、そんな虚しさを沢山重ねて大人になっていくのだとも思う。夢はいい。だけど、夢は夢で、世界はだから世界だ。
いい時間だった。大切なものや大切にしたいこと、これから諦めていく世界のことを考えたりした。強くなろう。