1月23日

Journal 23.1,2024


頭がぐちゃぐちゃな1日だった。色々が同時進行で頭が爆発しそう。胸の内としては、ワクワクしているのだけど、どうにもこうにも何が絡まっているのかでさえわからない。

昨日のワークショップの興奮がまだ冷めてないのかもしれないとも思う。写真と心理学、こんなにも早く現実になるなんて思わなかった。長いこと撮ってきた写真が、するすると言葉や形として説明できるようになってきてる。写真作家を諦めて商業カメラマンになったのは、次のステップがもうどうしていいのかわからなかったから。悔しいけど、私の写真には未来がない、、。そんな風にお金のために撮り始めた写真は想像以上に楽しくて、それなりに稼げた。それにあの時はやっぱり元夫のことが一番にあったから。だけど、これってほんと?ってなったのは、いつからだろう。

やっぱり諦めがつかなかったんだとも思う。探し物が見つからないと、いつでもどこかを探し続けてた気がする。あわよくば、いや、きっとそれはどこかに。いつでもどこでも、やっぱり不意にでもいいから落ちてないかと隙あれば捕まえてやろうとさがしてた。

ふだん使ってないメーラーに、いつだったかに届いていた展示のメールを開いた。あ、そうね。最初に思ったこと。誰かに自分を重ねるのは失礼な気もするし、意地悪みたいにも聞こえる。だけど、わかるよ、。って心が大きく頷いた。偶然にも、たまたまそれが今日だったのがわるい。あまりに綺麗に答えがわかった。案内にある美しい画。それだけで、作者の全てが一読できる。綺麗な景色の先に、健やかな人間たちが戯れるだろう。最後のオチまでよめてくる。そして、そこには感性がポツンとちいさく座って見えた。写真についての説明は殆どなくて、トークショーだとか、パーティの食事の話だとか、オプションの情報だけが綺麗に並べられていた。

夕飯の時「ちょっと、聞いて。」と話しかけると、周ちゃんは箸を止めて真剣に聞き、そして、まるで全部を知ってるかのように喋りはじめた。

「あのね、立派な作品を作ってる芸術家といわれるような人たちと今まで沢山仕事をしてきたけど、芸術家は研究家とすごく似てるんだよ。それは何かっていうと、芸術家はただ作ってるだけではダメなんだよ。逆に言えば、感性だけを追いかけてる人は、そこまでしか行けないし、その先には行けない。素人みたいなもの。」

ああ、と思った。「うん。わかる。」何度もそう言った。周ちゃんは一言も、その展示については触れなかったけれど、何を言いたいのかよくわかった。心理学を勉強して知ったことは、感性は共有できないってこと。私の作品を見てわかってよ。では、残念ながら伝わらない。なぜなら、私達はあまりに別々の生き物でそれぞれにしかない感性を持っているから。見てくれる人の感受性に委ねるならば、たぶん、放り出されたままのものは、綺麗なものはより綺麗に、暗いものはより暗く、作品は丸くするりと磨かれていく行為を勝手にかさねて、心にひっかかる棘のないものとなっていく。

「あの草間彌生さんでさえ、ただ描いてるだけじゃないんだよ。」結局のところ、感性は知性と共に作品を超えていく。頭の中にわたしが思う感性を超えていった写真家たちが浮かんだ。部屋にある数冊の写真集。いつ開いても胸を鷲掴みにされる写真。アラーキーが撮る料理。鈴木理作さんの撮る熊野。

写真は面白い。施設でのワークショップで思ったのは、生徒が写真を通して世界の前に立ってる姿。怖い、よくわかんない、やってみたい。そこにはカメラを構えて様々な感情を目の当たりにした。なんだかその姿が美しいというか、とても清々しくて、誇らしくて、カッコよくて写真らしかった。

どうせ撮るなら、もうオチがわかるようなトレース作業を続けたって仕方ない。仕事で出会う綺麗な写真を否定するわけじゃないけれど、仕事でも、写真集でも写真展でも、写真が写真に出会ってるようなものが見たい。

わたし、何やってんだろう。