
” 自由になりたい。”
今朝、わたしが喫茶店でパソコンにタイプしたメモ。あたまがイカれちゃったか、いや、本当にそう思った。今朝は昨晩と同じ喫茶店にいる。私は1番めのお客さんで、次に入ってきたのは常連のおじいちゃんだった。今日は風が冷たいねって、慣れた感じで店員さんと話していた。
りょうこちゃんにLINEを送る。昨年からずっとモヤモヤと考えていたこと。書いては消してを繰り返していたメッセージ。最後に消したのはいつだろう。2023年だったことは確かだ。だって、今年になってはじめてメールしたから。
私の書いた言葉はLINEの中で行ったり来たりしながらとりあえず纏まっていそうで、全くちぐはぐに、とにかく苦しそうにしていたと思う。りょうこちゃんは、わかるよ。って何度も言い、そして、自分の話をしてくれた。
私たちはそれぞれ別々の場所にいるのに、いたのに、まるで同じ話をしてるかのよう。りょうこちゃんのメッセージを読んでいると、一緒に写真を撮ってた日々のことを思い出した。周ちゃんには何度か相談していたし、いつも周ちゃんらしく励ましてくれてた。だから、別に隠していたわけでも、カッコつけていたわけでもなかった。りょうこちゃんに「写真が撮れなくなるのが怖いのかもしれない」って、言う自分に驚いた。ああ、そうか。怖いんだ。そうなんだね。怖かったんだ。だから、きっと、自由になりたい。なんて書いたんだろう。
そして、りょうこちゃんが言ったのは、世の中に送り出すようなもの、みんなが喜んでくれるようなもの、そういうのを必死に作っていたときよりも、今の日常の小さなことの方がずっと感覚に触れてるかもって話をしてくれた。たぶん、りょうこちゃんが早くから注目されて、多くの仕事に関わってきたのには、りょうこちゃん自身がつくる人でもあったからだと思う。あんなに写真を好きな編集者に出会ったことがない。編集の仕事につくずっと前から、書くことも撮ることも、生活の一部にあって、好きの延長線上に仕事があった。だから、苦しかったって。ああ、そうね。だから、私たちって一緒にいると、じんわりするし、スーってなるし、私は伸び伸びと、彼女の前では写真が撮れた。
私、何が苦しかったんだっけ。メッセージを送っているうちにわからなくなって、そのままコンビニにビールを買いに走った。そして、今むちゃんにメールして、遅くなった新年会のことを伝えた。今は次の個展のために絵を描いてるんだそう。仕事は二ヶ月してないって言ってた。ずっと前に「仕事なんてしてないでちゃんと描きなよ。」って私が言ったからだろうか、それとも、それは私の思い込みだろうか。
それから、りょうこちゃんは、写真を一回やめてもいいんじゃないかとも話してくれた。正直、そんなこと、。とも思ったけれど、違うと思うならば逆に、それもありなのかなとも思うし、そうじゃない気もした。わたしが苦しかったのは、写真が撮りたいけど撮れないこと。撮れなくなったわけじゃなくて、今の写真じゃ満足できなくなった。それは写真を初めた時の感覚に近い。ファインダーをのぞいてもシャッターがきれない。撮ったプリントを見てもぜんぜんしっくりこない。こうじゃない。もっともっとある筈なのって感覚。