撮影が終わったのは午後だけど、家に着いたのは18時過ぎ。しっかりと渋滞に巻こまれた。周ちゃんは隣でずっとPCを広げて仕事をしてる。私はひとり、夜になりかけた街を走り続けた。
撮影が終わってから話してたことが面白かった。今回の撮影で同じ時期にスタッフの全員が、ある作家さんの手がけた複数の作品に向き合う時間みたいなものがあった。すごくいいなと思う作品もあれば、正直、過去のトラウマみたいなものを揺さぶられたり、誰の声も届かない場所に落ちた人を見せしめにしてるかのように見えて、怒りを覚えるような作品もあった。だけど、これは私個人の話。テーブルに座って、それぞれの角度や物差しで解釈された作品についての話を聞いて、あ、そうかって腑に落ちる感じがした。
私ひとりの視点の話をすれば、世界はこう見えたりああ見えたりするし、それが世界だ。当たり前の話だけど、そんなことはわかってるけれど、私とゆう器官は1つしかないから仕方ない。だけど、今、それぞれの身体中を巡りここに吐き出されたものはそうじゃない。
作品には、勿論メッセージがあると思うけど、受け手には関係ない。人生と同じで勝手に自由にそれを感じてゆく。ただ、どんな想いだって、強く感じれば感じるほどに、また、その人の別の部分も刺激され、それはまた
曖昧に緩やかにハマっていくような感触があった。どこまで続く車、対向車のヘッドライトが眩しい。車を走らせながらどんどんと定着していく感じがした。
帰宅するとりょうこちゃんからメールが入ってた。こないだのこと、もうちょっとちゃんと説明したいって、文面から丁寧に丁寧に文章を書いてくれたことがわかる。やっぱり、りょうこちゃんは私みたいなのだと思う。写真を撮ったり文章を書いたり、生きるためにどうにかこうにかあらゆる手段を使って、今に向き合おうとする。その真っすぐと向き合いたいと文を綴る姿勢に、その力強さに、胸がすごく熱くなった。
写真で悩んでいること、具体的にこうしたらいいんじゃないかって、沢山たくさん、考えてくれたのだと思う。りょうこちゃんに触れてるだけで、きっと、たぶん、私にはその全てが解決出来る気がした。これが私にとって祈りのようなものだったとしても、りょうこちゃんには、そうゆう力がある。なんとなくいい感じみたいなことじゃなくて、明日いきなり映画を作ってそれが大ヒットになったとしても、私は驚かない。そういう力がある。誰にも真似できないような何か。
今日の昼に見たことを話した。夜も遅くて、昼間の疲れからか、目はかすんで字がぼんやりとした。長時間運転したからか頭はズキズキしてる。きちんと返せたかわからないけど、一生懸命に書いた。
だけど、結局、なにが伝えたかったのか上手く言えなかったと思う。だって自分でも整理できてないのだから。だけど、整理なんてできていなくてもいいから返したかった。