
日々を片付けられないままに時間だけが過ぎていく。
けど、最近思う。私がひとり猛烈に頑張って、なんのためになる?って。一方で、一昨日に久しぶりに酒場へ行った時は、懐かしさと共に嫌気がさした。私が忙しさのあまりにピーピー言ってるような時間もあれば、永遠に朝が来ないんじゃないかと思える場所もある。元夫との生活を敢えてシンクロさせることはないけど、もう本当にきっと好きじゃない。
元夫が、よくいく酒場で誰かと取っ組み合いになって破られたシャツはどこへ行ってしまったのだろう。たぶん、チェックのシャツ。そんな事ですら、時々、頭の隅にやっぱり現れる。私にチクった男の顔も思い浮かぶけれど、それを無かったことのようにする男や女の顔も一緒についてくる。
編集のリリさんが面白いことを言ってた。頭の隅に、いや、ど真ん中に長い時間滞在してる。あの頃は、表面がつるつるであれば、その中がどうであろうと気持ちよく滑れるのが人生だとずっと思ってた。酒場のループし続ける会話のように、ただ、流れ続ければいいんだ。気持ちよくそのまま、気持ちよく、音楽と共に。誰かの笑い声と共に。きつい香水や煙草の煙と共に。全部、シームレスに上手くやればいい。
りりさんの言葉は、するするといかないことについて。数日前にリクさんと幸福論について話したみたいなことをスレッドに呟いていて、面白いな、いい夫婦だなって思って思わず、周ちゃんと四人で生討論しようよ!と返信すると、”実は、人前でするすると意見を言えなくて、。”って。
はっとした。私もある。沢山ある。だいたいそうだ。ああ、ってモヤつきながら家に帰って、何度も何度も考えて感じて、ひとりで悶々して言葉になって、それを日記に書いたり、手帳に書いたり、携帯のメモ帳に書いたりしたところで、ふぅーってようやく落ち着く。
確かに、バサッと切るようなことを言った人がいたとしても、勢いには圧倒されても、後から、なんだかカラカラのパサパサな肌触りだったけど、。なんて思い返すことがある。
するするいかない方が素敵なんじゃないか。りりさんが言うと、余計にそう聞こえる。仕事をしてると、うまくいく方が正しいみたいになる。私、けど、正しくないほうが好きだったり面白かったりするんだけど。
気分がいい。