ひとり晩酌

Journal 27.4,2024


結局、気づけばPM16時。買い物に行くのはやめた。サーモンが食べたい気分だったけれど、鍋に春キャベツと冷凍庫にあったソーセージ、少し古くなった玉葱を入れて煮込み始めた。テコは、周ちゃんが出張に出てからずっと寂しがってる。最初の数日は遊ばなかったくらいだ。毎日、飄々と過ごす私と180度ちがう。私とテコは似てると思っていたけど、そんなこともないみたいだった。

ワイン、買っておけば良かったな。酒を呑まない夫との生活では、お酒はいつも後回しになる。特別望んだわけじゃないけど、神様のプレゼントみたいに周ちゃんが現れた。元夫は、酒乱。アル中かと思ったくらいだ。散々、あっちこっちで揉めては、子どもみたいにベッドへ潜るのを何度見たのだろう。出会った時から別れるまで、ずっと酒、酒、酒。前とは想像できないような今の暮らしに「えー?一緒に飲めないって辛くない?」って人に聞かれることもあるけれど、酒でのことは、本当に酷いから。ゾンビと酒、どっちがいいって聞かれたら、間違いなくゾンビを選ぶ。

夜に携帯を開いたら、インスタで見たくないものを見ちゃって、ちょっと落ち込んだりした。なんか、別に大したことじゃないんだけど、気に触る人っている。そういう人を説明するときに「悪い人じゃないんだけど、。」って心が何回もひつこく言ってくるけれど、多分、きっと、私にとっては悪い人なんだろう。そうゆうことがあったからなのだ。けど、ああ、嫌。この思考は気持ち悪い。そう思って止めた。

咄嗟に星野概念さんが勧めてた河合隼雄さんの本を開く。「それは、うずいていることを意味してる。」って書いてある。嫌な気持ちを広げてみると、そこには羨ましいみたいな気持ちが詰まってることが多いのだそう。だけど、その羨ましいの実態を暴こうと試みると、本当のところ、なにかがあるだけ。それが苦しいから、手っ取り早く「羨ましい」を使ってみるのだという話だった。まさに、フロイトの防衛機制みたいなことだ。

そうそう、私、うずいていた。じゃあ、その人の何に?考えてもわからない。だけどさ、別に、わざわざこの世界に、自ら嫌いなものを増やすことなんて必要ないよね。今持ってる嫌いなものだけできっといいはず。本ではそれを解明することがよいと書いてあった。うーん。難しい。解明できないからモヤつくのではないか。

だけど、嫌いなものは自分の中にあるんだって思うと、結構楽になる。誰かを嫌わないで済むし、その人は関係ないと知れば、ただ関わらなければいいだけだ。それに、案外、そんな風に放っておくと、忘れたりもする。だから、結局、自分の答えは自分の中にあるんだと思う。

夕飯を食べながらプラダを着た悪魔を見た。映像、かわいかったな。どうしてあの映画があんなに流行ったのか。きっと女の人がバリバリ働いて成功を手に入れてっていう時代だったのかもしれない。だけど、それと引き換えに失うものもあるし、一番に、本当にこれでいいの?みたいに、男が必死になって手に入れたものを同じように手に入れてみたら、案外つまらなかったって話なんじゃないかな。

そもそも、生物として違い過ぎる男と女だけど、性差は個人差の大きなカテゴリーみたいなもので、そうただのカテゴリーだと思えば、きっとうずかなくなる。おっぱいは母乳を出すためだけにあるんじゃなくて、可愛い下着を身につけるためだと私は思う。みたいに、それぞれに意味がある程度のものやことだ。隣の芝生は別に青く見えるだけ。あれ、何を考えてたんだっけ。結局、そんな程度の話。

今日こそ早く寝よう。