朝6時半に梃子を膝に乗せて、車で周ちゃんを駅まで送った。今日から3日間の大阪出張。そのあとは、直ぐにシンガポール。最近、周ちゃんの一言に腹が立つ。その度に、元夫を思い出してしまう。まさか戻りたいなんて思う訳でも、今でも好きだなんて思う訳でもないけれど、あの人ならこんなちっちゃいこと言わないし、絶対にしない。って、思ってしまう自分がいる。正直、うざい。どうしてこんな気持ちになるのかわからないけど、そうやって元夫が日々私の中でいい男みたいな顔をしてやってくる。
そもそも、周ちゃんの態度に腹が立つのは、私が周ちゃんへの態度が悪いからだ。私の口の悪さや身勝手な行動に比べたら、周ちゃんのなんて可愛いもんだ。別に庇うわけじゃなくて、どう見たって私が悪い。
もし、20代で、いや30代だったとしても、周ちゃんとは絶対に結婚しなかったと思う。今じゃなきゃ結婚しなかった。こんなに素敵な人はいないって思うけれど、私が好む男じゃなかった。真面目で絵に描いたような、普通で退屈でどこにでもいそうな、かっこよくて背が高くて、仕事ができて、私にとってはとびきり冴えない男だった。元夫と比べ物にならないくらいに平坦でまっさらで安全な男。傷一つない、SEXだって十分過ぎるくらいに上手い。
一昨日も聞いた気がする。「私のこと好き?」これは、もしかしたら自分への問いなんだろうか、とも思う。結婚をすると、どういうわけか、鳥籠の中の鳥のような気持ちになる。ここからは二度と出てはいけないんだよって。そんな事、誰も言ってないのに、ついついそうだと信じ切ってしまう。
だからだろうか、余計に好きがどこにあるのかわからなくなっていく。というか、好きじゃなきゃいけないような気になって、それが少し、苦しくなる。いや、罪悪感のような、間違えた今日を選んでしまったような後ろめたさだろうか。
正直、好きとか嫌いなんて、歳をとればとるほどにどうでもいいことだ。家族でも友達でも、好きか嫌いかじゃなくて、大切かどうかの方がずっと大事。それに、大人になると、いちいち好きとか嫌いに振り回されてるほど暇じゃない。周ちゃんに想うこと、今日も一緒に生きてくれてありがとう。巷に転がってるようなありふれた言葉だけど、今のところ、これがしっくりときてる。
実習先が全く決まらなくて、鬱々としてた先月。もうダメだ、もう嫌だと、朝も夜も周ちゃんに話を聞いてもらってたいつかの夜に、私、毎月、まつ毛パーマして、ネイルして、美容院行って、週末は友達と話題の店で食事して、好きな服を買って、残業がない仕事して、給料は別にそこそこでもいい、それで、十分に幸せだと思うんだよね。実は、すごく、そういう生活に憧れてるって話したら、周ちゃんはとびきり変な顔をして、曲がった口で「本当に?」って言った。
驚いたけど、周ちゃんには周ちゃんなりの理想の女がいるらしかった。知らなかった。私たち、いい感じですれ違っている。もしかしたら、思っている以上に、ここには恋のような愛があるのだろうか。