寿司

Journal 21.7,2024


とにかく疲れた。くたくたで、もう、心身ともに目一杯なのがわかる。昨日は寝たんだか寝てないんだか、今朝は9時から大学のオンライン試験。すごい大事な試験で、webのシステムがいつもの挙動と違くて、心配になって事務局に問い合わせてしまうくらいにセンシティブな試験だった。卒業がかかってる。

終わって、つか沼、慌てて来週の撮影の絵コンテの続きを終わらせてメールして、ああ、終わった。と、胸を撫で下ろして、そのまま、駅までダッシュして閉店前のお店に新居のカーテンの手配をしに走った。わたし、何でこんなに頑張ってるんだろうか。ぼろぼろで、今、自分がどんな顔でどんな髪型をして、Tシャツのヨレヨレ具合がどれくらい酷いかもわからない。

そんな時に周ちゃんからLINE。 ”高橋くんが隅田川の花火に行かないかって。引っ越した次の日なんだけど。” LINEを一回閉じて、とりあえず全身の力がドバッと抜けた。私と周ちゃんはあまりに違いすぎる。周ちゃんは頭がいいし、色々知ってるけど、実際は、この人スーパーバカだなって思う。いい加減にしてくれと腹が立つくらいに思う。結構有名な会社でディレクターっていう仕事をしてるけど、家では120%、私の方が頭がキレるし、ここが会社ならば完全に経営者と平社員だ。逆を言えば、私たちの職業は逆の方がいいのではないかと思うくらい。

ああ、腹が立つ。どうして私は恐ろしく忙しいのに、こいつはコロナを移してそのまま出張に出かけて能天気に花火とか誘ってるんだろうか。しまいには、カーテンの採寸を間違えたかも?と言い出してる。もう、何も言うことがないし、どんなに酷いことをされようが「わかった、有り難う。」とだけ伝えて、湧き上がる何かを必死に堪えるやつだ。

けど、こないだ周ちゃんに「俺はよしみのお母さんみたいにはなれないから。」って言われて、は?って思った。いや、はっとした。いつ、そんな事言ったんだろうか。いや、言ってたんだろう。なんだか、こいつうざったいこと言うなって腹が立ったけれど、全面的に私が悪いと思う。申し訳なくて可哀想になった。周ちゃんの言うとおりだ。多分、何かを押し付けてるんだろう。そして、それは私にも同じようにきっと押し付けてるものだ。

年末に姉と喧嘩して、こないだ姉と会って、もちろん、姉が大好きだなと思った。だけど、きっと大嫌いでもある。母のことも同じで、大好きで大嫌いだった。私にはできない。子どもの頃に思ったことが今でもきっとずっとあるんだろう。今でもずっときっと憧れてるのだろう。正直、そんな気はないのだけど。アメリカが好きだって言うのも、結局、私が姉が好きなだけだと思う。13歳とか14歳とか、ティーンになる頃に出会ったアメリカに憧れていたんじゃなくて、きっとずっとアメリカに行った姉に憧れてた。だって、私が好きなのは姉が住むLAオンリーなのだし。

大学に入って勉強をするようになってから待望することが失くなってきたように思う。たぶん、予測できるようになって、待望する必要がなくなった。夢を見なくなった。現実に確実に知ってることが増えていくと、できることと、できないこと、あの人やその人が何をやっているのか、どこに向かってるのか、が見えてくる。自分だけのことを考える人、人のことやもっと多くの人のことを考える人、調子がいい人、適当な人、投げやりな人、優しい人もいるし、経験が深い人もいる。大体は年長者は懐が深いけど、そうでもない人もいる。若い人は自分探しで精一杯な印象だけど、それが若い人の仕事だ。むしろ若いうちから大人ぶってる人は誤るように思う、人生を。色々な人がいる。心理学を勉強してるからカテゴライズしやすくなったってわけじゃなくて、きっと自分の感情と他人との関係を分別できるようになったんだと思う。

昼に今だと慌てて書いたPARISのまゆみちゃんへの手紙。なんだかちょっと人生のことを書いた。何ってわけじゃないけど、不意に思ったこと、例えば、人生って簡単に変わるんだよねって。まるで嵐のようにきて去っていくような内容で、ほんの数分で書いた。体調はどう?とか、バカンスはどこへいくの?みたいな話は一切書いてない。だけど、今日もまゆみちゃんは私の心のオアシスだった。PARISには私を責める人は誰もいないと信じてるのだろうか。誰にも言わないこと、私自身にだって言わないようなことを不意に書いて驚くことがある。

7月も、もう終わる。梅雨はいつ始まっていつ終わるんだろう。今年のことは全然知らない。ちょっと疲れすぎてる。今日はとにかく寝よう。