
試験が終わったらイッチーとなちちゃんと3人で北千住の銭湯へ行く予定だったけれど、昨晩の地震のことを考えて、やっぱり今日は早めに帰ろうとなった。なちちゃんは、夜のデートも無くなったし、「じゃあ、私は東大に行ってくる。」と、それぞれがまたそれぞれの場所へと戻ってゆく感じがした。
2ヶ月前のスクーリングで声をかけてから、二人とは急激に仲が縮まった。あの時も試験が終わってからで、かなりディープな居酒屋で恋話なんかをしていたけれど、二人は、正直、私が今までの人生でまったく触れたことのないタイプの人種だ。
私の人生を後悔してるわけじゃない。だけど、無知は不自由だったのかもしれない。結構な大人になるまで、いつからかわからないけれど、中学受験を終えて、生理もだいぶ慣れてきた頃だろうか、長いこと生きづらいなと、誰に言うことなく黙って黙々と歳を重ねてきたように思う。ようやく自分らしく、というか、好きなように好きな方へ歩きだせるようになったのは30歳ちょい前ぐらいで、そこからは馬鹿みたいに生きた。
私が右往左往と道なき道を彷徨っていたとき、彼女たちは一体どこで何をしてたんだろうか。正直、羨ましいなと思った。それに、なんだか考えれば考えるほどに惨めにさえ感じた。
ここ数年で読書デビューしたような私が、彼女たちと、同じ土俵で同じように次の進学を目指していいのだろうか。2人が1回でわかるところを、私は20回、、30回やってようやく少し理解できるようなものだ。それなのに、こんな私でも研究なんてできるのだろうか。
講義の合間に先生に声をかけると、色々を丁寧に聞いて、たくさんを教えてくれた。なんだかちょっと写真に似てる気がした。写真家になるにはどうしたらいいのかわからない。どうやってそれで食べて行ったらいいんだろう。なんだか、写真を始めたときと同じ気持ちとゆうか、あの時の不安や戸惑いに似てる。
先生は、わからないことはとてもいいことで、わからないことを続けて、わかるになってくる。そうやってあなただけの答えが見つかるから、頑張ってください。それから、と、付け加えて、私が興味のあること、写真や記憶のことについて、ヒントをくれた。
「音象徴仮説について調べてみると、何かわかるかもしれません。」
先生はオノマトペの研究をしてる。先生の論文をいくつかネットで拾ってきて読み漁ったけど、面白かった。形にならないけど、ここにはしっかりと感じることができるものがあること。それは、先生の研究してるオノマトペの一つだ。
正直、全然わからないことだらけだ。だけど、たぶん、今写真を撮ってるのと同じで、ただ、ひたすら歩き続けていれば、きっと何処かへ行き着くはず。