新年会

Journal 02.1,2025


今日は友人らと新年会。今むちゃんは病欠。新年会だっていうのに、喉だか鼻だかが、調子悪くて、たらちゃんいるし、やめておくって。みんなで手巻きを頬張って、日本酒飲んで、なんなら夜まで呑んでも、、なんて思ったけど、大晦日からの睡眠不足を考えると、今日はそこそこでよかったのかもしれない。なんだかすごく疲れてる。昨晩は私の歯軋りと食いしばりがすごかったって周ちゃんが言ってた。

けど、そりゃそうだよ。ずっと周ちゃんとの仲も微妙だし、年末年始の集まりでバタバタとしたせいで、悲しくも年内の終わらせる予定のToDoをしっかりと一緒に持ち越したのだから。頭の中でリフレインしてる “やばい、、” は、悲しくも、ずっとなり続けてる。

駅までみんなを送って、急いで帰ろう。とも思ったけれど、駅前のモスで周ちゃんとコーヒーを飲むことにした。別に何ってわけじゃないけど、ただ、一緒に座って珈琲が飲みたい気分だったし、周ちゃんも同じことを考えてるようだった。

それに、なんだか嬉しかった。友達も結婚して子どもを産んだが、私もまた新しい家族を持った。それぞれにそれぞれの生き方ではあるけれど、別々の異なる家族が顔を合わせて食事をするっていうのは、面白い。うちの家族がどんな家族なのか、普段では見えないことが見えるようで嬉しかった。周ちゃんもたぶん、同じことを感じていたのかもしれない。

むすっとしてたここ数日の顔は、穏やかだったし、今が好きだって顔をしてた。私も同じくして。二人で話したことはどうでもいいこと。心理学の院試について、東北大学の人が書いてるブログを見かけたのだけど、所謂、超頭いい人たちも平気で落とされる位に狭き門なんだって!それで、そもそも、臨床心理の院のカリキュラムがやばくて、、みたいな、いつも通りの話をした。

だからってなんだって話だ。夕飯はまた少しだけお酒を飲んだ。少しだけ、デスクに向かってから寝た。今年は時間がないって言わない。だって、物理的に考えても足りないんだもの。だから言わない。それよりも上手くやる方法を考えよう。

全てが手にいれられないことはわかってる。だけど、失いたくないものや大切にしたいもの、諦めきれないことがある。わからない、どうしようばかり続けてたって仕方がないし、誰かのせいにしたって仕方がない。