昨晩、はあまり寝れなかった。仕事のことで色々と考えたり思い出してるうちに眠りについたのが夜中。だけど、周ちゃんが出張のに支度をし始めた頃にはしっかりと目が覚めていた。日がまたぐ少し前に渉さんにLINEした。私のだいすきな友人の一人で、彼もフォトグラファーとして食べてる。渉さんが言うことは合ってる。昔は酔っ払うと口が悪くなったりしたけど、合ってる。いつだって。
「そんなに思い詰めるぐらいの仕事なら、もうこれ以上やらなくていいと思うよ。」時間は朝の9時。コーヒーを啜りながら携帯から聞こえてくる渉さんの声を聞いた。撮影の後に家で泣いただの、今日もずっと昨晩から寝れないだのと話したことに、渉さんの答えはやっぱりシンプルだった。
前もそうだった。夫が暴れるっていつもの通りふざけて話したら、「よしみさん、夫婦のことはよくわからないけど、それはよくないことだから考えた方がいい」って、真面目な顔して言ってくれたのを覚えてる。松陰神社の大吉だった。二十歳ぶりに行ったけど、店はあの時と1mmも変わってなかった。赤と黒の椅子、蛍光色のピンクやグリーンで書かれたメニュー。
あの時も私は永遠に我慢してた。本当に嫌になる。私が我慢すれば世界が少しでも上手く回ると妄想してしまう癖がある。嫌な癖だ。けど、結果、こんな風にどうしようもなくなって、今日も誰かに助けてもらった。
色々なものが私の中でもつれすぎてる。大学のこともこれからのことも、仕事に写真。「渉さん。あのね、ひとつだけいい?ちょっと変なこと聞くけど、写真ってどうやって撮るんだっけ。なんかわからなくなっちゃった。」って聞くと、
「撮ってたらわかるんじゃない。」って。
こないだ湖に行った時に、久しぶりにフィルムカメラで1枚だけ写真を撮った。すごく気持ちがよかった。ちゃんと撮れてるのかわからないけど、シャッターの軽い音が身体に触れる感覚が、世界と少しズレるような感覚があった。久しぶりに、どれぐらいぶりだろうか、写真な気がした。
なんだか、もう料理じゃなくてもいい気がしてる。もちろん、ずっと料理が好きだ。子どもの頃から、今だって、母と料理の話をしだすと楽しくて仕方がないし、母からLINEに送られてくるヘタクソな料理写真でさえ大好きだ。けど、昔みたいに人を撮ったっていい。風景でも街でも、家でも、なんでも考えないで撮ってもいいのかもしれない。
もう嫌だ。本当は我慢なんてしたくない。