大学の卒業式。いっちーと話したことは、私の心を確実に不安にさせた。麦酒3杯はそこから気持ちよく逃避させてくれていたはずだったのに、酔いが冷める頃には重くのしかかり、全身が居心地が悪い何かが流れてるみたいに感じた。
いつものように参考書を持ちベッドに入ったけれど、すぐに逃げるように寝た。
だけど、いっちーも同じように感じてると思う。誰かが傷つけられていたり、貶められている姿を見ると、どうしてそうなってしまったんだろうと気になる。時に、まるで自分のことのように聞こえて放っておけなくなるし、悪い人だとしても、その人がどうしてそうなってしまったのか気になる。虐待された、した、自殺した、なんだかんだといった心の病を患ったり、患った人に傷つけられてしまった人々のことを、ただの凶悪な事件だったね、では済ませられない。
今どんな気持ちで、どこでどう過ごしているのか、どうしてそうなってしまったのか、そこは暗くて冷たくて、苦しくないか。温かい場所へどうにか連れていってあげられないものか。今もひとりぼっちでいないか、その時に誰かいなかったのか。家族は、いや、社会は、いや法律では助けてあげられなかったのか。どうして、どうしてなんだろうか。
「また、そんなこと調べて。」と、周ちゃんは私のこの癖について、わざわざ収集してるとさえ言う。確かに、世の中は経済でも政治でも、さまざまな出来事が情報がある筈なのに、上手にそこを抽出してくるのかもしれない。もちろん、無意識で。
「どうしてなんだろうね。気になって仕方がないんだよね。」「私もだよ。」ビールをおかわりしながら沢山の話をした。この2年間、必死に勉強してよかったと思った。頑張ったご褒美だと思う。難しい心の話を、まだまだな知識の中で沢山話した。周ちゃんにも、友人にも、話せるような内容じゃない。気持ちが良かった。大学に入る前のお馬鹿な私だったら、あー上手くいえない!で済ませていたことを、すいすいと上手に話せた。
今日これなかったナチにも会いたかった。できれば3人で乾杯したかった。ナチは、来年に東大の研究室へ行くと言ってたけど、先生の移動で別の研究室に行くことにしたと言ってた。いっちーは養護学校の事もあるから、次の進学は数年後にするかもと言ってた。二人とはまだ出会ったばかりだけど、戦友だなと思う。それに、心から尊敬してるし、応援したい。
私はといえば、とりあえず走り続けようと思う。もちろん、また私を邪魔しにやってくるだろうけれど、それと私が走りたいのは別の話だ。邪魔をされようが走るものは走る。走りたいのだ。