Journal 20.4,2025

朝から苛々が止まらない。キッチンで皿が落ちて、見事に粉々に割れた。あちこちに広がったガラスを掃除しながら、どうせ割れるのなら、投げつけてやりたいと思った。

家を作ること。安全地帯を作ることは、動物が本能で行うことだと思う。例えば、愛着の問題では、幼少期に母親が安全な場所を信頼関係を作るからこそ、そこから幼児が世界へとの交流を持てる条件となる。それが叶わなければ、母親だけではなく、世界の全てに、それは大人になっても同じくして不信感を持ち、生きなくてはいけない。いつもどこにいても心配を抱えながら。

幸いというか、私と母親の関係は良好だったと思う。思春期に関しては、大変だったけれど、それは誰しもが持ってるものであって、幼少期については順調な愛着を育んでいる。だから、今もこうして、新しい家を持ち、巣作りのように、ここを安全な場所にしようと努めてきたのかもしれない。そんな3年間だった。

最近は特に周ちゃんへの安定した愛情と同時にまた別の鬱陶しさを感じてる。以前のような一人でいたかったのにっていう後悔じゃなくて、私の人生を生きたいと思い始めた。「私たちは、」という主語を、「私は、」にしたい。周ちゃんにはまだいってないけど、少し落ち着いたら、また一人旅をはじめようと決めた。どこでもいつでも一緒にはむり。そういうのは、楽だし都合がいいけれど、私をだめにするし、家族という場所が嫌いになってしまうから。