5月1日

Journal 02.5,2025


昨日の撮影、楽しかったな。朝、いつものように被写体のことを調べていた時に、2年前にミコト屋で会った、しおりさんのことを思い出した。「あ、会いたい。」と思ったけど、気持ちを抑えた。一度、挨拶をした程度でいきなり連絡するなんて、気持ち悪いよね。

心理学を学んでからの私は世界に怯えてばかりだ。苦手だった勉強をするようになり、臨床の現場に少しでも出入りするようになってから思うことは、とにかく辛い。

勉強は私にとって、知的好奇心が満たされる、だけでは済まなかった。触れたり感じたりすることが、世界に出会うことの最前線だった私にとって、果てしなく続く文字の山との格闘することも、言語を介して硬いコミュニケーションをすることも、いつもぴったりとはまることができなかった。もしかしたら周ちゃんへの憧れもあったのかもしれない。

数ヶ月前にりょーこちゃんに会った日から、色々が変わりはじめてる。春の訪れと一緒に、自然とそうなったのかと言えばそうかもしれないし、もう無理だったからりょーこちゃんに会ったのかもしれない。因果関係なんてものは、世界にあってないものだと、心理で統計を勉強しはじめてから強く感じてる、個人的な解釈で。ただ、りょーこちゃんはいつもそういう時に立ってる。たぶん「よしみちゃん、こっちだよ。」って感じで、人生の分かれ道みたいな場所に。

しおりさんと話したいなって思ったのも同じだと思う。

支度をして撮影現場へ行くと、すらっとした女性が立っているのが見えた。「しおりさん?」驚いた。あれ、なんで?え、そうなんだ。今日の撮影はしおりさんが記事を書くとのことだった。

撮影が終わってから、編集の成田さんと3人でフグレンでアイスのカフェラテを飲んだ。成田さんは久しぶりだったけれど、いつものように恋の話をしていた。成田さんは、私が大学へ行き始めてから、少し離れた写真の世界にいた人のひとりだ。まるで前に時間が戻ったかのように、恋の話を続けた。安心するなんて言ったら申し訳ないけど、思い切りに誰かを好きになったり、悲しんだり、その姿が今日もここにあることにほっとした。そして、やっぱり彼のそういう生き方が大好きだなと今日も思った。

成田さんが次の現場へ行ってから、しおりさんと陽がくれるまで話した。何時間だろう。3時間? 何を話そうか、というよりも、ずっと一緒にいたいなと思った。お互いのことも少し話したけれど、それよりもただ一緒にいてみたかった。

しおりさんの腕に入っているタトゥー。姉のタトゥーみたい。英語がつらつらと皮膚の上を不安定に並んでる。ありきたりの質問をした。「それ、なんて入ってるんですか?」「好きな日本語の詩があって、それを友人にお願いして英訳してもらったんです。著者の名前忘れちゃいました。」細くて小さな文字たちは、私の左腕にあるタトゥーみたいに案外気ままなもので、少し嬉しくなった。

もちろん、全然違うと思うけれど、、少し似ているのかもしれないなと思う。何かを取り入れたい。自分の身体すべてを使って、噛み砕いてみたい。そうやって世界を知っていこうとする姿勢みたいなものが?言葉では上手く言えない、いや、言わなくていい。昼に読んだプレイセラピーの本で心理学者の先生も言ってた。言葉に出来ないものを無理にしようとしてこなかった世界がそこにもあったけれど、暗黙の了解のようでありつつも、反省があったと。勿論、私はそこに付箋をし、勇気として棚にしまった。

そうだ。水の話もよかった。しおりさんが野湯探しが趣味だってところから、私も風呂が好きだって話すと、「水が好きなんですね。」みたいなことをしおりさんが言った。大体はサウナなのか、とか、銭湯なのかって話で終わるのに、水の話を聞かれたのは初めてだった。

カット数は全然撮ってないけど、撮れた日だった。