
慌てふためいていて、何から初めていいのかわからない。
明日からL.A。急いでチケットを取った。
しばらくお家を開ける夫のために、鍋を二つ並べてカレーを作り始める。どっかにいった色々を両手でかき集めるように丁寧に作ろうとするけど気持ちがバラバラだ。作り終わったらまたスーパーへ走る。今日が早く終わって欲しい。

慌てふためいていて、何から初めていいのかわからない。
明日からL.A。急いでチケットを取った。
しばらくお家を開ける夫のために、鍋を二つ並べてカレーを作り始める。どっかにいった色々を両手でかき集めるように丁寧に作ろうとするけど気持ちがバラバラだ。作り終わったらまたスーパーへ走る。今日が早く終わって欲しい。

明るい方へ。美しい方へ。
考えてもわからない事はもう考えるのをやめよう。自分が受け入れられない現実が誰のものかよくわからなくなってるだけ、きっとそのうちにわかるはず。

目黒通りにあるぺろり。
今の家の前に住んでた家の近所にある。夫が朝まで帰らなかった日によく二人で行った。
いつも同じオーダー。「トマトカレーパクチートッピングのご飯少なめ」
席に着くと、エスプレッソサイズの小さなマグに入ったアイスコーヒーと水が注がれたグラスにシルバーのスプーンが入って出てくる。そうこうしているうちに、溢れんばかりのルーと、トッピングがたっぷりのったカレーが到着。お皿の中央に福神漬をのせて何口か食べる。美味しい。次にソースをぐるりとかけたら、あとはもうぺろりと食べきる。
今日もあっという間にご馳走様。

最近、仕事の合間の昼食は丼か饂飩。

我が家では、カレーは週1度。冬の時期にはパイタンベースの辛鍋を週1度。月1か隔月で目黒の大鳥神社そばにある麺厨房にお父さんの酔拳と餃子と日本一美味しい瓶ビールを、三茶の陳麻飯で陳麻飯の飯なしと担々麺の汁を汁だくだくにした丼を食べにゆく。こうやって家でも外でも定期的に食べるものがあって、同じことの繰り返しなのに、だけど、だけどもとても楽しいのです。


元気な日も、食欲の無い日も、忙しい日も、嬉しい日も、寒くても暑くても、カレーっていつだって食べたくなるからすごい。最近の流行りは高山なおみさんとケンタローさんのレシピを1/2で割って足して掛けたものが気に入ってる。



時々、料理を作る気が起こらない。冷蔵庫の引き出しを開けてもノーアイデア。とりあえずと思って、野菜やら肉やらを出して切って、鍋へ放り込んでも、心が海の底みたいに静かな日がある。どうしてかな。
「撮れない日があってもいい、そういう日もある。」ずっと前に、師匠の笹原さんがそう言っていたのを今でも手帳に記してある。いい言葉だなって感動した。
朝起きて、玉葱を薄くスライスしてストウブ鍋でごく弱火でゆっくりと炒める。少しずつねっとりとしていく玉葱がとても綺麗。無理に何かやろうってしなくてもいい日だって、たまにはある。

自分なりのカレーの流行りがあって、今はシナモンの風が吹いています。それこそどういう風の吹き回しだ!なんて風に、きっとまた天気は変わる筈。今はとにかくシナモン。シナモンを入れると、風味に豊かになって、なんだかすごく懐のあるお父さんみたいなカレーになる。

子供の頃に好きだったは、母が粉を炒って作るカレーが私のカレーだった。私のカレーライフにイナズマが走ったのは今のところ人生に3度。1度目はタイのどこだかわからない町のバス停を降りた所で食べたやたらめったら辛いカレー。2度目は桜ヶ丘で小さくやっていた頃のWIRED DINERのチキンティカマサラ。3度目はインドの北部の定食屋さんでわんこ蕎麦みたいに食べたカレー。ケンタロウさんの”小林カレー”は、そういうカレー人生みたいのをふんだんに感じるから料理っぽくて大好きな本。

歳を重ねて、自分の変化に怖くなる事が増えた。出来ない事を不安の所為にしたり、誰かや社会の言う事についつい耳を傾けてしまったり。何だか、とても居心地が悪い。
人は一人で生きていく生き物なんだろうなって思う。もっともっときちんと自分の足で立てるようになろう。


人にやった事は自分に返ってくる。
相当、私の気持ちをぶつけてしまったのかなって。夫を傷つけてしまったんだなって悲しくなった。

給食みたいなカレー。たまにはいい。


今年はとにかくがむしゃらに頑張ろう。
悩んでも仕方ない。やるしかない。





それが美しいか、美しくないかで考えたら、私がそれをやる事がどうゆう意味になるのか見えてくると思った。不安に勝つ努力をしよう。