
いつもなら帰宅して風呂に入ったあとはビールだけど、今日はサイダーを飲んだ。そもそも炭酸を飲むのだって久しぶりだ。もちろん、魚も。お粥や経口飲料以外のものは、ここ1週間口にしてない。
帰宅してとりあえず目についた鯖缶。無性に食べたくなって油をひいたフライパンに身を乗せて、蓋をして、少し焼き目がついたところでホールトマトの缶詰を入れてまた蓋をして放置。しばらくして、あ、やばいかもって、焼けた音がジリジリしてきたら出来上がり。少し焦げたトマトと、勝手に出来上がったとろとろのトマトソース。
熱々は胃に良くないから、できるだけゆっくりと、だけど夢中になって口に運んだ。こんなに食べることに真剣になったのはどれくらいぶりだろう。まるで無人島から帰ったばかりみたいな気分だ。皿の中のすべてはあまりに鮮やかで目一杯で瑞々しくて、それと同時進行に私の中に入っていく食物がそのライブ感になんだかとても感動した。それから何も入ってない感じのラーメンを作って、スープにカボスを並べて食べたけど、案の定、強い腹痛に襲われて横になった。その後はトイレの往復を重ねて、そのまま気を失って寝ていた。
今日の現場は久しぶりの花沢さんと、ミカちゃん、編集の成田さんだった。なんて私のお腹に優しいメンバーだろう。ミカちゃんとはかかんのMVみたいなものを撮影して以来の現場だし、花沢さんとだってキリンの仕事以来。こういう仕事をしていると出会ってもう2度と会わないような人にも出会う。だけど、会って別れてまた会ってみたいな人もいる。
それぞれの人生がそれぞれに交差して、またそれぞれになっていく時間に出会う度にそれは飽きることなく純粋にまっさらな気分で嬉しくなる。私が死ぬときに残るのは、もしかしたら写真ではなくて、こういう時間なんじゃないかと思うくらいに。
ミカちゃんは京都へ行くかもしれないそうで、次に会う時はどんな形で会うのか全く想像できない。そんなミカちゃんの未来は、まるで自分の未来を想像するかのようにわくわくする。花沢さんとだって、成田さんとだってそうだ。花沢さんとの出会いは料理家の先生が開いたキムチ作りで、毎年キムチを漬けているどこかの年に子供を産み、みんなでキムチを漬けてる横で転がっている年もあった。今ではもうその子は3歳で、花沢さんが旦那と喧嘩をすると「やめようよ。」と止めてくれるらしい。そして、成田さんと出会ったのはまだ成田さんが大学生の時だったのに、今では副編集長となった。それに、最近じゃモテ期到来で大体はいつもふたりで恋の話をしてる。少し前に終わった恋の話はまだ聞いてないけど、次の始まってもない恋に勝手に胸をときめかせている。
誰かの人生は誰かのもの。だけど、人生は私のものばかりを見てたって面白くない。人の人生と自分のそれがくっついたり離れたりして、明るかったり温かい気持ちになったり、時に摩擦された皮膚が痛かったりしたとしても、どちらにせよ、その光景はまるで映画のワンシーンのように美しくて、やっぱりそういう時間が愛おしい。




