「フォトグラファーやりながら、大学生ってやばくない?」
なおきさんに聞いた。え?って顔をしてる。そして、「全然っ」て。むしろいいなと思うと言ってた。そうなんだ。いいんだ。ひとり勝手に疎外されてしまったような気になっていただけなんだろうか。
待ち合わせは17時。神楽坂で清水さんとの打ち合わせが大分延びて30分遅刻。すぐ側にある西村へ入って、フルーツサンドと私はホットティ、なおきさんはカフェオレを頼んで話していた。
なおきさんは、文章上手いよね。って話をすると、驚いた目をしてた。「CINRAのみんな、誰も言ってくれないですよ。」って。確かに、人って、日々の中で見慣れてくることは口にしなくなる。それは、ある意味、もう当たり前になってしまったってことで、みんながそう見てるってことかもしれないけれど、一方で人はいつだって、今日、愛されたいと思ってしまう生き物だ。だから「私のこと好き?」そんな風に何度も何度も同じことを聞いてしまうんじゃないか。けど、そうやって限りなく、また初めてのように聞いてしまう方が自然な気もする。今日がいつまでも続くなんてことはないのだし。だって、今日って、あっという間に消えちゃうものだから。
みんなの話を聞いていたからだけじゃなくて、SNSでナオキさんの文章を目にした時に、ああ、いいなって思うことが何度もあった。「上手いとか下手とかじゃなくて、いい。」と私の文章を褒めてくれる編集のリリさんの言葉を思い出す。勿論、ナオキさんは私とは雲泥の差の上手さなのだけど、プロだし。そういう事じゃなくて、胸の奥にある何かをぎゅっと掴まれるような、、そんな感じのもの。
結局、あっという間に1時間ちょっとだらだらと話をして麗郷へ入った。少し遅れて村上さん、渉さんがきた。いつものメンバー。今日は西丸さんは来れないんだそう。会いたかったな。
それから、「デートしたいよね。」って話をしばらくした。なんでそんな話になったんだろう。たぶん、独身の村上さんに最近、好きな子いないの?って聞いたからだろうか。村上さんの答えは最高で、「僕はやっぱりギャルが好きなんですよね。」って。村上さんの時々言う言葉は最高なことはもう知ってる。前は、突然、僕は鬱かもしれないって言い出したし、うちで撮影してた時に、たまたま泊まってた美人な家庭的な友人を紹介したら、後に「僕、結構、バリバリ働いてる女の子がいい」って。なんだろう、毎回、拍子抜けして、だけど、なんだか納得してしまう。何を隠そう、私もギャルが好きだ。なんなら、ギャル関係の仕事がしたいと思ってるぐらいに。最近、疲れて何も考えたくない時に見るのは、youtuberのかじえりだし。だって、ギャルはいいよ。可愛いいもの。なんだか、それって平和の象徴みたいに見えるんだもの。
帰りに歩きながら渉さんのところの双子ちゃんの写真を見せてもらった。「もっと見せて。」ああ、本当に渋谷が好きだし、この街の夜が最高に好き、そして友人らも大好きだ。この時間が一生続いたらいいのに。渋谷のぼこぼこした道路を歩きながら思った。
そして、そう。結局、デートの話は、みんな、デートがしたい!ということでまとまった。村上さんは、既婚者の私たちに刺激が欲しいのか?と何度も聞いてきたけど、全員口を揃えて、「そうじゃない。」と、きっぱり。全然違うよ。刺激なんて別に、家族のいる毎日だって刺激的だ。そうじゃなくて、デートがしたいのだ。
いつもとは違うランジェリーを纏って、お風呂も念入りに入って、ちがう。別にセックスしたい訳じゃない。ただ、特別な服をきて、そして、そして、。なんだろう、何があるかわからない夜を、残り30分で終わる終電をわざと逃して、東京の夜の中でずっと終わらないような夜を過ごしたいだけなのだ。
カテゴリー: Journal
夕食

試験が終わると、抜け殻みたいになる。夕方に武蔵境の物件を急遽見に行った。駐車場付きの一軒家。周ちゃんは気に入ってるみたいだったけど、わたしは、ぜんぜんだった。なんか、いい時は、いいって思うけど、そうじゃない時は、頭だけが動いてる感じ。駅からは何分とか、自転車置き場はとか。大事だけど、どうでもいいこと。
5月5日
今日は、ヘレナとやっちゃんの誕生日で、心理統計の試験日。朝から気分は落ち込んでる。あれだけ勉強したのに、ぜんぜんやる気がしない。80点取れたらいい。
好きとか嫌いに余りに振り回されてしまうように思う。もう、いいやとなると、まったくだめ。聞こえない、見えない、みたいにシャットダウンしてしまう。気持ちは頑張りたい筈なんだけど、頭ではわかってるんだけど、。
試験が終わったのは17時半。朝5時半から勉強を始めて授業をだらだら受けて、試験。もうこうゆうのにも慣れた。人間の慣れってすごい。10時間以上、普通にさらさらと勉強出来るようになった。ただ、気分がだだ落ちで、スランプ中なだけ。
聞きたいことがあって話しかけた子が、前に住んでいた池尻大橋のマンションのすぐそばに住んでるっていう編集者の女の子だった。ジャンルは違うけど、近い人。試験が終わると、さっき交換したばかりのLINEにメッセージが入った。「北千住でのんでる。」
周ちゃんに、少しだけ遅くなる、とLINEして、来た電車に飛び乗った。飲み屋街のずっと奥にある中華屋。こういう店、久しぶり。前の夫とは、この世の果てみたいな店の暖簾をよく、くぐった。
生温い麦酒と、季節外れのモロキュウ。中華屋だけど、ハムカツとアジフライ。どちらも真っ黒で、オススメの餃子は昨日から売切れなんだそう。愛想のいい中国人のおばちゃんと常連のオジサン。テレビはちびまる子ちゃんが流れて、丸い椅子はガタガタいって、今にも潰れてしまいそう。壁に書かれた294円均一とゆう紙。全部が嘘みたいな、夢みたいな、悪い冗談みたいな、懐かしい場所。
少し世代が若い娘たちと、ひとしきり話して、予定よりも2時間すぎて帰宅。最後に、同じ大学の博士号?だというおじさんが来た。虐待児の研究をしているのだそう。なんだろう。何かを追い求めるのはすごいと思うし、その姿勢に尊敬しかない。いや。ちょっと、わからなかった。
もう、そこから帰れなくなっちゃったんじゃないか。ハゲ散らかしたヘアーのことじゃない。人生って、正しいことを正しいと、正しいからとやり続けていくことが本当に正しいんだろうか、って。もちろん、人のため、いや、違う。きっとどうしても、自分の中で生きていく上で納得いかないことがあるんだろう。そうじゃないと、そこまで執着もって追い求めることなんてできないと思う。だけど、ちょっと寂しそうな気がした。
幸せってなんだっけ。帰りの電車で少し、さびしくなった。
5月4日
大学2日目。春に会ったスクーリングの子たちと実習について話をした。
そうか、みんなすごいな。同じタイミングで入った子たちと話せて嬉しかったけど、なんか、とびきり落ち込んだ気もする。わたし、なんで勉強してるんだっけ。話した二人は自分の目指す道があって、その為に学んでるし、だから実習にいく。
私は、臨床の現場でなにを学ぶんだろう。写真みたいに、ただ好きだけでは、通用しない世界だ。どうしよう。
うどのかき揚げ

好きな服きて、好きな男とデートだけして生きたい。授業が終わったのは、18時前。常磐線、電車が遅れてる。日暮里で山手線に乗り換え。え、電車動いてないの?
なんなんだろう。そういえば、今朝、銀歯が抜けたな。まぁ、最悪〜と言うまでもないけど、このぎゅうぎゅうの満員電車。どうにかして欲しい。
撮影に比べたら、大した疲れじゃないんだけど、なんとも気分が悪い。radikoでも聞こう。あ、オザケンとボーズが話してる。なんか、むちゃむちゃだな。なんかさ、いいよね。今日は朝から晩まで、カチカチの活字と統計。悪く無いけど、現実はむちゃむちゃなんだよ。
テキトーでいいんだよな。今日が幸せかどうか、恋してるかどうか、胸があがったりさがったりしてるかどうか、それぐらい、それだけをきちんとやってたら、パーフェクトな気がする。
ひとり晩酌

結局、気づけばPM16時。買い物に行くのはやめた。サーモンが食べたい気分だったけれど、鍋に春キャベツと冷凍庫にあったソーセージ、少し古くなった玉葱を入れて煮込み始めた。テコは、周ちゃんが出張に出てからずっと寂しがってる。最初の数日は遊ばなかったくらいだ。毎日、飄々と過ごす私と180度ちがう。私とテコは似てると思っていたけど、そんなこともないみたいだった。
ワイン、買っておけば良かったな。酒を呑まない夫との生活では、お酒はいつも後回しになる。特別望んだわけじゃないけど、神様のプレゼントみたいに周ちゃんが現れた。元夫は、酒乱。アル中かと思ったくらいだ。散々、あっちこっちで揉めては、子どもみたいにベッドへ潜るのを何度見たのだろう。出会った時から別れるまで、ずっと酒、酒、酒。前とは想像できないような今の暮らしに「えー?一緒に飲めないって辛くない?」って人に聞かれることもあるけれど、酒でのことは、本当に酷いから。ゾンビと酒、どっちがいいって聞かれたら、間違いなくゾンビを選ぶ。
夜に携帯を開いたら、インスタで見たくないものを見ちゃって、ちょっと落ち込んだりした。なんか、別に大したことじゃないんだけど、気に触る人っている。そういう人を説明するときに「悪い人じゃないんだけど、。」って心が何回もひつこく言ってくるけれど、多分、きっと、私にとっては悪い人なんだろう。そうゆうことがあったからなのだ。けど、ああ、嫌。この思考は気持ち悪い。そう思って止めた。
咄嗟に星野概念さんが勧めてた河合隼雄さんの本を開く。「それは、うずいていることを意味してる。」って書いてある。嫌な気持ちを広げてみると、そこには羨ましいみたいな気持ちが詰まってることが多いのだそう。だけど、その羨ましいの実態を暴こうと試みると、本当のところ、なにかがあるだけ。それが苦しいから、手っ取り早く「羨ましい」を使ってみるのだという話だった。まさに、フロイトの防衛機制みたいなことだ。
そうそう、私、うずいていた。じゃあ、その人の何に?考えてもわからない。だけどさ、別に、わざわざこの世界に、自ら嫌いなものを増やすことなんて必要ないよね。今持ってる嫌いなものだけできっといいはず。本ではそれを解明することがよいと書いてあった。うーん。難しい。解明できないからモヤつくのではないか。
だけど、嫌いなものは自分の中にあるんだって思うと、結構楽になる。誰かを嫌わないで済むし、その人は関係ないと知れば、ただ関わらなければいいだけだ。それに、案外、そんな風に放っておくと、忘れたりもする。だから、結局、自分の答えは自分の中にあるんだと思う。
夕飯を食べながらプラダを着た悪魔を見た。映像、かわいかったな。どうしてあの映画があんなに流行ったのか。きっと女の人がバリバリ働いて成功を手に入れてっていう時代だったのかもしれない。だけど、それと引き換えに失うものもあるし、一番に、本当にこれでいいの?みたいに、男が必死になって手に入れたものを同じように手に入れてみたら、案外つまらなかったって話なんじゃないかな。
そもそも、生物として違い過ぎる男と女だけど、性差は個人差の大きなカテゴリーみたいなもので、そうただのカテゴリーだと思えば、きっとうずかなくなる。おっぱいは母乳を出すためだけにあるんじゃなくて、可愛い下着を身につけるためだと私は思う。みたいに、それぞれに意味がある程度のものやことだ。隣の芝生は別に青く見えるだけ。あれ、何を考えてたんだっけ。結局、そんな程度の話。
今日こそ早く寝よう。
巻き寿司とピザ

悩みに悩んだ週末。結局、答えはでないまま
プールにも行く気になれなくて、そのまま、いなげやまで車を走らせて、ピザと巻寿司を買ってドラマを見ることにした。
今日はぜんぜんだめだ。朝は久しぶりに35mmのレンズをつけて、桜を撮った。あの時間はまだきっと良かった。なんだろう。色々がいっぱいで、いつもみたいに片っ端から片付ける、みたいなことができない。
話を聞いてもらえるだけでも、愚痴る相手がいて、それをぐちぐちやってるだけでも幸せっていうことなのだというのはわかってる。
周ちゃんに「私のことがすきか?」と聞くと、目をまん丸くして怒っていた。そりゃそうだ。半日もだらだらと、嫁の悩みを聞いてくれる夫なんて、中々いないよね。わかってる。
4月11日
昨晩に車をぶつけたこと?それとも、大学院に行く学費を計算したから?どうしてこんなに落ち込んじゃったんだろう。お金なんて、なくならないでしょ。修理費は1万かなって言われて、「修理しよ」とは言えなかった。あんなに散財してたお金、一体どこへ行ったんだろうか。通帳を見て驚く。減らないと思っていた貯金がごっそりと減っている。車なんて直してる場合じゃない。
よくわからないけど、最近の夢は前の夫が普通にでてきたり、周ちゃんはいなかったり、私は今の私じゃなかったり、何かや誰かにひどい事をされていたり、日々で嫌だなって思っていたことが酷く誇張されて、拡大されて、それ、言い過ぎって自分でも思うくらいだ。だけど、それをしてるのはじぶん。夢の心理学っていうのもあるけど、わたしも同意だな。夢はただの記憶の処理だと思う。あとは、観念みたいなものが浮いてでちゃったもの。スピ信者には申し訳ないけど、特別な意味なんてないよ。ただ、我慢してるってこと。
周ちゃんを好きでいるかどうかだって、わたし軸の謎すぎるバロメーター次第になってる。昔の恋のように、完全に振り切ってるなんてことはない。だからか、余計に辛い。振り切ってくれたらば全部なしになるけれど、どっちつかずでいる。いわゆるグレーゾーン。
周ちゃんは全然いいんだよ。って車のことを言ってくれたけど、なんだろう。実を言うとショックだったけど、そうでもない。そうでもないけど、落ち込んでる。よくわかんない。別に、ガリっとやったくらいだ。ただ、なんか、すごく腹がたってる。あーだめ。
ああ、もう写真とか映像とか、すきなように何も考えないでやりたい。いや、そんな風に考えてる時点でいやだ。頭なんか捨てたらいいよね。全部めんどくさい。
4月10日
朝、ポストを開けると、まゆみちゃんからの数枚にわたる手紙が届いていた。ざおーから、少し長めのLINEが入っていた。未来のちいさな夢について綴ってあった。なんだかすごく私の友人は素敵だ。すごく素敵でいい。そんな事がちいさく胸をときめかせてる。
4月8日

階段を一段ずつ降りるようにダウナーになっていくのは、ホルモンのせい。だから、不安になるのもホルモンのせい。なので、問題ない。こういう日なりの過ごし方っていうのも知ってる。
寝起きの周ちゃんと梃子を連れて車に乗った。「マックでいい?」車を走らせながら聞いた。引っ越そう。そう決めたら決めたで、この街から離れるのが惜しくなる。「今日、満開だよねきっと。」時間は朝の7時半過ぎ。梃子は車が苦手だったけれど、いつしか自分から乗るようになった。
周ちゃんは今日はリモート。珍しい。エッグマックマフィンのセットと、ソーセジマフィンのセットを買って湖まで5分。桜は予想が的中、満開だった。こんなに満開の桜、いつぶりだろう。中目黒に住んでいた時はよく桜を見ていたから、あの時ぶりだろうか。花弁が落ちる前の桜。なんて綺麗なんだろう。
周ちゃんと最近読んだ本の話をした。私のカフェオレはあっという間になくなっていく。「写真、撮りたい。桜の木の前に梃子とたって。」珍しく持ってきたカメラで写真を撮る。ああ、やっぱり写真が好きだ。周ちゃんと散々話して思った。写真はやっぱりミクロなんだ。物事を広く捉えられない人に向いている。フォーカスして撮ることを望んでするんだものそうだよね。
あれがやりたいこれがやりたいなんて思っても、結局、できることなんて限られてる。それに、気持ちがいいことなんて正にそう。この身体で受け止められる分しか味わえないもの。ちっぽけなもんなんだよね。人なんて。壮大な景色なんて必要としてない。
4月2日
人とお酒を飲む回数が減れば減るほどに、その時間は尊くなっていく。平日の夜にシャンパンをボトルで開ける。こんなに贅沢なことってあるだろうか。
朝からバタバタと仕事や勉強を済ませて電車に飛び乗り神楽坂へ。今日は料理家の清水さんと、若名さん、岩越さんとの女子会。女子会、なんていい響きなんだろう。久しく女子会から離れてるわたしにとって、店に入るまえから、口紅をぬってる時から、デートみたいな気分だった。
田舎暮らしをはじめてから、会いたい人や憧れの人、大人と時間を過ごすことが増えた。だらだらと、友人らと部屋で麦酒缶を傾けるのが私にとって何より好きな時間だったのに、どうゆうわけか、友人らとの時間を埋めてくれるのは、出会ったことがない人や世界。
料理の話から恋や愛や出版の話まで、女の話っていうのは壮大で、同じ場所にいながら景色をまるでシーンを変えるように、どたばたと、ぎゅうぎゅうに話は入れ替わる。
店を出たのは22時過ぎ。あっという間に4時間が経っていた。神楽坂の中に立つ清水さんの着物姿。コンパクトカメラで撮りたかったな。タクシーが駆け抜ける先に笑顔で挨拶する姿がすてきだった。
どうゆうわけか、最近楽しい。大人が素敵だなと思うし、世の中は不況なことも十分にわかってるけど、毎日は艶々とうるおってる。
4月1日
昨日は朝一番で銀座。マガハの仕事だった。銀座、マガジンハウス。カードの面と裏みたいな言葉。紙が好き、雑誌が好き、書籍が好きだったけれど、最近、一番に思うことは、ああ、もうこれはオールドメディアなんだってこと。流行りに疎い私でも、肌感覚で感じる。淋しいきもするし、あらがいたいような気持ちにもなる。だけど、最近、すこし、そうゆうことには執着しないわたしになるのもいい気がしてる。
味噌作り

3月15日
今日は4時起き。昨日は3時半だった。ここ数日、また早朝に起きれるようになった。昨晩は遅かったのに早く起きた。スケジュールを詰め込まなくなったら余計に朝早く起きたくなって、余計に勉強も楽しくなった。どれだけ、私がストレスに弱いか。「頑張らなきゃ。」が私を苦しめるっていうのは、ずっとずっと昔から気づいていたこと。期待されるとダメになっちゃう。
それは、私が末っ子で親に大事に育てられてきた証でもある。わかってる。期待に応えなきゃと思えば思うほどに、私の意とは反して私は私をぎゅぅっと強く握りつぶしてしまう。だから、もう私は私に期待しないようにしないといけないのに、どういうわけか、何歳になっても勝手に頑張りだす。
今日は予定が詰まってる。慌ただしく納品を終えても、頭の中が忙しないまま。結局、施設へ写真を撮りにいくこともできなかった。頭の中がぐちゃぐちゃだ。カフェにでも入って作業しようかなとも思ったけれど、銭湯へ向かった。こういう日ほど思考から離れた方がいい。サウナも頑張っちゃうからやめよう。ただ湯に浸かったり出たりした。
石神井公園前に19時30分。ちょうどに皆んながやってきた。編集のリリさんは髪を短くきって、さっぱりとしていて可愛かった。ライターのパリッコさんに会うのは初めて。オンラインでは話していたけど、実際に会うとなると少し緊張した。
お勧めのお店を案内してもらって、最後は魚がうまいという居酒屋へ。リリさんはレモンサワー。パリッコさんはホッピー。私は角ハイ。隣のおじさんも、その先のその後ろにいるカップルもみな酒をよく飲み酒の肴を楽しんでるように見えた。複数の声が自由にごちゃごちゃに交差してる。
私達も何杯もおかわりして、いくつもの肴を頼んだ。糠漬けが出てきた頃だと思う。世代の同じパリッコさんに「20代、30代、40代と生きてきて、段階を経て歳を重ねてきたのに、嫌なことも沢山経験してきたのに、いつかの良い場所に戻ろうとしてしまう自分がいませんか?」って質問をした。先週からずっと考えてることだった。
昔とは違う場所にいることはわかってる。なのに、そこだけが欲しくなることがある。どんなにそれが魅力的だとしても、それは、根のしっかりと生えた綺麗な花のようで、花だけをチョキンと挟みで切るようなことをしたって、すぐに枯れるのはわかってる。根を無理やり引っこ抜こうとしても上手く行く筈などない。あたり一辺の地盤はくずれ、根も切れてしまうだろう。だって、すべては繋がってるから。それだけ、なんて、調子よくいくほど人生はらくじゃない。
「うーん。もう戻りたいとは思わないですかね。」パリッコさんが言った。それから「いまだに昔の、子供の頃だとかにあった嫌なことを、朝起きた時に不意に思い出したりするんですよね。」と付け加えて言った。聞いていいのかな。この話の先を聞きたい。面白いことを話してくれるんだな。私にだって不意にやってくるそれ。だけど、直ぐに日々に消されてしまう。面白いな。ちゃんと自分の中に取っておけるなんて。
前にオンラインで飲んだ時もパリッコさんは面白い事を話していた。リリさんがパリッコさんが好きな理由がわかる気がした。
人って、言葉では説明できないような、その人だけのものに触れた時に、見せてくれたその人に、どういうわけだか敬意を払いたくなる。そうしているうちに、きゅぅっと吸着されてゆくことがある。吸着されてる、酔いながら思った。
リリさんがこないだの施設でのワークショップの話をしてくれた。パリッコさんがトイレへ行ってからも二人で話をした。「あの日は2時間でしたっけ?」リリさんが言った。いつもより1時間以上延長したワークショップで、私は講義だけじゃなくて写真を撮ったせいもあって、脳みそはヘロヘロで最後の方は何を話したのかしっかりと覚えてない。とにかく長かった。だけど、リリさんにとっては2時間。なんだかすごく嬉しかった。それに、ああ、流石と思った。リリさんって子はやっぱりよく見てる。
良くも悪くも、自分の弱い部分をよく見る人は多くない。そう言う人のことを、弱い人とか、泣き虫って名付ける人もいるくらいだ。けど、それって、さまざまな社会から見たものであって、人として見たら弱かろうが強かろうがどちらでもいい筈。誰かと比べたり比べられたりする時に使う言葉だ。それに、弱い部分は誰だって嫌う。見たくないし、投げ捨ててしまいたい。そんな現実に向き合いたくない。だけど、リリさんはよく弱い自分を嫌だという。ああ、向き合ってるんだな。もがき苦しむ姿を何度も何度も見てきて、その度にどんどん強くなる姿を見て、この人は本当に弱くて強い生き物だなと思うことが沢山ある。
だから、あの日のこともきっとよく見てくれていたんだと思った。精神科デイケアに興味がある。そんな風に言ってくれるだけでも嬉しかったのに、本当に施設に取材にきてくれるなんて思わなかった。「また話したい。」帰り際にも伝えた。
帰りの電車で、Bobby Caldwellの “What You Won’t Do for Love” を聞いた。豪くんが運転する車の横で聞いた曲。今は運転するのが好きだけど、あの時は助手席が好きだった。あっという間に駅に着く。「着いたよ」車で迎えにきてくれた周ちゃんからLINEが入った。やっぱり酔いが覚めないうちに帰れる場所に引っ越そう。今の家が好きだけど、もう少し人と近い距離にいたい。
豚肉と大根おろしのレモン鍋

2月29日

朝は代官山TSUTAYA、その後恵比寿のPOSTへ行き、写美も寄りたかったけれどやめて原宿へ向かった。待ち合わせまで30分くらい。明治神宮でも行こう。肩が痛いのは、今日はカメラを持ってるから。カメラ、いつから重くなっちゃたんだろう。首にかけて代々木公園を自転車で走りまわっていた10年前のいつかは、重いなんて一度も思ったことなかったのに。クリーム色のスニーカーが汚れないかと砂利を避けながら歩く。
待ち合わせはチャオチャオバンブー。スタイリストの佐野さんと遅い昼食をとりながらビールを飲んだ。キリンの仕事以来。あの仕事は大変だったけど楽しかった。
当時はぜんぜん時間がとれなくて結局1年半も経ってしまった。歳も近くて、同じ時期に郊外へ移り住んだ同士。不便な生活と引き換えに、やっぱり互いに感じていたのは生活の大切さ、そして家族への愛情だった。新転地での生活の話をしてほっとした。
佐野さんは子供がいる。旦那さんの仕事の話や馴れ初めや子供の話も聞いた。根掘り葉掘り聞いてるわけじゃないけど、自然に家族の話がでてくるのは、きっといつも身近にあって大切にしていて、日々の中で考えて感じているからだろう。私も、生活や周ちゃんの話をした。
ワークショップのことも興味を持ってくれたみたいで、色々と聞いてくれたけど、やっぱり上手く話せなかった。お酒が入っていたせいもあって余計にだったかもしれない。それに加えて、いつものように空回りしてた。可笑しいくらいに。だけど、これもこれだとも思った。いつか話せる日がくるよ、きっとね。
頑張ろう。勉強も写真も。春から大学4年生。卒業までやる事は沢山あるけど、最近勉強のペースが掴めてきたし、活字中毒が克服出来たわけじゃないけど、自分なりの読者の方法も見つけてきた。大変なのは私だけじゃない。周りを見れば、みんな頑張ってる。ついつい、何かに深く没頭しちゃうけど、そんな性質であることがわかってるならば、頭も心もどんどん切り替えていこう。
先月からのテーマ。考えない。ほっといても内省しだすのだから、むしろ考えない方がきっと丁度いい。
楽しかったな。渡せなかった結婚祝いに、と、花瓶と味醂をもらった。
スペアリブと新玉ねぎの花椒スープ

日々を片付けられないままに時間だけが過ぎていく。
けど、最近思う。私がひとり猛烈に頑張って、なんのためになる?って。一方で、一昨日に久しぶりに酒場へ行った時は、懐かしさと共に嫌気がさした。私が忙しさのあまりにピーピー言ってるような時間もあれば、永遠に朝が来ないんじゃないかと思える場所もある。元夫との生活を敢えてシンクロさせることはないけど、もう本当にきっと好きじゃない。
元夫が、よくいく酒場で誰かと取っ組み合いになって破られたシャツはどこへ行ってしまったのだろう。たぶん、チェックのシャツ。そんな事ですら、時々、頭の隅にやっぱり現れる。私にチクった男の顔も思い浮かぶけれど、それを無かったことのようにする男や女の顔も一緒についてくる。
編集のリリさんが面白いことを言ってた。頭の隅に、いや、ど真ん中に長い時間滞在してる。あの頃は、表面がつるつるであれば、その中がどうであろうと気持ちよく滑れるのが人生だとずっと思ってた。酒場のループし続ける会話のように、ただ、流れ続ければいいんだ。気持ちよくそのまま、気持ちよく、音楽と共に。誰かの笑い声と共に。きつい香水や煙草の煙と共に。全部、シームレスに上手くやればいい。
りりさんの言葉は、するするといかないことについて。数日前にリクさんと幸福論について話したみたいなことをスレッドに呟いていて、面白いな、いい夫婦だなって思って思わず、周ちゃんと四人で生討論しようよ!と返信すると、”実は、人前でするすると意見を言えなくて、。”って。
はっとした。私もある。沢山ある。だいたいそうだ。ああ、ってモヤつきながら家に帰って、何度も何度も考えて感じて、ひとりで悶々して言葉になって、それを日記に書いたり、手帳に書いたり、携帯のメモ帳に書いたりしたところで、ふぅーってようやく落ち着く。
確かに、バサッと切るようなことを言った人がいたとしても、勢いには圧倒されても、後から、なんだかカラカラのパサパサな肌触りだったけど、。なんて思い返すことがある。
するするいかない方が素敵なんじゃないか。りりさんが言うと、余計にそう聞こえる。仕事をしてると、うまくいく方が正しいみたいになる。私、けど、正しくないほうが好きだったり面白かったりするんだけど。
気分がいい。
2月19日

2月9日
撮影が終わったのは午後だけど、家に着いたのは18時過ぎ。しっかりと渋滞に巻こまれた。周ちゃんは隣でずっとPCを広げて仕事をしてる。私はひとり、夜になりかけた街を走り続けた。
撮影が終わってから話してたことが面白かった。今回の撮影で同じ時期にスタッフの全員が、ある作家さんの手がけた複数の作品に向き合う時間みたいなものがあった。すごくいいなと思う作品もあれば、正直、過去のトラウマみたいなものを揺さぶられたり、誰の声も届かない場所に落ちた人を見せしめにしてるかのように見えて、怒りを覚えるような作品もあった。だけど、これは私個人の話。テーブルに座って、それぞれの角度や物差しで解釈された作品についての話を聞いて、あ、そうかって腑に落ちる感じがした。
私ひとりの視点の話をすれば、世界はこう見えたりああ見えたりするし、それが世界だ。当たり前の話だけど、そんなことはわかってるけれど、私とゆう器官は1つしかないから仕方ない。だけど、今、それぞれの身体中を巡りここに吐き出されたものはそうじゃない。
作品には、勿論メッセージがあると思うけど、受け手には関係ない。人生と同じで勝手に自由にそれを感じてゆく。ただ、どんな想いだって、強く感じれば感じるほどに、また、その人の別の部分も刺激され、それはまた
曖昧に緩やかにハマっていくような感触があった。どこまで続く車、対向車のヘッドライトが眩しい。車を走らせながらどんどんと定着していく感じがした。
帰宅するとりょうこちゃんからメールが入ってた。こないだのこと、もうちょっとちゃんと説明したいって、文面から丁寧に丁寧に文章を書いてくれたことがわかる。やっぱり、りょうこちゃんは私みたいなのだと思う。写真を撮ったり文章を書いたり、生きるためにどうにかこうにかあらゆる手段を使って、今に向き合おうとする。その真っすぐと向き合いたいと文を綴る姿勢に、その力強さに、胸がすごく熱くなった。
写真で悩んでいること、具体的にこうしたらいいんじゃないかって、沢山たくさん、考えてくれたのだと思う。りょうこちゃんに触れてるだけで、きっと、たぶん、私にはその全てが解決出来る気がした。これが私にとって祈りのようなものだったとしても、りょうこちゃんには、そうゆう力がある。なんとなくいい感じみたいなことじゃなくて、明日いきなり映画を作ってそれが大ヒットになったとしても、私は驚かない。そういう力がある。誰にも真似できないような何か。
今日の昼に見たことを話した。夜も遅くて、昼間の疲れからか、目はかすんで字がぼんやりとした。長時間運転したからか頭はズキズキしてる。きちんと返せたかわからないけど、一生懸命に書いた。
だけど、結局、なにが伝えたかったのか上手く言えなかったと思う。だって自分でも整理できてないのだから。だけど、整理なんてできていなくてもいいから返したかった。
1月23日
頭がぐちゃぐちゃな1日だった。色々が同時進行で頭が爆発しそう。胸の内としては、ワクワクしているのだけど、どうにもこうにも何が絡まっているのかでさえわからない。
昨日のワークショップの興奮がまだ冷めてないのかもしれないとも思う。写真と心理学、こんなにも早く現実になるなんて思わなかった。長いこと撮ってきた写真が、するすると言葉や形として説明できるようになってきてる。写真作家を諦めて商業カメラマンになったのは、次のステップがもうどうしていいのかわからなかったから。悔しいけど、私の写真には未来がない、、。そんな風にお金のために撮り始めた写真は想像以上に楽しくて、それなりに稼げた。それにあの時はやっぱり元夫のことが一番にあったから。だけど、これってほんと?ってなったのは、いつからだろう。
やっぱり諦めがつかなかったんだとも思う。探し物が見つからないと、いつでもどこかを探し続けてた気がする。あわよくば、いや、きっとそれはどこかに。いつでもどこでも、やっぱり不意にでもいいから落ちてないかと隙あれば捕まえてやろうとさがしてた。
ふだん使ってないメーラーに、いつだったかに届いていた展示のメールを開いた。あ、そうね。最初に思ったこと。誰かに自分を重ねるのは失礼な気もするし、意地悪みたいにも聞こえる。だけど、わかるよ、。って心が大きく頷いた。偶然にも、たまたまそれが今日だったのがわるい。あまりに綺麗に答えがわかった。案内にある美しい画。それだけで、作者の全てが一読できる。綺麗な景色の先に、健やかな人間たちが戯れるだろう。最後のオチまでよめてくる。そして、そこには感性がポツンとちいさく座って見えた。写真についての説明は殆どなくて、トークショーだとか、パーティの食事の話だとか、オプションの情報だけが綺麗に並べられていた。
夕飯の時「ちょっと、聞いて。」と話しかけると、周ちゃんは箸を止めて真剣に聞き、そして、まるで全部を知ってるかのように喋りはじめた。
「あのね、立派な作品を作ってる芸術家といわれるような人たちと今まで沢山仕事をしてきたけど、芸術家は研究家とすごく似てるんだよ。それは何かっていうと、芸術家はただ作ってるだけではダメなんだよ。逆に言えば、感性だけを追いかけてる人は、そこまでしか行けないし、その先には行けない。素人みたいなもの。」
ああ、と思った。「うん。わかる。」何度もそう言った。周ちゃんは一言も、その展示については触れなかったけれど、何を言いたいのかよくわかった。心理学を勉強して知ったことは、感性は共有できないってこと。私の作品を見てわかってよ。では、残念ながら伝わらない。なぜなら、私達はあまりに別々の生き物でそれぞれにしかない感性を持っているから。見てくれる人の感受性に委ねるならば、たぶん、放り出されたままのものは、綺麗なものはより綺麗に、暗いものはより暗く、作品は丸くするりと磨かれていく行為を勝手にかさねて、心にひっかかる棘のないものとなっていく。
「あの草間彌生さんでさえ、ただ描いてるだけじゃないんだよ。」結局のところ、感性は知性と共に作品を超えていく。頭の中にわたしが思う感性を超えていった写真家たちが浮かんだ。部屋にある数冊の写真集。いつ開いても胸を鷲掴みにされる写真。アラーキーが撮る料理。鈴木理作さんの撮る熊野。
写真は面白い。施設でのワークショップで思ったのは、生徒が写真を通して世界の前に立ってる姿。怖い、よくわかんない、やってみたい。そこにはカメラを構えて様々な感情を目の当たりにした。なんだかその姿が美しいというか、とても清々しくて、誇らしくて、カッコよくて写真らしかった。
どうせ撮るなら、もうオチがわかるようなトレース作業を続けたって仕方ない。仕事で出会う綺麗な写真を否定するわけじゃないけれど、仕事でも、写真集でも写真展でも、写真が写真に出会ってるようなものが見たい。
わたし、何やってんだろう。
1月12日
恐ろしく遅刻した。1時間。こんなに遅刻したことは初めてだと思う。最悪すぎて「どうしたの?」と聞かれても上手く説明ができなかった。ただただ、最悪だ。と心の中で呟きながら、新大久保の駅から店までダッシュした。汗だくで店に入ると、焦げた鉄板と「もうお腹いっぱいだー」というワタルさんと村上さん。一番乗りでくる予定で家を出たのに、。
その直後に西丸さんが到着。昔は居酒屋のテーブルを3つくっつけてやるくらいに、大人数だったけれど、今年は4人。CINRAの仕事で出会ったのは、もう10年も前のことで、それから、いわゆる仕事仲間ではなくて、同業の友人としてなんだかんだと続いている関係。同年代ということもあるからなのか、商業カメラマンになって駆け出しの頃からの関係だからか、とにかく安心する。写真大学へもスタジオへも出入りのなかった自分に、こういう場所があること自体が不思議な感じもするけれど、もう長いこと仲良くさせてもらってる。
二軒目へ移動して軽く飲み直して、写真の話をしてバイバイした。持つ物はやっぱり友達だなと思う。むちゃくちゃ楽しかった。
それに、本当は村上さんと西丸さんは仕事のことで年末に揉めたらしいけれど、ちゃんと今日の会にやってくる村上さんも、そのことについて、喧嘩しないで仲良くやろうと努める西丸さんも、そのことについて、二人それぞれに話を聞いてあげるワタルさんも、なんだか全てがひっくるめて丸っと愛おしすぎた。みんなあれから、ずっと立派になったであろうに、何一つ変わってない。
夕飯

1月も1/3がすぎた。なんだか、やっぱり、地震が起きてからすこし塞いでる。インスタで、氷見にあるHOUSEHOLDのナッチャンが支援で頑張ってる姿を見かけてから、今は応援しか出来ないんだと、ただ祈るようにじっとしている。出張から帰った周ちゃんといつもの夕飯。
即席生柚子のポン酢は、柚子を絞って、美味しい醤油とすきな塩梅の分量で合わせる。それだけで驚くほどに美味しい湯豆腐になる。
今夜の献立
おいしい豆腐で湯豆腐と生柚子のポン酢
菜花の醤油麹炒め
焼き椎茸
鯵のひもの
イワシの刺身
お土産のキムチ
納豆
ご飯
12月29日

この数日は殆ど寝てない。神経がどうにかなりそうだった。朝はいつも通り散歩へ出かけて、10過ぎにタクシーでダウンタウンへ向かった。「こんなことなら、別府へ行けばよかったとも思ったけど、多分、よかったんだよね。」少し、苦笑いしながら周ちゃんと話をした。
心理学を勉強する前は、苦しいことは全て悪だと信じきって、まるで悪魔のお訪れかのようにそれを災難したり、運がないとか、曖昧な言葉で片付けて、くるっとまとめて、ゴミの日がやってくるのをひたすらじっと待っていた。だけど、最近は、それだけじゃないんだということを知った。感情は自分を苦しめるけれど、そこでは沢山のことが見える。
ずっと見てきた景色をまるで図解を収集するかのように写真に収め、感情と記憶とで、起きた出来事を照合しながら、一つ一つ丁寧に整理した。そして、夜になると勝手に落ちてくる涙を拭った。
だけど、人は思っている以上に、幸せになろうとする生き物なんだとも思った。真実というのは、あまりに多すぎる。角度や視野が違えば全く異なってくるものになる。夜中に電話した母とも沢山の話をした。母には殆どを話さない、いいことだけを伝えて、何もなかったように笑うのが私の役目だと信じきっていたからだ。だって、悲しみを撒き散らして、何の意味がある?だけど、今日は一つだけ、どうにもできない問題について相談をした。母は大きくため息をついて言った。「なにやってんのよ。よしみは、よしみが楽しいと思うことをしなさい。」
誰かのために、家族のために、何かのために、いつもそうやって頑張らなきゃって思ってきたけど、そうやって前の離婚も私は自分を犠牲にし続けたけど、わかってる。誰も悪くない、私のすることが間違ってるだけ。悲しいとか苦しいと全身が叫んでも、全部を受け止めなきゃって。空から降ってくる棘を茫然と受け続けることが愛情みたいなものだったり、役目みたいなものだと信じきっていた。
ダウンタウンへ着いて、ホテルをチェックインした。数日前にこっちへ来た周ちゃんはどういうわけか、寝てばかりだ。日本でも疲れがどっと出てきたのか、気疲れなのか、よくわからないけどよく寝てる。タクシーの中でもずっと寝ていた。
これだけ何度も何度もLAには来ているのに、ダウンタウンの街を歩いたことは始めて。ビルの間から太陽の光が通りが強く照らしていた。当たり前のことだけど、やっぱり自分の人生を生きなきゃいけない。子供のように何日も泣いた数日は、まるで子供の頃の私そのものだった。誰が何が悪いとかじゃなくて、歩き方だとか食べ方の問題みたいなものだと思う。子供の頃に学んだものは、生きるために必要だったものだ。それが、もう、必要じゃないってこと。今の私は、もっと違う方法で生きていけることや、誰かのために何かのために優しくなれることも知ってる。
こんなにいい歳になって、年の瀬にこんなことを考えるのもなんだと思うけれど、もういい加減に私は変わった方がいい。母の言葉は、長い間、誰にもいわずに私を苦しめてきたものから、静かに解き放ってくれるようだった。
12月22日

12月19日
今日は久しぶりにライターの石塚さんに会った。石塚さんの大学の同級生が代表を務める支援施設への見学と来月に行う予定の写真のワークショップの打ち合わせのためだ。石塚さんは家族のことで今年は大変だったと聞いていたけど、駅の改札で会った時はいつもの明るい表情だった。何かが吹っ切れたような感じにも見えた。とにかく元気で良かった。
施設への見学を済ませてから、駅前で代表の中村さんを交えて打ち合わせ。ワークショップのことだけではなく、この施設で取り組みたい事や、その概念となる心理学の話まで丁寧にお話ししてくれた。まだまだ、初学者でわからないこともあるけど、沢山の専門用語がするすると聞こえてくる。
この1年、がむしゃらに勉強して、これって一体なんのため?って、何度も何度も自問して、たくさん苦しんだりもしたけど、ようやく腑に落ちた感じだった。私は、こういう方に出逢って、話がしたかったんだって。
中村さんのお話が具体的に私の心を突き動かしてる。水を得た魚が水をごくごくと飲むみたい。身体中に中村さんの話がどんどん浸透していく。心理学を通して、今までなら、出会えなかったような世界の方と肩を並べて話をしてる。専門家と専門的なことについて、相手の考えを聞いたり、自分の意見を質問できる。勉強して、カウンセラーになるでも、勉強して、研究員になるでも、私の行き先はまだどこにも存在してない。だけど、こういう機会があることだけで、十分過ぎるほどに満たされたように思う。
それに、石塚さんも、この10年間、ケアワークをしてきたことについて、沢山のお話をしてくださった。私の全く知らないライターじゃない石塚さんのお話し。一年前に、石塚さんの取材で、少しだけケアワークについて、お話を聞いたけれど、あの時はやっぱり知らない人にもわかりやすいようなお話にしてくださったんだろう。書く仕事をしながら、こんなことをしてたんだと思うと、尊敬の気持ちで一杯だ。
なんだろう。今日一日で、背中がぞくぞくとしてしまうくらいに世界が広がった。中村さんとお話できたこと、石塚さんの初めての側面に出会えたこと。今のところ、手に負えていない。
もっともっと勉強しよう。それに、やっぱり、心理学は写真に返っていくと思った。今日も沢山写真の話もした。
商業カメラマンは楽しい。だけど、もう一度、また写真とちゃんと向き合いたいとか、写真の事をもっと知りたいとか、写真は一体全体なんなんだとか、たくさんの問が空から降ってくるようだった。
12月18日
昨晩に今年最後の授業と試験が終わり、夜は久しぶりにゆっくりと過ごした。周ちゃんが夕飯を作ってくれたけど、味なしの鍋。周ちゃんって、なんでこうなんだろう。仕事もできるし、なんでも知ってるけど、なんて言ったらいいんだろう。生活の色々だとか、空気を読むとか、そういう人の営み、みたいなものが下手くそすぎる。ひとりで暮らしている方がずっと楽だよな、なんて思うことが多々ある。いや、準備してくれるだけありがたいよ。何度も自分に言い聞かせてビールを飲んだ。けど、これが家族のいる生活ってもの。目にうつる世界が自分の思い通りにならなくて、鬱陶しい。ひとりの時は自由で気ままだったけれど、不意に寂しくなる日があったのは、きっと、こういう鬱陶しさがないからだろう。人は全てを手にいれられない。だから、寂しく恋しくなるのかもしれない。
起きたのは5時。寝たのは22時半くらい。SEXは何曜日にしようなんて約束はしてない。だけど、してない約束をしているようにするようになった最近はなんだかいい。恋人のように何も考えずに自由気ままにするし、ホルモンのバランスのせいで気分が乗らない時はしない。前に、セックスレスな友人に「よしみちゃんのとこは新婚だからSEXしてるだろうけど。」と、言われたけど、たぶん、SEXは新婚でも新婚じゃなくても関係ない。私の経験上では、する人はするし、しない人はしない。別にそれは愛の指標でもない。どちらかと言えば、性格や、それこそ相性みたいなもので、どっちだっていい。ただ、私はしたい派だと思う。だって、せっかく女に産まれたのだし、楽しんだほうがいいじゃんって。女が女の身体であることは、面倒も多いけど、楽しい事も多い。丸みを帯びた身体の曲線、柔らかい皮膚、華奢な骨格。太っている痩せている関係なく全ての女が持ち備えてる。男のような勇ましさを得られなかった女の身体は、その心に反して柔く脆く儚い。そんな面白いものを手に入れておいて楽しまないなんて、勿体ない。
「だから、もうそれ、考えるのやめよう。考えてる時間が勿体ないよ。」姉に言った。日曜日のLAは15時。こっちは月曜日が始まったばかり。「わかってるよ。」姉から返ってきた言葉には溜息がたっぷりと含まれていた。
そう、人生なんて面倒なことが多すぎるんだ。けれど、面倒な友人だとか、面倒な人だとか、面倒に勝手に巻き込まれていることが多々ある。「別の話をしてもいい?」姉に聞くと「え。いいよ。お伺いなんて立てずに話して!」と即座に返ってきた。
姉の気持はよくわかる。人のことは大切にしたいなって思うし、それが友人だとか、近い存在の人だと、つい、助けになろうと頑張っちゃったりもする。けど、思っている以上に頑張りすぎちゃったのか、結局、自分が苦しくなることがある。なんだか、そんなことばっかりだ、なんて思う日が積み重なったりして、自分で自分の首を閉めておいて苦しいだなんて、わかってる。結局、わたしが考えすぎてるだけだ。けれど、首を絞めている自分の手をどうにもこうにも解けない日だってある。
最近思うのは、前置きはさておき、もう自分が疲れたのなら、頑張らないで、楽な方を選んでいいんだってこと。苦しみを引き受けたからって、最後まで責任負わなくていい。もっとラフにまるで道具みたいに優しさを使いこなせばいい。
だからとゆうか、やっぱりSEXだとか、今しかできないことは自由にやった方がいいと思う。ラフに自由に女を今を楽しまなきゃ。
写真だってそう。男にしか撮れないものもあるように、女だから撮れるものがある。女が面倒なのは、男のように力強くないのは、複雑で難解だから。だって、脚を通しただけのトランクスなんて履いてない。華奢で美しいランジェリーを纏うことが出来るのが、女だから。
12月10日
夜からマガハの乾さんと湯気へ行った。むちゃくちゃ楽しかった。ずっと聞きたかった中国の話を聞いたり、あとは、他愛もない話をした。
なんだろう、そうそう。これこれって。私は他愛もない話がしたかったんだ。歳も近いせいか、明日になったら忘れてしまうような話も沢山した。学校の帰り道に話をしてるみたいに、時間があっという間に過ぎていく。
りょーこちゃんの話になって、無性に会いたくなった。りょーこちゃんは、むちゃくちゃ素敵な編集者で、私も憧れの人だった。可愛くてカメラをたくさん持ってて、話す言葉も笑い声も全部いい。乾さんも、りょーこちゃんのこと、すごい編集者だって言ってた。
昔、りょーこちゃんの仕事で俳優を撮ったときに、よしみちゃんの人物は綺麗だって褒めてくれたことを思い出した。すごく嬉しかったあの言葉、そうだ、御守りにしよう。
ああ、楽しかった。帰りに師匠の新しいアルバムを見つけて、聞きながら帰った。いつか、乾さんとりょーこちゃんと三人でご飯食べたい。
ダルバート

リリさんに相談を受けたのは1年くらい前だったと思う。「よしみさんに撮ってもらいたいんです。」リリさんがインターンでRiCEの編集部に入ったのは、何年まえだろう。私は確か、あの頃は “きくちよしみ” で活動してて、「きくちさーん」って呼んでくれるリリさんを思い出す。
リリさんは、私の知ってる限りでは、二度目の恋で結婚をした。一度目の恋が始まり、そして終わったとき、そして、りくさんと恋が始まり結婚を決めたとき、そして、妻になった今。リリさんが新しいリリさんの顔になるのを何度見たのだろう。女の子が女性になっていく時間の一つ一つは断片的な記憶とともに今も私の中にある。
ヘアメイクはみっちゃんにお願いして、スタジオは新宿にある小さな白ホリのスタジオ。アンティークのドレスに包まれたリリさんとリクさんが目の前に立ち、笑ってる。
帰りの電車で、なんだ、そうかって。最近になって急に人を撮りたくなったのは、もう色々が恐いと目を背けたりする必要がなくなったからだ。子犬みたいに無邪気に戯れる二人を見て、ああ、なんて素敵なんだろうってわたしの全部で感じてた。
とても、いい日だった。
12月6日
夜からプールへ出かけた。段々と体調も戻ってきたからか、日に日に泳げるようになってる。やっぱり水の中はいい。がむしゃらに泳ぐ。頭の隅で、誰だったか脳科学者のような人が、「運動は同じ動きを繰り返す単純作業だから、脳を使いすぎている現代人にとってとてもいい。」みたいな話をしていたのを思い出した。
いつからか、色々を考えすぎるようになった。例えば、水の中に入り、泳ぎだしてしまえば、身体中の殆どはそこに注視されるように、日々の中で止めどなくやってくる思考は案外役に立たない。他人といたってそれは同じで、お皿の中のことよりも、そこで味わう空気の方が記憶に残ったりする。美味しかったのは、たぶん、全身がそこで感じた光景だ。きっと私たちの日々はそんなことの延長にあって、そしていつか終わるんだろう。
なんだか、もやもやしてたことがどうでもよく感じた。夕飯はちゃんぽん。周ちゃんが作ってくれたけど、写真は撮り忘れた。
12月4日

特に飲みたかったわけじゃないけど、風呂上がりに缶ビールを開けた。昨晩、周ちゃんに「もう、疲れた。」と愚痴ったからなのか、気持ちがむしゃくしゃしてる。周ちゃんの新しい仕事が始まり、どんどん仕事は忙しくなっていく。それはそれで、楽しそうだし嬉しいことだけど、一方で私の時間はどんどん失くなっていった。私は専業主婦じゃない。働かなきゃ食べていけないし、勉強しなきゃ大学は卒業できない。私たちは夫婦だけど、だからって私の時間ばかりが犠牲になるのはおかしい。
12月だって気づいたらもう4日も経っていた。始まったばかりなのに、すでに息が切れそうだ。休みたい。私だって、仕事で調べ物があると言って、家事を放棄したい。カフェなんかでゆっくりとお茶しながら、仕事の本などを弄りたい。どうでもいい事を友達とメールしあいたい。特に買うものがなくても、伊勢丹を歩き回りたい。ああ、今年の夢だった一人で温泉だって叶えられないまま終わるのかと思うと、やっぱり腹がたつ。
だけど、小さな悩みじゃんとも思う。小さすぎて笑えてくるぐらいにちっぽけすぎる愚痴だ。私なんかよりもずっとずっと大変な人が沢山いる。みつきさんからメールが入っていたことを思い出して返信した。トラウマのこと、カウンセラーと新しい療法を始めたと書いてあった。日本にはまだない療法なのか、初めて聞いたものだった。
最近、心理学を勉強し始めたこともあるのか、心のことで相談を受けることが増えた。私はまだ学生だし、支援について沢山を知っているわけじゃないけど、多分、悩んでいる当人よりは、どう解決したらいいのかを知っているかもしれない。それに、実際に相談を受ける度に心は疼く。あの場所にいるんだと思うと、手を差し伸べずにはいられなくなる。
暗くてじとっとした場所。性質的に、そういうところから早く抜け出せる人もいれば、抜け出す方法を知らない人もいる。努めようと頑張れる人もいれば、無理だと諦める人もいる。「心の病気にかかる人は弱いからだ。」なんて、すっかり元気になった最近の姉が言ってたけど、そうじゃない。鬱はただの病気であって、その人の性質みたいなものだ。
こないだ撮ったHanakoの献本が届いてた。なんだか旅に出たくなった。やっぱり雑誌はいい。小さく毎日を幸せにしてくれる。それに、料理写真というのは、見ているだけで楽しくなる。何も考えずに見れるのがいい。
だけどというか、最近人が撮りたいと思うようになってきた。心理学を勉強してから、人が人を撮るっていうことが、実はすごく面白いことなんだって気づいた。
料理写真は撮る側の意思が殆ど。相手はモノであって、一方的にこちらも撮るし、料理の方も一方的に佇んでるだけだ。けど、人は違う。被写体が舵をきる場合もあれば、撮る側が舵を握る場合もある。どちらにせよ、どちらか一方の意思が尊重されたり、その間を取ったりしながら画になっていく。だから、そんなパワーバランスが写ってくることも、また人間味があって面白い。けれど、もし、両者がそれぞれにそれを手放したら。そこには、想像しないものが写ってくる。
ポートレートは心の有り様の話みたいだ。スピリチュアルっていうことじゃなくて、出会ったその人が、そこにいる私が、どう世界に対して考えたり付き合ったりしてるかってこと。だから、面白いし、それは心理学を通して人を見るのと限りなく似てるな、なんて思った。けど、料理写真もやっぱり好きだ。図書館で久しぶりに手に取った暮らしの手帖を見ながらつくづく思った。